「古文書の会」のフィールドワーク、ブラッチェise ミニツアー パイロット版 宮後〜河崎1丁目(副題:伊勢山田廃寺編)

2016年07月10日(日) 「古文書の会」のフィールドワーク、ブラッチェise ミニツアー パイロット版 宮後〜河崎1丁目(副題:伊勢山田廃寺編) (徒歩)

本日は第二日曜日なので河邊七種神社(伊勢市河崎)の社務所で「古文書の会」が開催される予定だったが、17日に実施される河崎天王祭の準備で社務所も使用するため古文書の整理作業は中止となった。8月はお休みの予定だったので、次回(9月11日)まで間隔が空き過ぎてしまうため、急遽フィールドワークが実施されることとなった。

前回のフィールドワークは「古文書の会」代表である東出さんのガイドにより河崎環濠痕跡等を巡った。

【参考】

 

今回は千枝さん(中京大学 学芸員)が伊勢で展開するためにパイロット版を試行している「ブラッチェise」の ミニツアー が実施されることになった。

過去に実施されたブラッチェise ミニツアー パイロット版はこんな感じ。

【参考】

 

今回は「ブラッチェise ミニツアー パイロット版 宮後〜河崎1丁目(副題:伊勢山田廃寺編)」となり、予定ルートは次の通りだった。


氏社(河邊七種神社) → 川崎惣堀(河崎環濠痕跡) → 朧ノ池 → 無量寺跡等 → 養草寺(越坂寺町) → 辻ノ町 → 鍛冶屋垣外(元桜堂橋付近) → 宮後領川辺 → 墓域 → 中寺町 → 不動院 → 南町庚申 → 榎本三右衛門家等 → 岡村長四郎家等 → 村田仙右衛門家等 → 大西忠兵衛家等 → 魚市場跡 → 氏神


 

今回もパイロット版なので、正式版に対するネタばらしとならないように概要とトピックスのみを紹介する。

 

【氏社(河邊七種神社)】

午後1時30分に集合。参加者は20名ほどだった。

ブラッチェise ミニツアー パイロット版の集合(河邊七種神社)

ブラッチェise ミニツアー パイロット版の集合(河邊七種神社)

 

河邊七種神社の参道にて挨拶と本日の概説を終えるとまずは

河邊七種神社の参道(伊勢市河崎)

河邊七種神社の参道(伊勢市河崎)

 

【川崎惣堀(河崎環濠痕跡)】

河邊七種神社の石垣の回りに残された環濠跡の上を道なりに進むと車道へ出た。そして右へ・・・(河崎環濠痕跡については先に紹介したリンク 河崎環濠痕跡巡りツアー(伊勢市河崎) 2016年06月18日を参照)。

河邊七種神社周囲の環濠跡(伊勢市河崎)

河邊七種神社周囲の環濠跡(伊勢市河崎)

 

藪之世古(左は有緝小学校付近の環濠跡、右は河崎本通り)と直交して進むと廣峰神社旧跡にたどり着く。

河崎環濠跡を追って、藪之世古と交差(伊勢市河崎)

河崎環濠跡を追って、藪之世古と交差(伊勢市河崎)

 

【廣峰神社旧跡】

先日訪れた時は草だらけだったが、今は防草シートが敷かれその上には砕石が並べられていた。

廣峰神社旧跡(伊勢市河崎)

廣峰神社旧跡(伊勢市河崎)

 

整備された敷地の奥、注連縄が張られ小社が置かれている場所のみで地面が露出していた。なおこちらの旧跡では河邊七種神社の遷座祭にて川原大祓が執り行われた。

廣峰神社旧跡(伊勢市河崎)

廣峰神社旧跡(伊勢市河崎)

 

【参考】 その時の様子はこちら

 

【伊勢河崎商人館 サイダー濾過塔】

廣峰神社旧跡を後にすると伊勢河崎商人館の裏(?)門に突き当たる。前方に国の登録有形文化財であるサイダー濾過施設(塔)を望むとここで左折。

伊勢河崎商人館 サイダー濾過塔付近(伊勢市河崎)

伊勢河崎商人館 サイダー濾過塔付近(伊勢市河崎)

 

【河崎から船江へ】

道なりに進むと再び河崎環濠痕跡と直交した。

河崎から船江へ

河崎から船江へ

 

地名が河崎から船江へと変わると次の十字路を左折。

左折して船江交差点へ

左折して船江交差点へ

 

前方に見える 船江交差点で八間道路を横断した。

船江2-2、前方には船江交差点

船江2-2、前方には船江交差点

 

 

【右手に朧ヶ池のある船江上社の社叢を見ながら無量寺跡方向へ】

右手方向、建物越しに朧ヶ池がある船江上社の社叢を見ながら進むとこの丁字路で左折。

デュオマークス伊勢ウエストコートの先を左折

デュオマークス伊勢ウエストコートの先を左折

 

