2014年05月18日(日) 清流宮川の源流部から海まで歩こう!第二区間 宮川ウォーク・右岸 (車、徒歩)
【注意】 本記事には200枚超の画像データが登録されている。
(本日配付されたマップに示されたポイントは5箇所だったので、歩行中の位置を詳細に確認するための情報として、地名板、バスのりばなどの画像が多くなり、ここまで膨れ上がってしまった。)
清流宮川の源流部から海まで歩こう!と題する宮川ウォーク・右岸(宮川流域案内人の会主催行事)の第2区間に参加した。今回の集合場所は大台町役場、前回のゴールであるカラスキ谷公園までバスで移動した後にウォークが開始された。
【大台町役場、スタート】
大台町役場前から国道42号へであるとすぐ近くの大台警察署前交差点を右折。
途中から本日歩くルートを逆行してカラスキ谷公園へ向かった。大井の水車がある大井集会所付近をパチリ。
【カラスキ谷公園】
カラスキ谷公園へ到着すると挨拶、簡単な説明、準備体操の後、
宮川ウォーク・右岸の第二区間が開始された。
宮川では昨日(5月17日)に鮎釣りが解禁されたため、川には釣り人の姿・・・。
左手に地蔵尊を見ながら軽快に進んだ。(歩いていると車移動で見落とすものを見つけることができる。)
【ここから大台町 滝谷(たきや)】
しばらくは宮川の左岸を歩くことになる。
【大熊橋】
大熊橋を過ぎてから
しばらく進むと川に注目し、説明が始まった。
川にある岩には穴が空いているものがある。これらは凹穴と言われ、川の流れが手伝って小石がコロコロと穴を穿った結果に作り出されたものだそうだ。。
この付近は落石防護柵も道路も擁壁も全てが新しくなっている。
みづたにばし(漢字の名前は?)を渡ると下流側には
宮川上流漁業協同組合がある。
宮川上流漁業協同組合付近でトイレ休憩。
ここから先に見えると滝水橋へ向かうと途中、宮川をパ〜チリ。
来た道を振り返ると新しいトンネル工事のために仮設道路が作られただけで利用されずに放置されていた。
滝水橋へ近づくと
直線方向は「通行止」、この先にある古い八知山トンネルは幅が狭く、高さが低いため、最近のバスや重機(大型ダンプ)などが通過できない、さらに崩落の危険があるために閉鎖されているとのこと。現在、トンネルへの経路には土砂が山積みにされていた。
【参考】 通行可能だった頃の姿は、次のサイトに詳しく紹介されている。
【滝水橋】
ここで右へ折れると滝水橋で宮川の右岸へ渡った。
滝水橋の上からパチリ、パチリ。川の変化を楽しむために、この風景を覚えておこう。
【ここから大台町 大井(おおい)】
滝水橋を渡るとその先は大台町大井である。
滝水橋の下流側左岸をパチリとしてから先へ進むと
【カガスリ、滝谷の川岸岸壁植物群落】
案内人による説明が開始されていた。
そこには「天然記念物 滝谷の川岸岸壁植物群落」の説明板。
ただし、ここには今回のマップでポイントとして示されている『カガスリ』の文字は見られない。先に紹介したブログにも書かれているように、八知山トンネル付近、宮川側の岸壁にはトンネルが掘られる前に利用されていた細い道があるそうだ。この道は生木を掴みながら踵を壁に擦らしながらでないと歩けない程に狭くて危険な場所で、『カガスリ』とは呼ばれているとのこと。
この説明板の左手には「八知山谷出合」の案内板があり、
その先を望むと滝が見える。名前は「うおどめの滝」とのこと。(時間があれば近くで見たかった。)
緑眩しい直線を先へ進むと
左手には目立たぬように木の枝に「きらら出合」の案内板が掛けられていた。
ここは一目見たいと思い、(同行者に一言告げた上で)川原へ出ると
対岸には立派な滝が落ちていた。こちらは不動滝とのこと。
ウォークの集団の最後尾に追い付くと大台町営バスと対向。
そして右手には前回のウォークの際に車でカラスキ谷公園へ向かい途中に立ち寄った小祠、お参り。
さらに、落滝の庚申さんにもお参り。
春日谷不動尊の案内板を右手に見ながら進むとその先にある
【新春日谷橋】
新春日谷橋付近では
説明が開始されていた。私が春日谷公園、森の番人への案内板の前へ到着した頃には説明の終盤で「開かずの間」の言葉だけが頭に残っている。結局ここでの説明は???の状態のままだ。
なお、先ほど渡った橋も宮川に架かり左岸へ渡る橋も橋名が共に「新春日谷橋」となっていた。?
