佐美長神社から伊雜宮へにて、倭姫命旧跡地ほか

2014年04月05日(土) 佐美長神社から伊雜宮へにて、倭姫命旧跡地ほか (車、徒歩)

佐美長神社および佐美長御前神社四社にてお参りを済ませると車を駐めている伊雜宮の駐車場へ戻った。来た道を戻るのも面白くないので、別ルートを歩いた。

桜が満開となっている磯部神社の前を通り、

磯部神社の桜(志摩市磯部町)

磯部神社の桜(志摩市磯部町)

 

国道167号線を伊勢方向へ進むと右手には伊雜宮の社叢へ直線に伸びる農道を発見。この道も魅力的だったが、

伊雜宮の社叢へと続く農道

伊雜宮の社叢へと続く農道

 

さらにその先の道を右折した。前方の右手に見えるのが伊雜宮の社叢だ。

伊雜宮の方へと続く道

伊雜宮の方へと続く道

 

この道を道なりに進むと次の案内板がある。この近くには

「天(の)岩戸 おうむ岩←」の案内板付近

「天(の)岩戸 おうむ岩←」の案内板付近

新たに設置されたと思われる道標があった。中でも真ん中の手作り感たっぷりの道標には「倭姫命旧跡地」とあった。

「倭姫命旧跡地100m←」他の道標付近

「倭姫命旧跡地100m←」他の道標付近

 

この後のことを考えるとあまり時間がなかったので、もっとも興味を覚えた「倭姫命旧跡地」の矢印にしたがった。

「倭姫命旧跡地100m←」道標から倭姫命旧跡地へ

「倭姫命旧跡地100m←」道標から倭姫命旧跡地へ

小径を抜けると

「倭姫命旧跡地100m←」道標から倭姫命旧跡地へ

「倭姫命旧跡地100m←」道標から倭姫命旧跡地へ

その先には東屋が建ち、小公園のような空間が現れた。

倭姫命旧跡地(志摩市磯部町)

倭姫命旧跡地(志摩市磯部町)

 

その隅には

鏡楠と天井石(倭姫命旧跡地)

鏡楠と天井石(倭姫命旧跡地)

鏡楠、天井石と書かれた立札の奥に、実際の天井石と鏡楠が展示されていた。

鏡楠と天井石(倭姫命旧跡地)

鏡楠と天井石(倭姫命旧跡地)

 

こちらが鏡楠で、

鏡楠(倭姫命旧跡地)

鏡楠(倭姫命旧跡地)

こちらが天井石。

天井石(倭姫命旧跡地)

天井石(倭姫命旧跡地)

 

東屋の中の散策マップを確認すると

伊雜宮周辺、上之郷地区散策マップ

伊雜宮周辺、上之郷地区散策マップ

倭姫命の旧跡地として語り継がれている所には、鏡楠の残根と天井石があり、鏡楠には注連縄が張られています。大正12(1923)年に枯死した鏡楠の根本から発見された室町時代の白銅橋2面は、志摩市立歴史民俗資料館に保管されています。 (上之郷地区散策マップより引用)

 

その裏手に設置された説明板では、天井石の詳細が紹介されている。

説明板(倭姫命旧跡地)

説明板(倭姫命旧跡地)

 

敷地の隅で祭られている庚申堂、秋葉堂へ向かった。東屋のマップには庚申堂、秋葉堂の堂宇と記されていが、その前にはこんな立札が立てられていた。

庚申堂、秋葉堂(倭姫命旧跡地)

庚申堂、秋葉堂(倭姫命旧跡地)

秋葉神社の御祭神は火之迦具土大神であり、伊弉諾神および伊弉冉神の御子である。また、この地の神である伊佐波登美命が倭姫命一行を迎え入れたそうなので、まんざら無関係ではなさそうだが、この唐突な立札を見ると?となってしまった。

お堂の中を覗くと右側に秋葉堂が見える。

秋葉堂(倭姫命旧跡地)

秋葉堂(倭姫命旧跡地)

 

倭姫命旧跡地を後にすると

倭姫命旧跡地(志摩市磯部町)

倭姫命旧跡地(志摩市磯部町)

御師の家 森新の前を通り、伊雜宮の駐車場へ戻った。

御師の家 森新(志摩市磯部町)

御師の家 森新(志摩市磯部町)

 

 

【 20140405 の記録 】

 

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