2015年01月17日(土) 南伊勢町営バス 栃木バスのりば付近の祠(南伊勢町栃木竃) (車、徒歩)
瀧原宮から伊雜宮へ向かうため国道260号を走っていた。栃木トンネル抜けるとそこには南伊勢町営バス の「栃木バスのりば」があった。近くに車と駐めるとパチリ。
さらに、先ほど通り抜けたトンネルもパチリ。
このバスのりばは国道260号、「古和浦漁港」への分岐にある。
国道を背にすると古和浦湾をパチリ。
私がなぜこの場所に立ち寄ったのか? それはバスのりばの近くに鳥居を見つけたからだった。
鳥居の近くには「南伊勢町栃木竃(とちのきがま)」の地名板があった。
「竃」集落の一つです。和歌において父の枕詞は、「ちちの実」です。しかしこの実には四説があり、銀杏説、橡(とち)の実説、天仙果(いちじく)説と松球(まつふぐり)説で、定説がありませんでした。しかし、当村の古い方言に「天仙果」を「ちちのみ」と呼びことがわかり、万葉学会に歴史的貢献をしました。この「ちちの実」がなまって「とちのき」になったという説もありますが、明確な説は不明です。
また、近くには近畿自然歩道の道標が建っている。
近畿自然歩道 竃方集落をめぐるみち
←ここは栃ノ木竃集落 →小方竃集落3.8km
鳥居の周辺を確認したが神社名を示すものは何もなかった。そこで、私は鳥居をくぐった。
階段は何度も折り返して高さを稼ぐ。
最後の階段を登ると
左手には鳥居の先に三宇の祠。鳥居の柱には栃木竃と書かれているが神社名は見あたらなかった。
鳥居をくぐると
お参り。
左側の祠の前には
狐だろうか? 素焼きのような像が置かれていた。
また、祠の右側には役行者(?)のような像も置かれていた。
こちらは中央の祠、
さらに右側の祠。中央と右側の祠の間には大きめの丸い石が置かれていた。
また、祠の前にはアワビ等の貝殻。
穏やかな光のなか、この場所で一息入れると
小枝越しに古和浦湾を望んでから
階段を駆け下りた。
近くに駐めておいた車に戻ると再び走り始めた。
【 20150117 の記録 】
- 覆屋のみが残された古殿地(瀧原宮、瀧原竝宮)ほか
- やっと訪れることができた並大神社(大紀町崎)
- 南伊勢町営バス 栃木バスのりば付近の祠(南伊勢町栃木竃)
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- 史跡 倭姫命腰かけ岩(南伊勢町河内)
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- 五ヶ所浅間山の遠望(南伊勢町五ケ所浦)
- 古殿解体中(伊雜宮)