2015年11月15日(日) 御遷宮の準備、船木神社(度会郡大紀町船木) (車、徒歩)
国道42号を折れて多岐原神社へ向かう途中、この幟を確認していた。多岐原神社でのお参りを終え、三瀬の渡し跡に寄り道してから大台町役場へ向かうとこの前を通過・・・しそうになったが、この幟の意味を確認せずにはいられなかった。『都に続く縁の道を歩く』〜さあ!まいこましてここかぁ〜パート3の集合時刻は迫っていたが間に合わないことはない。この近くに車を駐めると船木神社への参道(坂道)を歩き始めた。
実は、船木神社の存在を知ったのも偶然で、この参道にもっと背の高い幟が立てられているのを目にしたからだった。そんな目印がなければ、この先に神社が鎮座していることに気付くことはないだろう。
【参考】
- 船木神社 2011年02月20日
何度か訪れた参道を急ぎ足で進むと
この辺りから坂道は一気に急になる。幟の間隔が狭くなり神社が近づいてきた。
左側の社殿にはブルーシートが掛けられ、前方ではブルーシートが道路を横断していた。
その道路を横断しているシートは社務所へとつながっていた。
社殿側を確認すると鳥居が建て替えられ、幄舎の柱も建て替えられていた。
社殿の向かい側にあるこの場所は餅まき台だろう。
坂道をさらに登り、情報から確認するとブルーシートはこのように掛けられていた。これはまさに雨儀廊だった。
社務所を確認すると、その前には賽銭箱が置かれていた。こちらが仮殿になっているのだろう。そう判断した私はこちらにてお参り。
社務所に掛けられた札を確認するとそこには「舩木神社社務所」とある。『舩木』と記されていたが、以前に見かけた幟や掲示には『船木』と書かれていた。ここでは「船木」を使用することにした。
私は「御遷座はいつだろう?」との疑問を抱えながら船木神社を後にすることになった。
帰り際に社務所の脇に置かれていた古材に気づいた。
急な坂を下りきった付近からの風景。今はこの上を紀勢自動車道が走っているため、高架の橋脚で視界が遮られているが、以前は神社から船木の家並みを一望できたのだろう。
車へ戻って走り走り始めたが、ほどなく船木神社を遠望できる付近でまたまたの寄り道となった。
それは船木集会所の前だった。
集会所の前には榊や松の枝が置かれ、男性が榊の長さを揃えて準備していた。これは祭典の準備だと判断して車を停めると男性にすかさず「新聞屋さん?」と尋ねられたので、「いえ、個人的に神社をお参りしてます。、さきほど船木神社にお参りさせていただいたらブルーシートが掛けられていて・・・」と尋ね返すとその質問に「今日の午後1時から御遷宮・・・」の回答。
集会所のなかでも作業が進められていた。
この男性に撮影の許可を得てパチリ。餅つき機も置かれていた。
遷座祭とともに奉祝祭も斎行されたのかもしれない。
とにかく、この記事が投稿された時には、すでに御遷宮は終えられていることだろう。