昔ながらに湾曲したこの道を道なりに右方向へ・・・

船江1丁目の地名板

船江1丁目の地名板

 

【信行院跡付近】

ここで古地図(越坂町細図 文化五年改正)が登場。前方に見える赤い屋根の家の付近に信行院があったそうだ。

赤い屋根の家付近が信行院跡(越坂寺町細図掲載)

赤い屋根の家付近が信行院跡(越坂寺町細図掲載)

 

【無量寺跡付近】

さらに道なりに進むと直進が突き当たる手前の左手に小公園があり、

無量寺跡(越坂寺町細図掲載)

無量寺跡(越坂寺町細図掲載)

 

古地図によればここが無量寺跡だった。この付近は越坂寺町とされ、寛文の大火を機に神領から多数の寺院がこの場所へも移されたとのこと。(当時の山田奉行の意向により?)

無量寺跡の公園(越坂寺町細図掲載)

無量寺跡の公園(越坂寺町細図掲載)

 

公園から南方向へ進むと右手に養草寺の裏門へ通じていた小道を見つけたが今は墓地のブロック塀となっていた。

今は通れない養草寺の裏門への道

今は通れない養草寺の裏門への道

 

広い道路へ出ると右方向へ。

河崎1−12の地名板

河崎1−12の地名板

 

【宮後町墓地】

養草寺に隣接する宮後町墓地へ入ると著名な墓所を数カ所めぐりお参りした。

宮後町墓地(伊勢市宮後)

宮後町墓地(伊勢市宮後)

 

【御師 蔵田家の墓石】

こちらは旧御師 蔵田家の墓所で、本家は途絶えてしまい山田(伊勢)に末裔は不在だが、分家が米沢にあり系図も残されているそうだ。米沢の蔵田家より山田の墓所を探すよう依頼を受けた千枝さんが数年をかけて見つけたのがこちらだったそうだ。(詳細については次回のブラッチェiseに参加して確認してください。興味深い話が聞けます。)

御師 蔵田家の墓石(宮後町墓地)

御師 蔵田家の墓石(宮後町墓地)

 

【桜堂天満宮、家守稲荷大明神】

宮後町墓地を後にすると養草寺に隣接するお堂にて・・・。

桜堂天満宮、家守稲荷大明神(養草寺の隣)

桜堂天満宮、家守稲荷大明神(養草寺の隣)

 

この天満宮の名前がなぜ「桜堂」であるのかが明らかになった。それは、以前別の場所にあった(後述)養草寺の庭には立派な桜の木があり、「桜堂」は養草寺の別称であった。

 

桜堂天満宮、家守稲荷大明神(養草寺の隣)

桜堂天満宮、家守稲荷大明神(養草寺の隣)

 

次はお稲荷さんの名前「家守」の謂れを知りたくなった。

 

【養草寺(越坂寺町)】

現在の養草寺は寛文の大火後に越坂寺町へ移設させられた寺院のなかで唯一現存するお寺。

養草寺(越坂寺町細図に掲載で現存、唯一)(伊勢市宮後)

養草寺(越坂寺町細図に掲載で現存、唯一)(伊勢市宮後)

 

養草寺付近の交差点で横断歩道を渡るとチャンスセンター付近が正覺寺跡。

養草寺付近の十字路、正覺寺跡(越坂寺町細図掲載)

養草寺付近の十字路、正覺寺跡(越坂寺町細図掲載)

 

【辻ノ町】

 

横断歩道を渡り終えてから伊勢市駅方向へさらに進むとこの十字路が「辻ノ町」。

辻ノ町(宮後二丁目14 付近)

辻ノ町(宮後二丁目14 付近)

 

この番地付近だ。

宮後二丁目14の地名板

宮後二丁目14の地名板

 

【鍛冶屋垣外へ】

伊勢うどん まめやを過ぎてこの路地、宮林金庫店と理容店小倉の間へ

宮林金庫店と理容店小倉の路地へ(伊勢市宮後)

宮林金庫店と理容店小倉の路地へ(伊勢市宮後)

 

進むと

宮林金庫店と理容店小倉の路地へ(伊勢市宮後)

宮林金庫店と理容店小倉の路地へ(伊勢市宮後)

 

【鍛冶屋垣外】

すぐに右へ曲がった。

鍛冶屋垣外(古地図による)(伊勢市宮後)

鍛冶屋垣外(古地図による)(伊勢市宮後)

 

【鍛冶屋垣外(元桜堂橋付近)】

この路地も鍛冶屋垣外(カジヤガイト)で、寛文の大火以前の古地図によればこの周辺にカジヤガイトが多数存在していた。なぜカジヤガイトと呼ばれるのか、多数の鍛冶屋がひしめきあっていたから、それとも忌鍛冶内人が住んでいたから?

