2016年07月03日(日) 神前普請、潜島の注連縄張り替え(神前海岸) (車、徒歩)
国道42号側から神前海岸(伊勢市二見町松下)の堤防道路を進むと
その突き当たりには
こんな案内板が設置されている。
神前(こうざき)海岸と潜島(くぐりじま)
Kozaki Coast Kugurijima神前海岸は海水や磯波の激しい侵食によってできた岩石海岸で、各所に急峻な海食崖が発達しています。崖面にみられる断層や節理と呼ばれる天然の割れ目などの弱帯には、立石崎の天の岩屋を始めとする海食洞が形成されており、特に神前岬の潜島は唯一の海食洞門を成しています。
この潜島は神格化されており、旧暦6月1日頃になると村民総出で注連縄(しめなわ)を作って洞門へ懸け替え、家内安全を祈願しています。
潜島はこの先800mですが大潮の干潮時でないと行くことができませんので潮時にご注意ください。
以前にこの説明板を見つけて何度か潜島を訪れたことがあった。ただ、注連縄の張り替えを拝観したことはなかったので、今回が初体験となった。
なお、この説明板には「潜島」「注連縄」「懸け替え」のキーワードが記され、家内安全を祈願するとある。現在はこのように家内安全祈願が主な目的となっているようだが、この注連縄の張り替えには重要な歴史があったようだ。そのことを知ったのは、神宮神田の隣にある四郷地区コミュニティセンターでの企画展を拝見した時だった。
【参考】
その企画展のお知らせをこちらに再掲する。
四郷地区コミュニティセンター企画展のお知らせ
美し国・伊勢志摩の海の幸を天照大神に奉納する
「贄海(にえうみ)神事」と四郷
贄海神事は、建久3年(1192年)に内宮権禰宜荒木田忠仲が撰録し、寛正5年「1464年」に内宮一禰宜荒木田氏経が改訂補足した「皇大神宮年中行事」 に記録として残されています。6月の月次祭の前に、内宮の禰宜らが未明に御正殿を参拝のうえ、斎館から出発し、騎馬で五十鈴川沿いの楠部・鹿海の数か所を 巡り神事を行い、鹿海の船津(三本松)の渡しからは鹿海の海士(あま)大井さんら数名が操船する屋形船に乗船、小朝熊神社を船上から遥拝し、五十鈴川の支流・江川を下り、二見の神前に上陸しました。そこで禊ぎをし浦々島々の神々を祀り、潮の引くのを待って、御饌(みけ)嶋に渡り、牡蠣(かき)、海松(みる)などを採取しました。その後神前にある朝熊の人々らによって建てられた仮屋で、小浜の海士らによって用意された鯛などで饗膳し、御贄は楠部・鹿海の 人々によって作られた苞(つと)に入れ内宮由貴殿に奉納されました。
贄海神事は明治の初め廃止され、神事が行われたあたりでは「神前普請(こうざきぶしん)」といわれた道普請は行われなくなりましたが、今も潜島(くぐりし ま)の洞門には神事の場所を清浄に保つため注連縄(しめなわ)を張る行事は、松下の人々によって連綿と受け継がれています。
最後の海士を務めた大井瑞枝さんから贄海神事について記録を残すことを依頼された神宮考証学の泰斗御巫清直が大井家に代々伝わる記録を基に明治25年に自筆で書き記した巻物などを展示していますので、是非ご覧ください。展示期間 6月1日~8月末日
展示場所 四郷地区コミュニティセンター地域交流室(伊勢市楠部町 伊勢市四郷支所併設)
展示物
・贄海神事を記録した巻物(原本)
・神事を行った経路図
・神都名勝誌に記された関係部分の写し など
また、神前普請とは、
神前普請(こうざきぶしん)
神前神社の下にある潜島(くぐりしま)は海蝕洞門で、贄海神事が執り行われた御饌島、笏立石などに隣接しています。
二見町誌には、「神前普請」と称し、この潜島までの岩道の道普請が、贄海神事の奉仕活動の一環として二見町松下地区の人々総出で、6月1日の潮を見計らって行ったとあります。
時代の推移とともに、道普請は行われなくなりましたが、現在でもこの日に、住民が総出で、贄海神事が行われた海岸に集結したのち、洞穴の前に大注連縄を張り替えています。大注連縄を張り替え続けることで、海岸の前の海はその昔神事が執り行われた神聖な場所であることを、松下の人々に語り続けられていくこと でしょう。
このように潜島は、神宮が6月の月次祭に際して御饌を採取するための重要な場所だった。こちら御饌を採取する神事は贄海神事と称され、二見町松下地区の方々は海神事の奉仕活動の一環として神職がこの地を訪れる前に潜島までの岩道の道普請を行った。贄海神事は明治の初めに廃止となり、岩道の普請など神前普請が不要となったが、その名残として潜島の注連縄張り替えが続けられていることになる。
(詳細はもっと調べる必要あり)
先ほどの説明板から堤防道路を引き返すと神前6号防潮扉から砂浜へ出た。わら束を手にした男性を見かけたので声を掛けると、潜島注連縄の張り替え奉仕に参加する地元の方だった。集合場所までさまざまなお話を聞かせていただいた。
張り替え開始まで時間があったので、私は潜島を現状を確認することにした。前方に小さく見える鳥居を目指すと
この付近から砂浜が岩場へと急に変化する。この鳥居をくぐるとその先は岩だらけ。
鳥居をくぐってから振り返るとその先には先ほど歩いてきた砂浜が広がっている。
鳥居を背にして潜島へ向うと
注連縄は切れて無くなっていた。
今日は穏やかだったが、満潮になり風が吹くだけでも注連縄への負担は計り知れない。
今は切れてしまった注連縄の痕跡を探すため、岩の上へ登った。こちらが痕跡だ。