不思議な気分で新春日谷橋を後にすると、さらに右岸を下った。
前方(下流側)には赤い橋も見えてきた。
足元にはこんな落石も。小さいものだが直撃されたらお陀仏だ。注意しよう!
そして、コンクリートシェッドを通過。
何となく、芸術的な構造物だ。
ここから、バスのりばに注目した。
【大台町営バス 上大井 バスのりば】
路線の系統図は年季が入っていた。
水路から流れ落ちる水の冷気と音を感じながら、日差しが照り付ける暑さを一瞬でも忘れることができた
先頭が右へ曲がった。
【大台町営バス 大井 バスのりば】
曲がった方向には大井集会所があり、水車がある場所だった。また、スタート地点までバスで移動する際にパチリとした場所でもあった。
隣の掲示板には、「夏の祈年祭(領内神社)」「水子地蔵尊供養(龍翔寺)」の掲示があった。
【大井の水車】
先頭に続いて進むと水車が作られた広場では、この水車を作った「ふるさと大井の明日を語る会」のバーベキュー(親睦会?)が開かれていた。代表の方の話によると新たに作った水車の直径は2.5mで今後はホタルを育て、水車で電気を作る計画があるとのこと。
こちらがその水車。大きくて迫力がある。
大井の水車を後にすると有限会社 大原木材の横を通り、
【大台町営バス 下大井 バスのりば】
その先にある分岐で、振り返ると「500m←おおーい!水車くん」の案内板があった。
縦長になった宮川ウォーク一行は順次大台町南に入った。
【ここから大台町 南(みなみ)】
宮川に架かる久保井戸橋を左手に見ながらさらに進むと
島谷橋で島谷川を渡った。
【島谷橋(島谷川)】
島谷川の上流側はいい雰囲気だ。
右手に、龍頭山登山道の道標、
左手てに「久保井戸」の地名板。
文字通り、右岸のウォークを続けると
【大台町営バス 南滝口 バスのりば】
南滝口 バスのりばを過ぎたあたりで頭上から犬に吠えられた。
風呂の谷橋を過ぎると
【風呂の谷橋】
その先でY字路となる。
ここには「ここは南 ←小滝」の案内板がある。小滝方向へ向かい、
橋を渡った。
【旧領内橋】
実はこの橋に親柱などが無く、橋の名前が分からなかった。
橋上で案内人から説明を受けていると歩行者の脇をすれすれに軽トラックが渡って行った。
橋の上から宮川の上流側をパチリ。
橋を渡り終えて先へ進んだところカーブミラーの下に橋の名前を発見した。
この橋は旧領内橋だった。
橋を渡ったので右岸から左岸へ移動してしまった。道なりに進むと領内郵便局を右手に見て、
【大台町営バス 小滝 バスのりば】
そして、
【大台町営バス 領内地域総合センター前 バスのりば】
に到着。
バスのりばの隣にある大台町役場 領内地域総合センターで昼食の休憩となった。
【大台町役場 領内地域総合センター】
この場所は、合併する前の宮川村の領内小学校だった。校門は今も残されていて
当時の小学校の名前も残されていた。『宮川村立領内小学校』
涼しい風が吹いていたので、校門の階段で恒例のおにぎり三個を頬張った。
早々に昼食を終えると休憩時間にもかかわらず、周辺を散策した。校門の正面右手、プールの方向にある「はか瀬」の案内板が昼食中から気になっていたので、まずはその方向へ・・・。
案内板の矢印に従って、プール脇の坂道を下ると段々の田んぼが広がっていた。田の周囲には獣害防止用の電線が張られていた。川の方から滝の音が聞こえていたのだが、どこから川に近づこうか?
