2015年05月02日(土) お伊勢さん125社まいり 斎宮めぐり (車、徒歩)
斎宮めぐりでは、5月14日と10月14日に皇大神宮とその別宮、荒祭宮にて斎行される神御衣祭に供進される神御衣(かんみそ、または、おんぞ)が奉織される神服織機殿神社と神麻続機殿神社をめぐる。各社には末社八所と八尋殿があり、神服織機殿神社では和妙(にぎたえ、絹)、神麻続機殿神社では荒妙(あらたえ、麻)が八尋殿で織られる。
昨日5月1日には両社で神御衣奉織始祭が斎行され、和妙・荒妙の奉織が開始された。神御衣奉織作業を拝観するためにこの時期に合せて今年も斎宮めぐりを実施した。今回も【キタヰの妻】が参加したので二人歩き。
【参考】
- お伊勢さん125社まいり 斎宮めぐり 神御衣の奉織、動画あり 2014年05月03日
今年は未だお参りできていなかった麻續神社等を巡るために昨年とは異なるルートを設定した。
斎宮歴史博物館 → 坂本古墳群 → 粟須美神社(跡) → 隆子女王御墓 → 若之神社 → 眞福寺 → 麻續神社 → 織殿神社 → 神服織機殿神社(奉織作業の拝観) → 魚見神社 → (藤八頌徳碑) → 神麻続機殿神社(奉織作業の拝観) → 斎宮歴史博物館
※赤い文字が初めてお参りした神社、青い文字は期せずして訪れることができた場所
(お伊勢さん125社)
古里公園の駐車場に車を駐めると斎宮博物館の前を通過し、
【斎宮歴史博物館】
まずは坂本古墳群方向へと向かった。
その途中で、この道標と
この道標を通過。「中海ってどこだろう?」といつも思っていたのだが本日その謎が解明された。(後で・・・)
この道標付近から左方向を望むと坂本神社の社叢。
【坂本古墳群】
道幅の狭い道をさらに進むと坂本古墳群に到着。古墳の周辺は草が・・・。
いつもなら坂本古墳群近くのこの変則十字路を左折するのだが、今日は直進した。
道なりに進むと右手にあるのが馬之上生活改善センター。
【粟須美神社(跡)】
さらに直進するとほどなく、粟須美神社(跡)に到着した。地図では(跡)と記されているが跡とは思えない状態だった。
かなり立派な木が切られていた。
境内には古そうな「社日」の石柱がまつられていた。
粟須美神社を背にすると東方向へと進んだ。
明和町消防団第4分団第4部 車庫付近で道なりには進まずに直進方向、田んぼの間の道へ。
周囲には社叢のような樹叢が点在。
【隆子女王御墓】
先へ進むと左手に隆子女王御墓道の石柱が建ち、参道を進むと
その先には隆子女王御墓がある。
お参りを終えると隆子女王御墓の右脇を直進した。周囲は田んぼだらけ・・・。
涼しい風に吹かれながらさらに直進すると左前方に社叢が望めた。
【若之神社】
こちらが若之神社。正面へと通じる参道がないため右方向からぐるりと回った。
【参考】
鳥居をくぐると
扁額を確認してから
お参り。
幟を立てる石柱には「若宮」と刻されていた。
若之神社を後にすると麻續神社を目指した。
この分岐は左へ
山神を拝みながら進むと
須田公民館の近くへ到着。
二本の用水路が走り、その間が歩けそうだったので先へ進むとこんな状況になっていた。【キタヰの妻】は怖がりなので、細い橋を渡れずに引き返して隣の道路を歩いた。
用水路の隣の道路を道なりに進むとこの辺りで明和町馬之上から同中海へと入る。ここで先の道標にあった「中海」に入った。(初めての経験)
道なりの先はこの変則的な十字路。どちらへ進むべきか(後で分かったのは直進がベターだということ)?
