2017年04月09日(日) こちらは伊勢三郎の墓石?(伊勢市船江) (徒歩)
午前中はサクラ三昧、そして午後からもサクラ三昧だったのだが、途中で古文書整理のために河邊七種神社を訪れた。その前に立ち寄ったのがこちら、その場所は東邦ガス伊勢サービスセンター付近(伊勢市船江)だった。
実は、これも古文書に絡むこと。それは中京大学文学部学芸員である千枝大志さんが講師をつとめた次の講座をきっかけに新たに発足した伊勢古文書勉強会でのことだった。
【参考】
- 「図書館の古文献で伊勢の歴史の謎にチャレンジ!」講座 第1回(全3回) 2016年12月18日
- 「図書館の古文献で伊勢の歴史の謎にチャレンジ!」講座 第2回(全3回) 2017年01月15日
- 「図書館の古文献で伊勢の歴史の謎にチャレンジ!」講座 第3回 フィールドワーク(全3回) 2017年02月19日
先日(3月26日)に伊勢市立伊勢図書館で開催された第1回目の勉強会では、「図書館の古文献で伊勢の歴史の謎にチャレンジ!」講座でのテキストであった「宮川夜話草」をテキストとして進めることになった。
その時に皆で読み進めて話題となったひとつが次の写真の黄色いマーカー部分。
「河邊の里」
「天神の濱」
「伊勢三郎墓」
その時、参加者の一人の話によると、「『伊勢三郎墓』は船江のガスタンクの近くにあり、子供の頃に(墓)石と持ってきて叱られた友達がいた。」とのこと。友達が本人では?については言及ぜずに話を進めると
その勉強会以来、この墓のことが気になっていた私は、昼休みウォーキングにて度々この付近を訪れ、それらしい場所を定めていた。
気になっていたのは次の写真の右側の(墓)石だった。しかしながら、伊勢三郎の墓石であることを特定できるものが見つからず、ブログ記事として掲載することはなかった。ところが、である。
今回、その石の前にしゃがみ込んでお参りしていたところ石の奥に文字が書かれた卒塔婆を見つけたのだった。
その文字をよく見てみると薄っすらと「三郎地蔵」。何とも感動的な出会いだった。
「三郎地蔵」と「伊勢三郎」が近づいてきた。まだまだダメ押しではないが、今も「三郎(地蔵)」が祀られている証拠だろう。祀っている方の話を聞いてみたいものだ。
そんなことを考えながら勢田川の辺を歩くとこの付近が「天神の濱」だったのだろうかと想像した。
以前は過去を振り返らない人間であった私が、お伊勢さん125社を巡り始めてからというもの多数の方と出会い、古文書や歴史にも興味を持ち始めた。往古と現在の接点を見つけてしまうと何とも感慨深い。古文書の勉強は止められないだろう。ワクワク!