2017年12月03日(日) 高向大社 オワケ祭ほか(伊勢市御薗町高向) (徒歩)
伊勢市御薗町高向に鎮座する高向大社で斎行される御頭神事は国の重要無形民俗文化財に指定されている。
【参考】 御頭神事 文化遺産オンライン
2月に斎行される御頭神事だけが取り上げられることが多いがその日はクライマックスであり、それに至るまでにさまざまな神事が斎行される。そのひとつがおわけ祭であり、祷屋(一年間高向大社の神祭に奉仕する役)宅の玄関先に高向大社の分霊を招きおまつりすると聞く。御頭神事全般および式次第などについては曽野洋さんによる御頭神事奉祭次第記に詳しく記されている。
私がオワケ祭に興味を持っているのは、他でもない御頭神事の当日にオワケが焚き上げられることにある。あの光景を目にするとオワケに興味を持たずにはいられなくなる。
【参考】 御頭神事(高向大社)- 打祭り、切り祓い(2015) 2015年02月14日
オワケ祭については、宮川流域案内人である北村武久さんが見学会を毎年企画してくださる。祷屋は毎年交替していくので、北村さんに案内をお願いするのが一番だ。まずは集合場所となっている高向大社へ向かった。
国道23号高向交差点に架かる歩道橋に上れば、この方向に二ヶ所の社叢が望める。大きなクスノキがそびえ立つ左側は宇須乃野神社(豊受大神宮 摂社)の社叢、右側の社叢を目指した。
社叢を目標にすれば迷うことはない。私が高向大社にたどり着く直前に参進が開始された。その後を追うように
鳥居をくぐり参道を進むと手水舎前の祓所では修祓が執り行われた。
修祓を終えると宮司を先頭に辛櫃、奉仕者が祓所を後にして
拝殿へ移動した。
宮司一拝、献饌、祝詞奏上、玉串奉奠、撤饌と祭典が進められた。
祭典も終盤を迎えた頃、北村さんに案内をお願いした参加者は先にこの場を後にした。
祷屋宅で斎行されるオワケ祭の開始まで時間に余裕があったため、見どころを案内してくださると・・・
高向大社を訪れるや否やで参進を追いかけたので、祭典看板を目にするには今になってしまった。本日は「月次祭」「天皇誕生祭」そして「祷屋祭」が斎行されていた。だから祝詞奏上が長かったのだろうか?
日の丸を見上げてから
高向大社を後にすると
まず向かったのは、高向大社の近くにあるコドノ社。神武天皇遥拝所であるともいわれているそうだ。御頭神事の当日には御頭が神社を後にして真っ先に訪れる場所だ。
【参考】
- 御頭神事(高向大社)- 小殿社拝礼ほか(2015) 2015年02月14日
また、今回は写真家 阪本博文さんが自身の視線から描く写真と映像による紀行番組「ランドスケープ」の取材で参加されていた。(1月16日に更新される番組になるそうだ。)
続いて訪れたのはこちら宮川大橋の右岸側だ。
気づき難い場所にこの石碑が建てられている。
【参考】
- 加牟良(神村)神社々地跡(伊勢市御薗町高向) 2015年01月02日
さらにその近くにある「高向遺跡」の説明板。
そろそろ時間となったので、祷屋宅へ向う途中で見かけた札場にてのひとコマ。北村さんが神棚の中を紹介してくださった。内宮(皇大神宮)と外宮(豊受大神宮)の神札がお供えされていると聞いていたが、それは真実のようだ。毎月、担当となった方が神宮にお参りし、授与された神札を札場に納めると・・・。
【参考】 札場の場所についてはこちら
- 高向の札場を巡って(御薗町高向) 2015年01月31日
寄り道を終えると世古(子供が両手を広げたほどの幅の狭い路地)をたどりながら
祷屋宅を目指した。
そして、各所への寄り道を終えてから今年の大社の祷屋宅に到着。
すでにオワケ祭の準備は整っていたが祭典が開始されるまでしばし・・・
オワケ祭の次第についてはこちらを参照いただくとして。ここでは今年の流れを写真で紹介する。
【参考】
- 「おわけ祭」(高向大社 祷屋宅) 2011年12月04日
【オワケ祭の開始】
【手水ノ儀】
【修祓】
【奉安・献饌】
【祝詞奏上】
【拝礼】
【撤饌】
【閉扉】
【退下】
【閉扉後のオワケの仕上げ】
以上でオワケ祭が終了すると無事にこちらのオワケに分霊が宿られたのだろう。
祷屋宅を後にすると
北村さんに導かれて
御頭神事のクライマックスの場所である切祓祭場を訪れた。
【参考】
- 御頭神事(高向大社)- 切り祓い 2011年02月12日
以上で北村さんのオワケ祭見学は終了となった。私は再び例の歩道橋から社叢を遠望すると帰途に着いた。
今年は棚橋の御頭神事に浮気してしてしまったので、来年は高向大社の御頭神事を体感しよう。
【参考】
- 棚橋御頭神事(度会町棚橋) 2017年02月11日