 

そして、この通りの先は線路であり、その下には清川の流れが有る。寛文の大火以前にはこの付近に養草寺が建ち、その庭には立派な桜の木がそびえていた。そのために養草寺は桜堂とも別称され、この先に架かっていた橋は桜堂橋と・・・。

鍛冶屋垣外(古地図による)(伊勢市宮後)

鍛冶屋垣外(古地図による)(伊勢市宮後)

 

そう言えば、近くにあるJRの踏切の名前は「桜新道踏切」だ。

JR参宮線 桜新道踏切

JR参宮線 桜新道踏切

 

おお、少しネタばらしを過ぎたようだ。この後は軽く流そう。

 

【鍛冶屋垣外から川辺公園へ】

途中で左折、さらに左折すると民家の間をすり抜けるようにして

2丁目の路地をぐるーり(伊勢市宮後)

2丁目の路地をぐるーり(伊勢市宮後)

 

【宮後領川辺】

たどり着いたのは川辺公園だった。以前のツアーで何度も訪れた。

川辺公園(伊勢市宮後)

川辺公園(伊勢市宮後)

 

川辺公園(伊勢市宮後)

川辺公園(伊勢市宮後)

 

強い日差しを浴びながらの巡りだったので、しばし木陰で休憩しながら

川辺公園での説明(伊勢市宮後)

川辺公園での説明(伊勢市宮後)

 

千枝さんによる説明、「伊勢新名所歌合に登場する河辺里は河崎だと言われるが実はこの場所では・・・」。

川辺公園での説明(伊勢市宮後)

川辺公園での説明(伊勢市宮後)

 

【墓域】

川辺公園を後にすると伊勢市駅方向へ・・・、途中に墓地がある。この場所はこの地の盛衰を物語っているのか・・。

川辺公園近くにある墓所(伊勢市宮後)

川辺公園近くにある墓所(伊勢市宮後)

 

【伊勢市駅北口】

伊勢市駅の北口へ向かうとその前の道路を

伊勢市駅北口(近鉄側)付近

伊勢市駅北口(近鉄側)付近

 

右方向へ進むと

伊勢市駅北口から國学者足代弘訓翁墳墓地へ

伊勢市駅北口から國学者足代弘訓翁墳墓地へ

 

【國学者足代弘訓翁墳墓地】

こちらが國学者足代弘訓翁墳墓地だ。何度もこの前を歩いていたが通過点だったのだろう、気付かなかった。

國学者足代弘訓翁墳墓地(伊勢市宮後)

國学者足代弘訓翁墳墓地(伊勢市宮後)

 

来た道を引き返すと

 

【清川(伊勢市駅北口付近)】

駐輪場に惹き止められた。それは自転車ではなく、その下の部分、

伊勢市駅北口(近鉄側)駐輪場

伊勢市駅北口(近鉄側)駐輪場

 

自転車が置かれた鋼板の下を流れる清川にだった。この流れが勢田川へと通じている。いつか宮川から勢田川まで清川の流れを追いかけよう。(また、豊川も)

伊勢市駅北口(近鉄側)駐輪場の下を流れる清川

伊勢市駅北口(近鉄側)駐輪場の下を流れる清川

 

今回のツアーとは関係の無い思いを抱きながら佇んでいたら

伊勢市駅北口(近鉄側)

伊勢市駅北口(近鉄側)

 

【中寺町、中寺前公園】

皆さんから遅れてしまったので、急ぎ足で中寺前公園へ向かった。

中寺前公園(伊勢市宮後)

中寺前公園(伊勢市宮後)

 

今回のツアーは公園めぐり、それは寺院跡めぐりのようなものだった。この公園の名前はまさにそのことを物語っていた。「中寺前公園」、ここでは古地図「中寺町寺院細図 文化五年十一月改」にて説明。

中寺前公園(伊勢市宮後)

中寺前公園(伊勢市宮後)

 

木陰での休憩、説明を終えると公園内を横切って

中寺前公園(伊勢市宮後)から八間道路へ

中寺前公園(伊勢市宮後)から八間道路へ

 

八間道路へ向かった。

中寺前公園(伊勢市宮後)から八間道路へ

中寺前公園(伊勢市宮後)から八間道路へ

 

【ファミリーマート 伊勢河崎店】

八間道路に面したファミリーマート 伊勢河崎店の脇を進むと

ファミリーマート 伊勢河崎店

ファミリーマート 伊勢河崎店

 

【御屋敷稲荷】

まずは御屋敷稲荷。

御屋敷稲荷(伊勢市吹上)

御屋敷稲荷(伊勢市吹上)

 

【不動院】

続いて不動院を訪れた。今回はサプライズだった。前日に千枝さんが下見で巡っていると不動院を管理している方と出会い、急遽拝観させていただけることになっていたのだった。