坂を下って右手方向に資材置き場らしい広場があったので、そこへ入らせていただいてパチリ。かなり立派な滝が落ちていた。滝を見て、聞くことはできたが「はか瀬」については?のままだった。
休憩時間も残り少なくなっていたので、先ほどの校門まで戻ると校門からグラウンドに向かって右奥にお寺のような雰囲気を感じた。
時間を気にしながら急いで近づくと雰囲気のいい急な石段が続いていた。思わず、トントントンと駆け上がってしまった。
その先にはこんな雰囲気だった。正面に御堂があり、左手には小さな祠が並んでいた。寺名は分からなかった。
そろそろ出発の時刻が近づいてきたので領内地域総合センターの前まで戻ると「大台町役場領内出張所」の看板を見つけた。出張所でもある?
定刻になり、宮川ウォーク・右岸 第二区間、午後の部が開始され、
「この先→唐櫃(からと)」の地名板の先で橋を渡った。
【この先→唐櫃(からと)、新領内橋】
橋の上からパチリ、パチリ。
この橋は新領内橋だった。先ほどの橋が旧領内橋だったので納得。
再び、宮川の右岸を進むと
【大台町営バス 上唐櫃 バスのりば】 を過ぎ、
茶畑も現れた。
この案内板、宮川方向に矢印が描かれているが名称が読み取れなかった。ただし、この案内板のすぐ下には微かな踏み跡があり、その跡は川の方へと下っていた。探索はできないままこの場所を後にした。
立派な蔵を右手に見ながら先へ進むと
この辺りではこれから田植えとなる田んぼも多かった。
スクールバスのりばが併設された
【大台町営バス 唐櫃 バスのりば】
その先ではY字路となり、左へ進んだ。
【唐櫃谷橋】
唐櫃谷橋では説明が始まった。私も何とか追いついて話を聞くことができた。この橋の上流側には山神が祭られている。
以前、山神の由緒等が書かれたものが大水で流されて鳥羽の答志島に辿り着いたことがあったそうだ。
上流側をパチリ。
唐櫃谷橋を後にすると
左手に次の看板が立っていた。『LIFE STYLE』とあり、雑貨&ワークショップのようだが自家製の天然酵母のパンも販売しているとのこと。ただし、営業日は限定されているようなので注意が必要だ。
続いて、大台町熊内(くもち)へ入った。本当の地名は難しい。
【ここから大台町 熊内(くもち)】
しばらく進むと
右側に水路が現れた。(ここからはかなりの距離に渡って水路が続いていた。)
左手には昔ながらの原風景が広がっていた。なお、家々と山との間には宮川が流れている。
そして、右手には牛小屋。
目が合ってしまった。パチリ。
牛小屋を過ぎると熊瀬橋、天ヶ瀬方向の案内板。
ここは、熊瀬橋南 バスのりばでもある。
【大台町営バス 熊瀬橋南 バスのりば】
川が見えない状態でさらに進むと
大台町茂原(もはら)。この地名板の先を左方向へ進むと天ヶ瀬の渡し跡がある。
【ここから大台町 茂原(もはら)、天ヶ瀬の渡し】
渡し跡へ向かわずにこの道路沿いでの説明となった。この渡しのルートは魚の道でもあったとのこと。
