新ブログサイト『神宮巡々3』開設のお知らせ

『神宮巡々』、『神宮巡々2』ブログのデータベースが巨大化してしまったため、別途 『神宮巡々3』を新設しました。
2010年〜2013年の記録は『神宮巡々』を、最新の記録は『神宮巡々3』をご覧ください。 ( 2017年12月31日 【キタヰ】こと、桝屋善則 )

医王寺境内の河口頓宮跡(津市白山町川口)

2015年04月25日(土) 医王寺境内の河口頓宮跡(津市白山町川口) (車、徒歩)

友人の高橋さんと白鷺伝説 七白山めぐり・・・。その前に津市白山郷土資料館に立ち寄ったら高橋さんが河口頓宮跡の説明を見つけた。

医王寺境内 河口頓宮跡の紹介(津市白山郷土資料館にて)

医王寺境内 河口頓宮跡の紹介(津市白山郷土資料館にて)

医王寺境内 河口頓宮跡の紹介(津市白山郷土資料館にて)

医王寺境内 河口頓宮跡の紹介(津市白山郷土資料館にて)

 

彼のぜひとも訪れたいとの要望で、川口の白山比咩神社から八ツ山神社へ向かう途中に寄り道。関の宮交差点を左折するとすぐ近くに「聖武天皇行宮阯 醫王寺」の石柱を発見。

常夜燈と「聖武天皇行宮阯 醫王寺」の石柱(津市白山町川口)

常夜燈と「聖武天皇行宮阯 醫王寺」の石柱(津市白山町川口)

 

常夜燈が目に入ったので近づくとそこには「太一」と刻されていた。

太一の常夜燈(津市白山町川口)

太一の常夜燈(津市白山町川口)

 

先ほどの石柱の脇には細い坂道が続き、

曹洞宗 東光山医王寺への参道(津市白山町川口)

曹洞宗 東光山医王寺への参道(津市白山町川口)

 

その脇には「聖武天皇関宮宮阯 曹洞宗 東光山医王寺 川口城跡」の案内板が立て掛けられていた。

「聖武天皇関宮宮阯 曹洞宗 東光山医王寺 川口城跡」の案内板(津市白山町川口)

「聖武天皇関宮宮阯 曹洞宗 東光山医王寺 川口城跡」の案内板(津市白山町川口)

 

クルマ一台がやっと通れる細い道を慎重に進むと突き当りまで・・・、まずは東光山醫王寺にお参りした。

東光山醫王寺(津市白山町川口)

東光山醫王寺(津市白山町川口)

 

「醫」の字が歴史を感じさせてくれる。

東光山醫王寺(津市白山町川口)

東光山醫王寺(津市白山町川口)

 

東光山醫王寺の前には芝生の広場があり、その先の風景はこちら。

東光山醫王寺付近からの風景(津市白山町川口)

東光山醫王寺付近からの風景(津市白山町川口)

 

東光山醫王寺から歩いて来た道を戻るとこちらが河口頓宮跡で

河口頓宮跡(津市白山町川口)

河口頓宮跡(津市白山町川口)

 

説明板があった。

河口頓宮跡の説明板(津市白山町川口)

河口頓宮跡の説明板(津市白山町川口)

河口頓宮跡
白山町川口字御城

川口は古代から交通の要衝として知られた地である。
天平十二年(740)十一月二日から聖武天皇が河口の頓宮に滞在されたと、続日本紀は次のように記述している。
「伊勢国一志郡河口頓宮二至ル。之ヲ関宮ト謂ウ」
「車駕関宮ニ停御スルコト十箇日」
聖武天皇は藤原広嗣の乱を単なる一朝臣の造反として軽視することができず 難を避けて伊勢への行幸となった。都から東へ山をこえると軍事的にも安全であり、しかも、交通の要衝として当時すでに河口には関が設けられていて、長期の滞在に必要な設備が整え易かったこの地を頓宮と定めたと考えられる。
天皇の行幸に随行した万葉歌人 大伴家持は
河口の野辺にいほりて夜の更れば
妹が袂し思ほゆるかも
と詠んでいる。(万葉集第六)
しかし、諸説があっていま、その地は確証はできない。
ただ、この医王寺の丘には昭和六年(1931)県の建立した「聖武天皇関宮宮阯」の石碑と町内有志による万葉歌碑が建っている。
津市教育委員会

 

そして、こちらが説明にある三重県が建立した「聖武天皇関宮宮阯」の石碑で、

聖武天皇関宮宮阯の石柱(津市白山町川口)

聖武天皇関宮宮阯の石柱(津市白山町川口)

 

こちらが大伴家持の万葉歌碑。

聖武天皇開宮宮阯の石柱付近に建つ歌碑(津市白山町川口)

聖武天皇開宮宮阯の石柱付近に建つ歌碑(津市白山町川口)

 

【 20150425 の記録 】

 

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