2015年10月17日(土) 賀多神社の御遷宮、川原大祓・遷座祭(鳥羽市鳥羽) (車、徒歩)
式年遷宮の準備が進められていた賀多神社(鳥羽市鳥羽)では、9月6日にお木曳き・お白石持ち行事を終え、いよいよ御遷座の時を迎えた。(撮影について事前に確認したところ、遷座祭を含めて問題なしとのことだったので、記録に留めるためにここで紹介することにした。)
【参考】
- 式年遷宮の準備が進められる賀多神社(鳥羽市鳥羽) 2015年08月23日
- 賀多神社の式年遷宮、お木曳工程と順路(鳥羽市)の確認 2015年08月23日
- 賀多神社 お木曳・白石持ち(鳥羽市鳥羽) 2015年09月06日
遷宮祭 於 賀多神社
平成27年10月17日(土)
川原大祓(12:00)
遷宮祭(16:00)
川原大祓から拝観するため、11時20分頃には賀多神社へ到着した。
参道を進むと式年遷宮のポスターに加え、翌日の奉祝祭(組立式能舞台での薪能)のポスターも貼られていた。
手水舎に心身を清めるとお参りするために拝殿への階段を進んだ。
大雨となったお木曳きとは打って変わり青空が顔を覗かせていた。
拝殿には川原大祓にて運ばれる威儀物が準備されていた。
左方向の仮殿に向かってお参りを済ませるとこれらを拝観した。
しばらくすると威儀物の各所役が集まってきた。
【川原大祓】
各所役は掛明衣をたすき掛けにするとマスクと白い手袋を受け取った。
各人が手水舎にて心身を清め、賀多神社の宮司が最後が手水を受けると
翌日の奉祝祭のために準備された組立式能舞台と社務所の間に整列した。社務所側には神職、氏子総代、さらに能舞台側には威儀物の各所役が。
造営委員長の挨拶に続き、今回奉仕する神職が紹介された。
奉仕する神職は、賀多神社宮司をはじめとして菅島神社、土宮神社、若宮神社、浦神社、(船津)八幡神社の各宮司というそうそうたる方々だった。(本日の禰宜役は八幡神社宮司)
深揖の後、
祓所への参進が開始された。
祓所では祓詞に続き宮司以下祭員等が大麻および御塩により祓い清められると
川原大祓のために威儀物を召立てが開始された。川原大祓の祭場となるのは伊良子清白家住宅兼診療所が再移築されている鳥羽マリンパークだった。(なお、以前は浜辺まで行っていたと古老に聞いた。)
召立文が読みあげられると
担当する各所役が「お(う)ぉー」と警蹕で応えてから威儀物や奉遷用具などを受け取ると拝殿前に石段を下りて社務所前に整列した。
川原大祓の列が整うと
祭場となっている鳥羽マリンパークへの参進が開始された。
【動画】 1分30秒( 7.4 MB )
賀多神社を後にすると
鳥羽の町並みを威儀物等を捧持する参進の列が悠々と・・・
この角を曲がると
その先に鳥羽マリンパークがある。
参進の列は鳥羽マリンパークへと到着。
鳥羽マリンパークの中には四本の忌竹で囲われた祭場が準備されていて
伊良子清白の家を背にしたテントの下では
白布が敷かれた台の上に威儀物等が並べられた。
宮司、祭員らが整列すると
注連縄が巻かれた桶には海水が注がれた。
続いて、大祓詞が奏上された。
続いて
大麻による祓いは 威儀物等、
宮司、
祭員、
氏子総代、
威儀物の各所役。
さらに、われわれ拝観者も。
大麻の祓いに続き、御塩にて清めを受けた。
以上で川原大祓が終了すると召立が開始された。
こちらでも役名と氏名が
読み上げられると警蹕にて応え、威儀物等を受け取ると
各員が所定の位置へと列んだ。鳥羽マリンパークからはすぐ近くに近鉄志摩線を望める。
すべての準備が整うと
川原大祓の祭場である鳥羽マリンパークから賀多神社への参進(退下?)が開始された。
こんな感じ。
【動画】 1分17秒( 6.1 MB )
こちらは祭場に立てられていた看板。
予定では祭場にて休憩するはずだったが、結局は休憩もせずに神社へ戻ることになった。そのため、お茶を準備していた女性陣は神社まで持ち帰ることになった。(祭典では予定変更はよくある話、お疲れさまです。)
神社へ戻る際も悠々と・・・。
対向する車のゆっくりと走っていく。こんな光景に出会えるのはラッキーなことだが、どう感じていたのだろうか?
ついに神社へと到着。
大祓を受けたすべての人と物が賀多神社へ戻ると
威儀物等は拝殿の下へと戻された。
宮司、祭員、氏子総代と各所役が対面し、深揖を終えると川原大祓は終了となった。
御遷宮の最重要祭儀である遷座祭の予定は午後4時からであったが、かなりの前倒しで進んでいたため午後2時半からの開始となった。約1時間ほどの休憩、待機となった。
私は賀多神社を後にすると鳥羽みなとまち文学館を見学してから先ほどの祭場を往復してきた。
【御遷座】
午後2時半前に賀多神社へ戻ると
遷座祭を前にして
記念写真の撮影となっていた。
各奉仕員が対面すると深揖、ついに遷座祭が開始された。
拝殿下左手にある祓所への参進。
祓詞の後、大麻と御塩による修祓が執り行われた。
修祓を終えると宮司、祭員および氏子総代は拝殿の左手、仮殿前へ、各所役は本殿と拝殿の間へ移動した。
宮司一拝に続き、仮殿の開扉で遷座祭は開始された。
宮司は仮殿にて祝詞を奏上すると
本殿の殿内に参入した。
こんな雰囲気のなか
絹垣等が準備されると
仮殿前へと移動。ついに出御となり仮殿を出た御は絹垣内へと包まれると本殿への渡御となった。
絹垣等に囲われた御は本殿へと参入、入御となった。
この後、数度繰り返された。(御祭神の座数だけ繰り返された?、数えきれないでいた。)
御遷座が終了すると、威儀物等が殿内へと移された。こちらでも召立に応じて警蹕で応えると
順次・・・
召立は続いた。
私の予想に反し、御遷座の拝観者は数えるほどだった。
少数の拝観者に見守られるなか、召立は続いた。
そして、ついにすべての物が殿内へと移されると
舗設が速やかに片付けられた。
御遷座が終了すると
献饌。
御遷座後、初めて本殿に神饌が供された。
宮司による祝詞奏上に続き、玉串奉奠。
祭員、
・・・
玉串奉奠が終了すると撤饌。
少しずつ拝観者が増えてきた。やはり、前倒して進められていたから予定時刻になって集まってきたのだろうか?
そして、本殿の閉扉。
最後に、宮司一拝。
拝殿から石段を下ると
深揖にて遷座祭は終了となった。
【御遷座を終えた賀多神社】
御遷座を終えた賀多神社にお参り。
拝殿の下には太鼓と案と三町の提灯のみが残されていた。
『本町』『大里町』『岩崎町』
(皆さん、お疲れさまでした。)
【 20151017 の記録 】
- 御遷座まであと一週間の松下社(伊勢市二見町松下)
- 賀多神社の御遷宮、川原大祓・遷座祭(鳥羽市鳥羽)
- 御遷宮奉祝祭のためによみがえった百六十年前の「組立式能舞台」(賀多神社)
- 御遷宮を終えた賀多神社を後にして