2014年04月19日(土) 吉野千本桜 奥千本と西行庵、女人結界標ほか (徒歩)
吉野水分神社でのお参りを終えると
奥千本を目指した。
吉野の「奥の千本(奥千本)」の場所を調べると「吉野水分神社の先」または「西行庵の周辺」など情報がバラバラだったので、「千本もあるのだから広い地域だろう」と勝手に解釈し、吉野水分神社の奥に広がる地域が奥千本だと判断した。
ところが吉野水分神社の先はしばらくこんな感じ。
そんな、がっかりムードが漂う中で、「吉野三橋の一 丈之橋跡」の標石を見つけた。
この標石の前面はこんな感じ。橋が架かっていた形跡が見られなかった。
ところで、吉野三橋とは、この丈之橋と先ほど通過した天王橋、そしてもうひとつは大橋。今日は高野山ロープウェイを使ったため、この大橋を渡らなかったが吉野駅から七曲坂を登ってくるとその先には朱色も大橋が架かっている。これら丈之橋、天王橋、大橋が吉野三橋だそうだ。
さらに進むと交通規制の看板がここにも、
ここにも。車での訪問は大変だろう。やっぱり歩きに限る!
桜の気配を全く感じないまま杉林へと進むと「金峯神社1.3km」の道標。
杉林を抜けた辺りで、右手に空間が開けた。
こちらは牛頭天王社跡で
この近くには説明板があった。
牛頭天王社跡の向かいにはこの道標があり、右方向「金峯神社・奥千本」の他に前方には「高城山展望台」の矢印があった。
【キタヰの妻】は足に疲れを感じていたので、山には登らずに金峯神社の鳥居まで先行することになり、私だけが高城山展望台へと向かった。
地道を歩き始めるとやっぱりアスファルトよりも感触がいい。程なく中腹にて多数の桜の木と対面。先ほどの矢印に書かれた「奥千本」の文字から判断するとここは奥千本ではないのだろう。若い桜の木も多く、これから奥千本を広げようとしているのだろうか?
山を登り切るとその頂には高城山休憩所(高城山展望台)がある。
建物を通り抜けて
先へ進むと絶景だ。パ〜チリ。
左方向には二上山が見えるそうだ。
花の付きが少ない桜をパチリ。かなり枝が目立つ。
まだ、桜に満足できない私は急いで高城山を下った。金峯神社方向へのルートがあったので、そちらへ向かうとこちらは地道ではなく、コンクリート舗装でセンターには石が敷かれていた。
一気に駆け下りると
吉野大峯ケーブル自動車 高城山展望台バスのりばの近くに出た。
バスには興味がなかったのでどんな運行状態になっているのかは? でも観桜期間にバスを利用する人は注意が必要なことだけはわかった。
ここから金峯神社の鳥居方向へ進むと、この道沿いには次のような大峯登山〇〇回供養塔が多数見られた。
これらもそうだ。
さすがに大峯奥駆道である。
そして辿り着いたのが金峯神社の鳥居、この前には「修行門」と刻された標石が建っている。
「紀伊山地の霊場参詣道 吉野熊野国立公園 吉野山」の説明板を確認してから
鳥居をくぐった。
急な坂道を登って、途中で振り向いてパチリ。この辺りは桜が多かった。でも、千本桜とは言えない。
ここは桜よりも坂の方が気になる、予想以上に急な坂だ。
左側を見上げると若い桜の木。その隣には切り株が多数。杉林を桜に切り替えているのだろう。これからはこの辺りも奥千本になるのだろうか?