振り返ってパチリ。右手方向へ進むと天ヶ瀬の渡し跡へ行けるそうだ。一度行ってみよう。
ウォークはさらに進み、
東部簡易水道茂原滅菌施設を通過。
【深谷橋(深谷川)】
深谷橋で深谷川を渡ると
右手方向の高台にリゾートホテルのような建物を発見。
これらの建物は大台町立宮川小学校。それにしても立派だ。
小学校の左方向、私たちが歩いている道路から続く坂道の上には大台町立宮川中学校がある。中学校は普通の建物のようだ。
田んぼに挟まれた道路をさらに進むと
大台町消防団 第四分団茂原班の車庫の先には
茂原集会所 バスのりばがある。
【大台町営バス 茂原集会所 バスのりば】
また、この近くには「総門山牛飼いコースへ 0.4km」の道標がある。
道標の矢印の先はこちら。
道路沿いの自動販売機は人気者になっていた。「暑い、暑い!」
左前方には、三重県立昴学園高等学校の校舎が見えた。
茂原 バスのりばの先には
【大台町営バス 茂原 バスのりば】
ここにも「総門山牛飼いコース登山口へ」の道標がある。
その先で、三重県立昴学園高等学校の校門を過ぎると
前方の左手には赤い橋、荻原橋が架かっている。
【荻原橋】
橋を渡るとその先は対岸の江馬だ。
今回のルートでは、荻原橋とは反対側、右へ曲がった。そこには「ここから大台町 薗(その)」の地名板がある。
【ここから大台町 薗(その)】
地名版の先右手にはこの階段があり、その上には板羽稲荷が祭られている。
階段の下には、板羽稲荷参道の道標が建っている。
奥伊勢フォレストピアへ向かい進むと
この三叉路に到着。
左方向には薗橋があり、奥伊勢フォレストピアをピストンしてからこの橋を渡る。
まずはこの案内板に従って、右へ進んだ。
目の前には「奥伊勢宮川温泉→」の案内板がある。
水路に沿って700m・・・。
【奥伊勢フォレストピア】
途中で、陶工房・陶芸教室の先を左へ入った。
奥伊勢フォレストピアでしばしの休憩。
集合写真を撮影するとウォークが再開された。
奥伊勢フォレストピアを出ると
先ほどの三叉路まで黙々と戻った。
三叉路付近にある「奥伊勢宮川温泉→」の案内板まで戻ると近くに小祠を発見、お参り。
すぐ近くの薗橋を渡ると三叉路を背にした。
【薗橋】
ここの案内板にも「総門山」の文字があった。
この付近でも昔ながらの原風景を感じながら歩いた。
歩きながら足元で見つけたマンホールの蓋をパチリ。
途中で振り向いてパチリ。
一般の登山者には関係がないと思われるが、NHK宮川薗TV中継所登山口の道標が建っていた。
薗小阿瀬 バスのりば。すぐ脇には水路が続いていた。
【大台町営バス 薗小阿瀬 バスのりば】
この先で大台町 清水(しょうず)へ入った。
【ここから大台町 清水(しょうず)】
振り返るとこの地名板の裏側は今まで歩いてきた薗(その)。
清水(しょうず)に入ると左手に参加者が集まっていた。どうやら皆が見下ろしていた。(?)
