2016年04月02日(土) お伊勢さん125社 鏡宮神社、朝熊神社ほか(モノクローム) (車、徒歩)
神宮神田にて神田下種祭の拝観を終えるとお伊勢さん125社まいりへ・・・、これから向かうのは皇大神宮の第一摂社である朝熊神社方面。神宮神田からの最短ルートを探ってみた。
神宮神田を後にし、近鉄朝熊駅方向へ進むと左手に近畿自然歩道の道標が建っている。
朝熊駅の矢印に従い、途中で赤福本社工場へ折れるとその脇を通り過ぎる。
川沿いに進むとここが一宇田川であることを知った。
さらにこの橋の名は、流田橋。
流田橋を後にしてさらに進むとほどなく朝熊川との合流点にたどり着く。振り返ってパチリ。次の写真の左方向が朝熊川で右方向が先程まで歩いてきた一宇田川だ。
ここで朝熊川になるので、朝熊側の左岸を進むとここで伊勢二見鳥羽ラインの下をくぐり抜ける。
トンネルを抜けて道なりに進めば、その先には朝熊橋(歩道橋)が架かっている。
橋を渡れば、朝熊神社(皇大神宮 摂社)で、橋を渡らずに進めば鏡宮神社(皇大神宮 末社)。
まずは、橋を渡らずにその前を通り過ぎると鏡宮神社への階段を下った。
下ってから階段を振り返ってパチリ。
階段下の左手には根元が土に埋まった社号標が建っている。ここまで川の水が上がってくるのだろうか?
短な(身近な)参道を進むと
鏡宮神社にお参り。社殿の右側を奥へ進むと
朝熊川へと下る石段の下には木の柵に囲われた大きな石がある。この石は、潮干石や虎石などと呼ばれ二面の神鏡がまつられていたとも伝えられるそうだ。この辺りは海の満ち引きの影響を受けるため石が水をかぶることもあるようだ。
虎石付近から朝熊川越しに対岸を望むとそこはこれから訪れる朝熊神社の社叢だ。
次の写真の隅に人の顔を持つ(頭のような)石を見つけたのでパチリ。
鏡宮神社を後にすると先ほどの歩道橋を渡り、朝熊川を越えた。
橋を渡り終えて左方向へ進むと「定」の立札と社号標を確認できる。
石段を進むと
その上方には社殿は二宇。初めて訪れると迷ってしまうが
向かって左側が朝熊御前神社(皇大神宮 摂社)、右側が朝熊神社(同)で、朝熊神社は皇大神宮第一摂社。
こちらで以前に抱いた疑問は最近になり解決したので何年越しだろう。
【参考】
この記事では、さまざまな仮説を立てていたが、結局は御造営か大修繕の相違のようだ。今回の式年遷宮でその答えが得られるだろう。こちらの御遷座が待ち遠しい!
この場所から眺めると視線の先に
こんな注意看板が立っている。「落書きはやめましょう!」なんて、お伊勢さん125社のなかでもここにしか無い立札だ。どんなことがあったのだろう?
朝熊神社から順にお参りを終えると朝熊川の下流側へ進んだ。ここから鏡宮神社方向を眺めるとその奥にも川の流れを見ることができる。ここは内宮の御手洗場、宇治橋の下を流れる五十鈴川と朝熊川の合流点となっている。つまり、鏡宮神社は五十鈴川と朝熊川の合流点に鎮座している。
ここからは虎石を望むこともできる。
ふと視線を左へ振ると歩道橋をこちらへ渡る家族連れが・・・お父さんと娘さんが二人。
私が眺めていた付近にはマメナシの花が咲いていた。
朝熊橋(歩道橋)を渡り返すと
鏡宮神社の前を通り過ぎた。ここはかつての木場(内宮造営貯木場)で、「川曳用のお木をあずかっていた」とある。
先ほど歩道橋で見かけた親子連れは最近伊勢へ引っ越して来て、お伊勢さん125社を巡っているそうだ。次は加努弥神社から倭姫宮へ向かうと・・・。
私は加努弥神社から宇治山田神社まで・・・
まずは加努弥神社(皇大神宮 摂社)へ立ち寄ると
お参り後、神様が見る風景とパチリ。
加努弥神社の全景を撮影すると
こちらを後にした。
この後は地元の鹿海神社にお参りしてから宇治山田神社へ向かった。
【 20160402 の記録 】
- お伊勢さん125社まいり 大土御祖神社、国津御祖神社ほか(モノクローム)
- 神田下種祭(神宮神田)
- お伊勢さん125社 鏡宮神社、朝熊神社ほか(モノクローム)
- 鹿海神社(伊勢市鹿海町)
- 火防神(ひぶせのかみ)秋葉神社と横たえられたままの道標(伊勢市中村町)
- お伊勢さん125社 宇治山田神社、興玉の森と祭場跡(モノクローム)
- 五十鈴川の桜
- お伊勢さん125社 月讀宮、葭原神社ほか(モノクローム)
- 『伊勢→津なぎさまち』中部国際空港セントレア アクセス・バスのりば
- チューリップも可愛い、宮崎お花畑(御木本道路 岡本一丁目交差点付近)
- 国史跡旧豊宮崎文庫とオヤネザクラの一般公開
- 勾玉池と茜社(伊勢市豊川町)
- 企画展示「神宮の遷座 – 摂社・末社・所管社 -」(せんぐう館)