こちらは右手方向、斜面の下方に見える桜をパチリ。
坂道の参道を登り切ると常夜燈があり、この先は水平な参道となる。
この左手、トイレの奥にはこんな風景が広がっていた。この付近にも多数の若い桜の木が育てられていた。
参道を進むと正面に鎮座するのが金峯神社。
説明板を読んでから
お参りした。拝殿の天井は立派だ。
お参りをおえてから石階を下る際に右手を見ると社務所の右手には源義経が隠れたとされる隠れ塔(蹴抜塔)への小道が見える。
鳥居をくぐり返すと社務所前からその小道へ入った。
門?(鳥居?)をくぐって先へ進むと
こんな階段がしばらく続いた。途中で振り向いてパチリ。
下り切ると縦長の空間が広がり、その奥には源義経の隠れ塔(蹴抜塔)がある。
正面へ移動してパチリ。
ここにもこの形状の紙垂が下げられていた。
金峯神社の前まで戻ると
右手方向へ伸びる山道へ向かった。まずはこの地図でルートを確認してから・・・。西行庵、苔清水、・・・、女人結界標。
石畳の滑りやすく坂をゆっくりと進むと次の分岐に出た。「左 大峰山、右 風閣寺」、西行庵はどちらからでも行けるが「観桜期のみ西行庵は右」の矢印があったので、その指示に従って右方向へ進んだ。
しばらくこんな雰囲気の中を進んだ。桜は皆無だ。
続いての分岐は「左 西行庵、右 風閣寺」。
こちらでは自ずと左へ。
杉林の下り坂、足元が悪いので一列で注意しながらゆっくりと進んだ。
杉林を抜けると一気に視界が開けた。近くに桜の木、
眼下の斜面は木々が伐採されてハゲ山になっていた。
そして遠くには、四方正面堂跡に数本の背の高い桜の木が見えた。
そして、西行庵へ下る坂道の先には
多数の桜が・・・
足元に注意しながらも気持ちは逸る。
坂道を下り切ると広場があり、その隅にひっそりと西行庵が建っていた。
こちらは西行庵の説明板で、
こちらが西行庵。
中には西行の坐像が置かれていた。
実は西行庵にはあの頃から思いを馳せていた。あの頃とは、次の企画展を見学し、西行トークを聴き、さらには白洲正子さんの著書「西行」を読んでからだ。かれこれ一年になる。
【参考】 2013年03月09日
私のなかでは西行で盛り上がっていたが、本日の第一目的は奥千本。橿原神宮前駅にて見かけた吉野線のラッピング電車に描かれていた千本桜を想像して訪れたが少し、いやかなり規模が小さい。奥千本だからこんなもんなのだろうか。
西行庵付近の桜よりも四方正面堂跡の桜が印象的だった。
全景を観れば印象も変わるだろう。そのために苔清水、さらには四方正面堂跡方向へ向かった。
まずは苔清水付近。
『ハゲ山と切り株と奥千本』
『ハゲ山と道標と奥千本』
こちらは観桜期には通行禁止となっている石畳と「奥千本苔清水」の説明板。
そして、こちらが苔清水。冷たくて気持よかった。
この流れが沢へ、川へ、海へと、そして水蒸気として空へ、雨として山へ戻り・・・・。いいね!
おっと、なんかいい雰囲気。この二人のおかげて物足りないと思っていた奥千本が「いいね!」に変わった。
苔清水から四方正面堂跡へ向かうと
伐採された丸太越しに奥千本をパチリ。
こちらが四方正面堂跡で、
多くの人たちが昼食を楽しんでいた。
桜の木それぞれにひと組のカップル。この距離感、なんとも言えません。こちらも「いいね!」
四方正面堂跡を後にすると再び杉林を歩くことになった。これで奥千本とはお別れだ。今のところ奥千本は西行庵の周辺のみなのだろう。
途中で安禅寺蔵王堂跡の案内板があった。この案内板がなければ全くわからない。
そして、こちらは宝塔院跡の分岐。左で金峯神社方向、右で女人結界標の方向だ。私はどうしても女人結界へ行っておきたかった。【キタヰの妻】はかなり疲れているようだったのでここで別れて
私だけが女人結界標へ向かった。
階段を上り、次の道標が現れると
すぐその先に「従是女人結界」標が立っていた。
この脇を女性のハイカーが「こんにちは!」と挨拶しながら通り過ぎた。
現在では女人結界はなくなったのかと思っていたら、どうもこの結界は現在有効ではないが宗教上の理由により山上ケ岳の近くには四カ所の女人結界門が残されているそうだ。
「従是女人結界」標を後にすると宝塔院跡へ戻った。
宝塔院跡にある説明板をパチリ、パチリ。
宝塔院跡の分岐を金峯神社方向へ向かった。
この先は足元がぬかるみドロドロになりながら下った。
そして最初の分岐へと戻り、
金峯神社付近へ戻ってきた。
【キタヰの妻】が待つ金峯神社の鳥居はもうすぐだが、金峯神社から鳥居までの参道の左手に広がる風景を見てしまったら少し寄り道となった。こちらにも多数の若い桜の木が植えられていた。何年で生長するのだろう。この辺りが満開になればかなり見応えがあるだろう。本当の(奥)千本になる。
参道へ戻ると見上げた。そう言えば奥千本やこの付近には背の高い桜が多い。
金峯神社の鳥居まで戻ると
【キタヰの妻】と合流し、吉野水分神社を目指した。
緑が眩しい、初夏の輝きとなっていた。
こちらは行きに高城山を越えたために通らなかった閼伽の井。
さらに進むと
高城山の山道を右側に見上げながら進むと
「分水神社0.4km 吉野町」の道標までやってきた。
【 20140419 の記録 】
- 近鉄 橿原神宮前駅にて吉野線のラッピング電車に遭遇、期待を胸に吉野へ
- 吉野千本桜 奥千本を目指して(近鉄吉野駅〜吉野水分神社)
- 吉野千本桜 奥千本と西行庵、女人結界標ほか
- 吉野千本桜 奥千本を後にして近鉄吉野駅へ
- 近鉄 大和八木駅のホームで見かけた(鮮3)マーク