この下方には湧き水。冷たくて美味しい。参加者は空になった容器に清水を詰め込んでいた。私も。
ここにはいもりの姿も見えた。
清水 バスのりばを過ぎ、
【大台町営バス 清水 バスのりば】
先へ進むと
この道路標識があり、
「奥伊勢フォレストピア 手前3km」の案内板に辿り着いた。奥伊勢フォレストピアから3km歩いたのだ。ゴールまで残り少し。
緩やかな坂道を進むと、この場所を左方向へ進むとこの先には本田の渡し跡がある。
【本田の渡し跡への分岐】
笠木峠から本田の渡しへのルートでは魚が運ばれ、ここでは魚と米が物々交換されていたそうだ。魚を運んできた人々は現金ではなく米を求めた。それは昭和の初めのことだったそうだ。
大台町赤滝(あかたき)へ入ると
【ここから大台町 赤滝(あかたき)】
田んぼの水面に反射する太陽の光が眩しかった。
縦長になった列は黙々と進み
私の後ろには誰もいなくなった。
こんな風景が繰り返されると
【大台町営バス 赤滝 バスのりば】
大台町菅木屋(すがごや)へ入ると
【ここから大台町 菅木屋(すがごや)】
彦谷橋で彦谷川を渡った。
【彦谷橋(彦谷川)】
緩やかな坂道を進むと
見慣れた注意警告板が現れた。宮川の下流にも設置されているので自宅周辺でも見かけるものだ。ダムからの放流開始時または異常洪水時に鳴らされるサイレンのパターンを示すものだ。宮川の近くであることを意味しているが、ここからは川の姿を見ることはできなかった。
立派なバス停の建物がある菅木屋 バスのりばを過ぎると
【大台町営バス 菅木屋 バスのりば】
ここは直進。
左手に立派な橋(橋名?)を見ながら通過して
この場所で小休止となった。水分を補給して最後の追い込みに備えた。
「ここから大台町 上菅(かみすが)」の地名板を過ぎると
【ここから大台町 上菅(かみすが)】
左手に宮川が一瞬見えた。
さらに進むと
十字路(?)で左折。
この付近にも原風景を感じた。
その先はしばらく茶畑が続いた。
この場所の左下方にも祠が祭られていた。遅れていたので立ち寄らずに一行の後尾を追った。
「通行止め予告」のある菅合橋を渡ると
大台町 下菅(しもすが)へ入った。
【ここから大台町 下菅(しもすが)】
この付近で宮川を望めた。思わずパ〜チリ。
大台町川合(かわい)へ入ると左手には三瀬谷ダムへと続く分岐があるが、
【ここから大台町 川合(かわい)】
今回は直進し、三重県企業庁三瀬谷発電管理事務所の前を通過した。
三重県企業庁三瀬谷発電管理事務所を通り過ぎてから三瀬谷ダムをパチリ。
【三瀬谷ダム】
さらに下流側に架かるJR紀勢本線の宮川橋梁もパチリ。
【JR紀勢本線 宮川橋梁】
この先には目指すゴールである大台町役場がある。
さらに、パチリ。
JR紀勢本線の線路を越える川合跨線橋にてしばらく列車の通過を待ったが現れる気配が無かったので
【川合跨線橋(JR紀勢本線)】
最後に一枚パチリとして川合跨線橋を渡った。
ゴールはすぐ近く。「ここから大台町 滝原(たきはら)」の地名板の先で
大内山川に架かる滝見橋を渡った。
【滝見橋(大内山川)】
橋の上から下流側を望むと大内山川と宮川の合流点が見えた。合流点は何でも興味深い。
滝見橋を渡るとそこは国道42号 船木大橋南交差点。
道路の向かい側には瀧原宮お白石持行事の幟が立てられていた。
信号が青になると横断歩道で国道42号を渡ると
国の登録有形文化財に登録されている船木橋へと向かった。
【船木川】
【参考】 船木橋(宮川)について
手摺の一部が破損している船木橋から宮川の下流側をパチリ。
船木橋を進むと
左手には新船木大橋の下からJR紀勢本線の宮川橋梁、さらにその奥には三瀬谷ダムが望める。
船木橋を後にすると国道42号と合流。
やっと、大台町役場まで戻ってきた。
予定時刻を大幅に過ぎ、午後5時50分の到着となった。ここを出発してから約9時間、長い一日だった。
【大台町役場、ゴール】
案内人および事務局の皆さんありがとうごさいました。また、ウォーク参加の皆さんお疲れ様でした。今回が最長の区間だったので、この後は楽勝?
6月14日に第三区間でお会いしましょう。
では、また、