私達はこの山神に誘われて右折した。
しばらく祓川に沿って進むと
この付近で左折、
左手の橋を渡ると田園風景を楽しんだ。
道なりに進むとこの場所に出た。左手にお寺のような屋根を発見。
【眞福寺】
その方向へと進むとそこは眞福寺。
石碑によると平成4年2月23日に再建されていた。
こちらのお堂の屋根に据えられている
留蓋瓦が印象的だった。新版と
旧版(?)。
眞福寺を後にすると
その隣にまつられている麻續神社にお参りした。
【麻續神社】
麻續神社の詳細については別の記事で紹介する。
麻續神社を後にすると先の変則十字路へ戻ってきた。
先ほどの用水路沿いの道路を引き返すと途中で左折。ここにも山神がまつられていた。
しばらく民家の間をくねくね・・・、民家の間を抜け出ると前方に織殿神社の社叢が望めた。
織殿神社に向かい、
【織殿神社】
お参り。(織殿神社には何度もお参りしている。)
【参考】
織殿神社を後にすると

織殿神社(明和町佐田)
周辺の花々をパチリ、パチリ。
いつもなら祓川を小さな橋で渡るのだが、今日はトイレと水分調達のためにイオン明和に立ち寄ることにした。
拡幅されている新小藪橋で祓川を渡ると明和町民バス 志貴 バスのりばを過ぎ、
左方向に神服織機殿神社の社叢を望みながら
イオン明和店を目指した。
イオン明和店にてトイレを借り、飲み物(2リットルのスポーツ飲料)を購入すると駐車場の脇からこの場所へ出た。西方向へ直進すると
神服織機殿神社の社叢へ突き当たるので
右方向へ巻いて正面へ向かった。
【神服織機殿神社】
神服織機殿神社の鳥居前に設置されている車止めが取り外されていた。
神服織機殿神社および神服織機殿神社末社八所にお参りしてから神御衣奉織作業を拝観した。
神御衣奉織作業については別の記事で紹介する。
神服織機殿神社を後にすると
振り返ってパチリ。
すでにお昼となっていたので、【キタヰの妻】とともに歩きながらのおにぎり昼食。
この後もいつもとは別ルート、西方向の田んぼ道を進んだ。
その途中で再び神服織機殿神社の社叢を遠望。
【キタヰの妻】が暑さで少し疲れたとのことだったので、地図を確認して近道を試みた。「この先、自動車の通り抜けできません。」の看板だったので、歩行は問題ないだろう思いこの先へ進もうとした。目の前に民家から車で出てきた女性が「この先行き止まりですよ!」と教えてくれた。「自動車だけでなく人も行き止まり」とは・・・・。それなら単純に「行き止まり」の看板が適当だ。
結局、櫛田川方向へ進み魚見神社経由で神麻績機殿神社を目指すことにした。途中でこの水路を越えたが遠くに神麻績機殿神社の社叢が望めた。ひとりならこの水路沿いに進んだかもしれない。
季節の風景を楽しみながら
松阪市新開町を抜けると
魚見町へ入った。
左方向、櫛田川付近に「櫛田川温泉 魚見の湯、櫛田川温泉スタンド」が望めた。
続いて、魚見町交差点を過ぎると
右方向に魚見神社の社叢。右折して立ち寄った。
【魚見神社】
こちらには「行宮阯」の石碑がある。
正面の鳥居をくぐって
参道を進むとお参り。
魚見神社を後にすると神麻続機殿神社を目指して南下した。
その途中で社叢のような場所に到着。ここは人柱となった藤八翁の功績を讃える藤八頌徳碑が建てられていた。
詳細については別の記事で紹介する。
さらに進むと左方向に見えるのは神麻続機殿神社の社叢。
左方向に巻くように進むと
正面へ到着した。
【神麻続機殿神社】
鳥居をくぐり参道を進むと神麻続機殿神社および神麻続機殿神社末社八所にお参りしてから神御衣奉織作業を拝観した。
神御衣奉織作業については別の記事で紹介する。
私達が神麻続機殿神社を後にすると
赤い車が参道を進んで行った。
この後は古里公園の駐車場へ戻るだけ。
otomoni coffee付近を過ぎると
祓川に架かる新川橋付近に到着。ここには「高木町」の地名板が立っていた。
新川橋で祓川を渡ると
上流側をパチリ、
下流側もパチリ。護岸されていない川は自然がたっぷりだ。
橋を渡ってから道なりに進むと
その先で右方向へ進んだ。左手に望めるのは行きに「左 中海、右 下御糸」の道標付近から遠望した坂本神社。
田んぼの中の道を黙々と進むと前方からトラクターがやって来て
通り過ぎて行った。
突き当りを左方向へ進み。こんな風景を過ぎると斎宮歴史博物館から坂本古墳群へと通じる道路にたどり着いた。
来た道を戻ると斎宮歴史博物館を見学した。
【斎宮歴史博物館】
『祝 日本遺産 認定!』
斎宮歴史博物館を後にすると、車へ戻り帰路についた。
【 20150502 の記録 】
- お伊勢さん125社まいり 斎宮めぐり
→ 麻續神社(明和町中海)
→ 神御衣奉織作業(神服織機殿神社)
→ 人柱となった籐八翁の藤八頌徳碑(松阪市六根町)
→ 神御衣奉織作業(神麻続機殿神社)