注連縄の痕跡を後にすると先ほどの鳥居まで戻った。
鳥居をくぐると集合場所へ戻った。
潜島の注連縄張り替えは午前9時頃から開始されるとのことで、二見町松下の方々が20名ほど集まっていた。今回、奉納される注連縄は二本で、注連縄以外にも個人用に輪注連縄が奉納される。輪注連縄は二見興玉神社で奉献できるモノに似た形状である。家族の人数分を潜島の高い場所(波に流されないように)へ納めるそうだ。
こちらは輪注連縄を作っている様子。皆さん手慣れたものだ。
報道関係はZTVと三重テレビが取材に入っていた。松下区の区長である大西さんが「潜島の注連縄張り替え」について説明してくれた。
以前は、注連縄を奉納する人がわらを持参し、区の奉仕者の手により注連縄が作られた。(奉納する人がわらを提供し、その他の住民が手を貸した。)ところが、現在はわらの調達も大変は時代となり、奉納者が寄附金を提供し、松下区がわらを準備するようになった。
注連縄の長さは七尋半(11m余り)で以前は五本を奉納したこともあったが、今年は二本。そのうちの一本は個人の奉納で、もう一本は地下(区)からの奉納である。また、注連縄に付ける足は個人用が5本で、地毛用は7本である。
各注連縄には奉納者を示す木札を取り付ける。左側は個人用で右側の二枚が地下用。
さらに、注連縄作りを終えると張り替えに向かう前に昼(中)食として
醤油および酢で味付けした刻みあらめを口にする。
【潜島に張り替えられる注連縄づくり】
開始時間となり、まずは注連縄づくりが開始された。
わらを叩きつけて固い部分を柔らかくする。
前準備を終えたわらがどんどん編まれて・・・
注連縄の端を支えるのも大変そうだった。
個人用の注連縄も
地毛用の注連縄もどんどん形作られてきた。
海岸側からもパチリ。
こちらはわら束を流木に叩き付けた跡。束から飛び散ったわらは叩き付けられた点を中心に放射状に広がっていた。
区長さんは注連縄に取り付ける足の材料を準備していた。色を合わせて・・・
注連縄が編みあげられると
繊細な仕上げが待っていた。わらのひげをハサミでチョキチョキ。地道な作業でどこで止めるのか判断が難しい。注連縄は誰かが近くで見つめるものではないが、この作業は丁寧に進められた。
最後に足が取り付けられると注連縄は完成となる。
注連縄には表裏があるため、足としてのわらは注意深く取り付けられていた。
足を固定すると
最後の仕上げ。ザクリ!
注連縄がほぼ完成を迎える頃、
余ったわらは一か所に集められると火が点けられた。
個人用の注連縄に奉納者の木札が取り付けられると
注連縄づくりは終了となり、
注連縄は昼(中)食後に潜岩まで担いで運ばれる。その時のために適度な大きさに巻かれた。
地下用の注連縄も同様に仕上げられると
巻かれて
二本の注連縄が完成した。
完成した注連縄はひとまず休ませて置く(実はこの間に注連縄は御神酒で清めらてたそうだ。)と
奉仕者が軽い昼(中)食をとった。
各自、おにぎりを持参している方もいた。
ただ、重要なのは先にも紹介した
刻みあらめを口にすることだった。(私もふた口いただいた。白いご飯が欲しくなった。)
しばしの休憩を終えると
【注連縄の移動(潜島の注連縄張り替え)】
これから潜島まで注連縄が担いで運ばれた。
二本の注連縄はそれぞれの方(肩)に担がれると潜島を目指した。
順番に鳥居をくぐると
足元に注意しながら岩場を進んだ。
そして、前方に潜島(海食洞門)が見える場所で注連縄が下ろされた。
すぐに注連縄が張り替えられるのかと思ったが、その前には各人が手にしていた輪注連縄が奉納された。輪注連縄は海水で清められると
潜島のなるべく高い場所へと
納められた。
この時、偶然にも訪れた女性3人組は潜島を通り抜けてこの先の海岸線を歩いて行った。
【潜島の注連縄張り替え】
輪注連縄の奉納が終ると、潜島の注連縄張り替えが開始された。
一方の端に縄が結わえられると
岩の上に設置されている円柱形の柱まで引き上げられた。
さらにもう一方を引き上げるため
注連縄の他方を結わえるための縄がこちらの岩の上に引き上げられた。
左側を先に固定すると
注連縄のもう一方が結わえられて
引き上げられた。まずは個人用の注連縄が張られた。
(この写真は失敗、五本の足を撮しきれなかった。残念)
続いて、二本目の注連縄も引き上げられると
このように立派な注連縄が完成した。
最終の調整を終えるとひとり、ふたりと姿を消した。?
特に、「お疲れさま!」などの締めをするでもなく、ふわっとした感じの流れ解散だった。なんとも自然な流れだったことか・・・。
潜島付近の風景はこんな感じ。先ほどの女性3名は大丈夫だったのだろうか?
潜島のなかで先ほど納められた輪注連縄を確認し、潜島を通り抜けると
その先に見える飛島を遠望した。
潜島を潜り返すときにパチリ。
注連縄を改めて確認すると
潜島を後にした。
先の鳥居を過ぎると
日常に戻った感がした。先に帰途についた奉仕者の姿が小さく見えていた。
私は感慨にふけりながら神前海岸を・・・
この付近で知人と出会った。午前中は仕事だったので、張り替えられた注連縄をひと目でもみようと訪れたとのことだった。
これくらい潮が干かないと潜島は通り抜けられない。
堤防道路を戻ると
この分岐にて神前神社方向を遠望、しかしあの石段を登る気力はなく、松下社にお参りしてから帰途についた。