白鷺伝説発祥の地、瀬戸ヶ淵の笈掛け岩(津市白山町北家城)

2015年03月07日(土) 白鷺伝説発祥の地、瀬戸ヶ淵の笈掛け岩(津市白山町北家城) (車、徒歩)

津市白山町に伝わる白鷺伝説にまつわる白山比咩神社七社、七白山めぐりの途中で、白鷺伝説の発端となった場所である瀬戸ヶ淵の笈掛け岩へと向かった。

 

七白山めぐり企画委員会が作成した「白鷺伝説 七白山めぐり」のしおりには

大正時代、七白山(倭、川口、八対野、山田野、家城、竹原、飯福田の神社)にお詣りすると、加賀白山にお詣りするのと同じご利益があると言われ、盛んにお詣りされていました。

とあり、「白鷺伝説」について次のように説明されている。

白鷺伝説
往昔、家城村の住人家城与左衛門の息子で円乗坊という高僧あり珍徳上人という。天文22年(1553)正月24日の夜、「明年二月加賀白山は火災で焼失してしまうから、それまでに天照大神のいます地に移りたい。」という夢のお告げを感じ、北斗七星が南方の空に点々と輝くのを見た。円乗坊は夢告にこたえてすぐにも加賀へ行きたいと思ったが、北陸は雪のさなかであるので雪が少なくなるのを待って、三月上旬、白山に詣でて七日七夜の祈願をこめた。七日目の夜、神様のお告げがあり、翌朝みると笈の中に御幣が七本立っていた。これこそ霊夢の験であると感じて、神前にぬかずいて後、笈を背負って帰国の途についた。故郷へ立ち寄って年老いた母にあうために家城の近く雲出川の瀬戸ヶ淵の岸で路傍の石に笈をおろし暫し疲れをいやしていた時、にわかに笈が前後にゆれ動いて中から七羽の白鷺が飛び立った。白鷺は神の使者である。それが七羽というのは、さきに霊夢で見た南方に輝く北斗七星と同じ意味であると感じて、その七羽の白鷺がおり立ったところへ白山神社を建てようと念願した。白鷺がおりた所は小倭の風神の森、井生川口の境、八対野、山田野、家城、竹原、飯福田の七ヶ所で、この地に同時に社殿の建立にとりかかった。そして、加賀白山の御分霊を奉斎したと伝えられている。

白鷺三様伝説
このしおりは、「白山妙理大権現本記」による伝説をもとに作成しました。「山雄田興廃記」による説、「勢陽雑記」による説もあります。

【引用】 「白鷺伝説 七白山めぐり(七白山めぐり企画委員会編)」のしおり より

 

家城神社を後にしてJR名松線をくぐり県道15号へ出ると左方向(川口の白山比咩神社方向)へ少し戻った。

雲出川に架かる瀬戸ヶ淵橋が見えてくるので踏切を渡ると広場がある。そこに車を駐めると右岸を歩いてところ東屋の隣に次の石碑が建てられていた。

瀬戸ヶ淵の説明板(津市白山町南家城)

瀬戸ヶ淵の説明板(津市白山町南家城)

 

さらに下流方向を探したが、笈掛け岩を見つけることができず「どうしよう?」状態となった。

瀬戸ヶ淵(雲出川)

瀬戸ヶ淵(雲出川)

 

「もしかすると対岸にあるのかも?」と思い、橋を渡ると左岸へと向かった。橋の途中でそれらしきものを発見!

瀬戸ヶ淵橋(雲出川)から望む瀬戸ヶ淵

瀬戸ヶ淵橋(雲出川)から望む瀬戸ヶ淵

 

しかし、その場所へと続いているのは田んぼの畦道。「これはどうしよう?」

瀬戸ヶ淵橋(雲出川)から望む左岸

瀬戸ヶ淵橋(雲出川)から望む左岸

 

と思いながら橋を渡ってさらに進むと、こんな立派な案内板が立っていた。田んぼの畦道ではなく、

「白山伝説円乗坊(鎮徳上人)の像入口」の案内板

「白山伝説円乗坊(鎮徳上人)の像入口」の案内板

 

こちら、民家の裏側を抜ける道があったのだった。この道を奥へと進むと

「白山伝説円乗坊(鎮徳上人)の像入」への小径

「白山伝説円乗坊(鎮徳上人)の像」への小径

 

その先には、「白山伝説円乗坊(鎮徳上人)の像」、その近くには笈掛け岩があった。何とか辿り着くことができた。

白山伝説 円乗坊(鎮徳上人)の像と笈掛け岩(津市白山町北家城)

白山伝説 円乗坊(鎮徳上人)の像と笈掛け岩(津市白山町北家城)

 

なお、像の下には先ほど紹介した白鷺伝説と同じ内容が「白山伝説」として記されていた。

白山伝説の説明板

白山伝説の説明板

 

その後は、白鷺伝説 七白山めぐりの六社めである竹原神社(津市美杉町竹原)へと向かった。

 

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