2014年08月04日(月) 風日祈祭(外宮) (車、徒歩)
8月4日、神宮では風日祈祭が斎行された。外宮では朝5時から内宮では9時から、今日は平日なので出勤前に外宮での風日祈祭を拝観した。風日祈祭とは?、神宮の神職であった矢野憲一さんの著書「伊勢神宮の衣食住(角川ソフィア文庫)」によると次の通り。(この本は興味深い内容が盛りだくさんだ。)
風雨の災害がなく、五穀が豊作でありますようにと祈る風日祈祭(かざひのみさい)は、5月14日と8月4日(旧暦時代は4月と7月)。古くは日祈内人(ひのみうちんど)というこの神事に専門の神主がいて、祭りにお供えする蓑・笠を調進する御笠縫内人(みかさぬいのうちんど)もいた。(後略)
ただし、蓑と笠がお供えされるのは5月14日のみである。
また、風日祈祭の由緒については神宮の次のサイトに記されている。
【参考】
表参道の火除橋へ到着する頃、報鼓が聞こえた。斎館から参進が始まったのだ。
本日の祭典の案内を確認してから
「この場所にとどまろうか?」と思案したが、
修祓を終えた祭員が忌火屋殿の前庭から参進を再開する姿を拝観できることを期待して北御門へと戻った。
しばらく待機すると定刻の5時となった。神宮衛士が速やかに柵を移動すると「どうぞ!」と促してくれた。
参道を急ぐと忌火屋殿の前庭はひっそりとしていた。さらに表参道の合流まで急ぐと大庭は後片付けで賑やかだった。どうも今日は雨儀の次第だったようで、五丈殿にて修祓が執り行われたのかもしれない。
御正宮へ向かうとすでに祭典は開始されていた。とはいえ、斎員は内院へと参入しており外玉垣の外からでは全く姿を見ることはできなかった。微かに聞こえる音を頼りに祭典の進行を感じ取った。途中で「クァツ、クァツ」と笏を打つ音が聞こえた。祝詞奏上が開始されたので、次の「クァツ、クァツ」まで頭を下げた。祭典は続けられていたが、私は外で待機することにした。
旧宮の前へ移動すると
目に見えるほどの雨粒が落ちてきた。
この辺りで雨をしのいでいると知らないうちに止んでしまった。
御正宮での祭典は約20分で終了し、参進が再開された。
神宮衛士の先導で、浅沓が玉石を踏む音「ザクザク」が近づいてきた。
その足取りは軽快で、
一瞬にして目の前を通り過ぎた。
大宮司を先頭とする一行は別宮遥拝所を過ぎると右へ折れ、別宮への参道をザクザク。
大宮司と少宮司を含む主要な祭員は石階を登り多賀宮へと向かった。この間、多賀宮への参拝は規制され一般参拝者は参入できない。
石階の下にある土宮および風宮での祭典は拝観できるためこちらにとどまった。多賀宮へと向かった列と石階下で分かれた祭員はまず土宮にて祭典を執り行い、続いて風宮へ向かう。
まずは土宮での祭典を拝観した。
こちらは、八度拝の様子。
土宮での祭典の終了が近づいてきたので、風宮付近へ移動した。風宮には第62回神宮式年遷宮の御造営に向けた準備が開始されていた。(この話題は別の記事で紹介する。)
土宮にて祭典を終えた祭員は風宮へと移動し、
同様の祭典が開始された。
風宮にて祭典が執り行われているなか、多賀宮への石階から退下の列が下ってきた。
一歩々々に注意を払いながら・・・、それにしても歩くスピードが速い。
この大きな台笠も印象的だった。
なお、退下の途中も風宮では粛々と祭典が続けられた。
退下の姿が見えなくなる頃、風宮での祭典も終わりを迎え、御幌が下ろされた。
風宮での祭典が終了すると外宮での風日祈祭は終了となり、最後の退下となった。
私は祭員を見送ってから多賀宮への石階を上った。
多賀宮へ着くとこれから片付けられる辛櫃とすれ違った
多賀宮、下御井神社、土宮にてお参りを済ませると風宮へ戻った。
風宮では、こんな光景を見ることができた。祭典も興味深いが、私は特に準備や後片付けする裏方の姿が好きだ。黒子は最高だ!
それにしてもなかなか目にできない光景だ。この方たちのおかげで祭典も滞りなく終えられるわけだ。「いいね!」
私のお気に入りである風宮を眺めてから
大庭へ戻った。四至神にお参りしてから
九丈殿を確認すると何かが行なわれた後のようだった。遥拝だろうか?
その後、表参道を進み斎館前を通過する直前で、この門が閉ざされた。「ギィーー、パタン」
第一鳥居をくぐってから振り返ってパチリ。
雨が降った名残はあるが、火除橋を渡ることには雨は降っていなかった。
約一時間の出来事を振り返りながら外宮を後にした。
ちなみに、こちらは今までに風日祈祭を拝観した記録。
【参考】