曹洞宗 不動院(伊勢市吹上)

曹洞宗 不動院(伊勢市吹上)

 

お参りさせていただくとともに十分に休憩させていただいた。また、お茶まで・・・(感謝)

曹洞宗 不動院(伊勢市吹上)

曹洞宗 不動院(伊勢市吹上)

 

(写真撮影はOKとのことだったので紹介)

曹洞宗 不動院(伊勢市吹上)

曹洞宗 不動院(伊勢市吹上)

 

曹洞宗 不動院(伊勢市吹上)

曹洞宗 不動院(伊勢市吹上)

 

なお、こちらは瓦師 中西甚兵衛作の銘がある三宝荒神。

曹洞宗 不動院(伊勢市吹上)

曹洞宗 不動院(伊勢市吹上)

 

その説明が新聞記事として壁に貼られていた。

曹洞宗 不動院(伊勢市吹上)

曹洞宗 不動院(伊勢市吹上)

 

【結城宗広旧跡】

不動院を後にすると先日のブラッチェiseで途中まで行って引き返した石垣の奥へ向かった。こちらは東出さんがぜひともと案内してくれた場所で、

結城宗広旧跡への路地(伊勢市吹上)

結城宗広旧跡への路地(伊勢市吹上)

 

案内されなければなかなか訪れ機会が無い場所だった。

結城宗広旧跡への路地(伊勢市吹上)

結城宗広旧跡への路地(伊勢市吹上)

 

しかしながら、その場所にたどり着くと

結城宗広旧跡への路地(伊勢市吹上)

結城宗広旧跡への路地(伊勢市吹上)

 

立派な説明板が立てられていた。

「伝 結城宗広旧跡」の説明板付近

「伝 結城宗広旧跡」の説明板付近

 

そこには「伝 結城宗広(ゆうきむねひろ)旧跡」とあった。

「伝 結城宗広旧跡」の説明板

「伝 結城宗広旧跡」の説明板

 

伝 結城宗広(ゆうきむねひろ)旧跡
所在 伊勢市吹上2丁目一本木(いっぽうぎ)

南北朝時代、南朝方の武将であった結城宗広(1266〜1339)は、戦に敗北しつつも再び勝利を期して、延元三年(1338)、大湊から奥州へ向けて船出しますが、途中暴風雨に遭い、伊勢に吹き戻されて病死しました。
流布本『太平記』では、宗広は安濃津(あのつ:津市)に漂着し、この地で没したとありますが、宗広夫人の書状(国重要文化財 光明寺所有)から推測すると、吹上で没したと考えられ、吹上から移転した光明寺(岩渕三丁目)には、宗広の供養塔(市有形文化財)が現存します。
当地は地元で宗広の旧跡と伝わる場所で、数基の石造物が確認できます。刻銘や形態から、いずれも宗広より後世のものと認められますが、天文六年(1537)銘の五輪塔は市内でも古いものです。

平成28年3月   伊勢市教育委員会

 

この説明板は最近立てられたモノだが、いったい誰がここを訪れるのだろう。教育委員会はこれからこの場所をアピールするのだろうか? 今回は東出さんの案内があったからあのアプローチに足を踏み入れることができたのだった。(千枝さんもこの場所は知らなかったとのことだった。)

 

数基の石造物はこちら。

結城宗広旧跡(伊勢市吹上)

結城宗広旧跡(伊勢市吹上)

 

【河崎本通り】

結城宗広旧跡から河崎本通りへたどり着くと北上した。

河崎本通りの南端(伊勢市河崎)

河崎本通りの南端(伊勢市河崎)

 

こちらは庚申堂。(「これぞ環濠」と言える環濠を見たことがない人だけ近くの環濠を見学)

庚申堂(河崎本通り)

庚申堂(河崎本通り)

 

さらに、説明のために立ち止まり、立ち止まり・・・

河崎本通り

河崎本通り

 

こちらは東出さんのお店と隣、勢田川へと続く石畳。往時は船から船への荷運びに利用されていたものだろう。

河崎本通り

河崎本通り

 

・・・

河崎本通り

河崎本通り

 

最後に和具屋さんを見学。

和具屋(河崎本通り)

和具屋(河崎本通り)

 

お宝満載だ。

和具屋(河崎本通り)

和具屋(河崎本通り)

 

【氏社(河邊七種神社)】

やっと河邊七種神社へ戻ってくると「ブラッチェise」は終了となった。午後4時半頃、約3時間のツアーで、今回も話題満載、発見多数の中身の濃いツアーとなった。皆さん、お疲れ様でした。

ブラッチェise ミニツアー パイロット版の解散(河邊七種神社)

ブラッチェise ミニツアー パイロット版の解散(河邊七種神社)

 

フィールドワークは楽しい!

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です