2014年03月22日(土) お伊勢さん125社まいり 鴨めぐり その2 (車、徒歩)
お伊勢さん125社まいり 鴨めぐり の後半。
「鴨めぐり その2」はコースマップ通りにめぐった「鴨めぐり その1」以降の7〜13。 ()は、お伊勢さん125社以外。
- (幸神社)
- 津布良神社
- (山田寺)
- 鴨神社
- (氷室洞くつ)
- (田宮寺、田宮寺神社)
- 鴨下神社
- 奈良波良神社
- (廣泰寺)
- 小社神社
- 狭田国生神社
- (三縁寺)
- (村山龍平記念館)
田宮寺および田宮寺神社へのお参りを終えて元のルートへ戻ってきた。勝田の大池方向へ進むと「とびだしちゅうい」。立ち止まってしまった。
道なりに右へカーブしたその先には勝田の大池が見えてきた。
交差点を渡り「←勝田」の案内板に従って左折すると
旬菜 野の花亭の左側にある細い道を進んだ。
なだらかな坂道を進むと前方には鴨下神社の社叢が見え、
徐々に大きくなってくる。
社叢の手前を左へ進むとその中央が口を開けている。
お参り。木漏れ日が美しい。
鴨下神社を後にすると
いつもなら来た道を大池方向へ戻らないのだが、今回のコースマップでは戻る設定になっているのでとにかく戻った。この途中でFacebookに「鴨下神社」の写真を投稿したのだが、社名を間違えて「下鴨神社」と打ち込んでしまった。大池へ向かいながら編集機能を探すが見つからず結局訂正記事を投稿した・・・。(ところが、後で冷静になって操作してみるとすぐに編集機能が見つかった。間違いも履歴なので訂正せずに残しておくことにした。)
(車も自転車も人も通っていなかったので)そんなことをしながら歩いていると大池の前に到着し、左方向へと進んだ。交差点を越えて
この先、コースマップでは広瀬精工(株)玉城工場の前で鋭角に折り返すように設定されているが、奈良波良神社の脇へ出る道を見つけていたので、この場所から林の中へ入った。
奈良波良神社の樹叢を右手に見ながら林を抜けるとこちらに出た。この道を歩くのは初めてだった。広瀬精工(株)玉城工場の前から下ってくる道を合流するので右へ折れると
程なく
こちらへ到着する。奈良波良神社は参道が下りとなり、この道路の高さよりも低い地に社殿が建てられている。
真っ直ぐな参道を進みお参り。ここでも木漏れ日が美しかった。
マップのルートに従って広瀬精工(株)玉城工場前へ進むと先ほどの車道を右手方向へ。
左へカーブする右の途中に「宮古」の地名板。「宮古」と言えば2月上旬に獅子舞があり、早朝にはその舞役が石風呂で心身を清めるのだが御頭神事が集中する時期なのでいまだに拝観したことがない。来年は・・・、気の長い話だ。
そんなことを考えながら歩いていると次の交差点、右手には地図通りにホワイトハイツがあった。この交差点を右折すると
しばらくは道なりに進み、
突き当りに丁字路、前方には廣泰寺の建物の瓦屋根が見えていた。建物が多い!
丁字路を左折してから次の十字路を右へ進むと
この先には
廣泰寺の山門がある。立派だ。
建物平面図を見ると先ほど見た瓦屋根と重なる。
山門をくぐり境内へ入ると本堂へ続く参道がとても長い。
廻廊を横切って衆寮(禅堂)と大庫裡の間を進むと朱色の橋の先にあるのが本堂だ。
お参りしてから朱色の橋を渡り返してからパチリ。右手に建っているのが衆寮(禅堂)。
そしてこちら左手に建っているのが大庫裡。大庫裡よりも松の方が気になってしまう。見事だ。
廻廊を越えると長い参道を戻った。
左手には鐘楼。
廣泰寺を後にして「さあどうしよう?」
私の神社アンテナが反応した?。廣泰寺の山門を背にしてしばらく歩くと木の影に鳥居の柱が見えた。反応していたのはこれだったのか。
近づくと荒々しい石段、私好みだ。
鳥居に取り付けられた瓦製の扁額は一部が欠けているものの「琴平神社」と読める。
由緒等は分からないが岩を削って作られた階段を登り、お参り。常夜燈、鳥居の先には石製の小社。
(岩を削って作られた)琴平神社の階段を下っていると前方左方向に鳥居が見えた。鳥居に向かうとその前には「上宮古神社」の社標が建っていた。「上」があれが少なくとも「下」があり、もしかすると「中」があるかも知れない。そんなことを考えながら鳥居をくぐり、坂道を進むと
程なく辿り着いた場所には鳥居とその奥に
こちらの小社。屋根の鮮やかな青色が印象的だ。
予定外の神社にもお参りでき満足したものの、寄り道で予定時刻を過ぎていた。先ほどの十字路を戻ると「止まれ」で止まってから直進した。次に目指すは小社(おごそ)神社。こちらはお伊勢さん125社だ。
歩き始めると右側にいい雰囲気の場所を発見。
近づくと常夜燈、鳥居、さらにその奥には
五角柱の石が祭られていて、各面には「天照大神」「倉稲(魂命)」「埴安媛命」「少(彦)名命」「大己(貴)神」と刻されていた。()内の文字は推測。
この後ろ側に水路沿いの道が見えたので車道を通らずに、こちらの農道を歩くことにした。すると前方に社叢と鳥居が見えた。
近づくと「あれ?」
鮮やかな青色の屋根、先ほどお参りした「上宮古神社」のものとそっくりだ。こちらには社名を示すものはなかったがもしかすると「●宮古神社?(●は下、中など・・・)」かも知れない。(真相は不明)
先ほど車道へもどると車道沿いには山神が祭られていた。このカワラケが印象的だった。
この後は道なりに進みながら周囲をチラチラ・・・、パチリ、パチリ・・・。
そして、丁字路へ到着。前方に左から右へ伸びる道は奈良波良神社から小社神社へ向かうルートで、いままでもよく歩いた道だ。廣泰寺へ向かうために右折した交差点を直進していればこの道を歩いていたことだろう。この丁字路を右折していつものルートへ合流すると
路傍の菜の花をパチリ。
前方を見やると左方向に小社神社の社叢が見える。
歩道橋を渡り、左方向へ進むと社叢が近づいてきた。
さらに大きくなった。
そしてすでに小社神社の人となりお参り。
太陽はかなり傾いていた。
社域を出て右方向へ進むと
頭上には桜の木。
この時点では固そうな蕾で、まだ緑色だった。
小社神社の近くでパチリ。長閑な風景だ。次に目指すは狭田国生神社。
歩きながら何度も振り向いてパチリ、
パチリ。
県道 岩出田丸線へ出ると右折。ここからは振り返っても小社神社の社叢は見えない。
しばらく黙々と進み、佐田交差点を渡るとその先の
JR参宮線 三ツ桝踏切を渡った。
さらに直進して外城田川の右岸へ出ると外城田橋から狭田国生神社の社叢をパチリ。周囲は民家だ。
武者隠しのある道路から脇道へ入ると、こちらが狭田国生神社。
こちらの石柱は紀州藩が建立したとされる「禁殺生」であるが、ここには佐田国生神社と刻されている。
現在は狭田国生神社。使われる漢字の変遷は面白い。
参道を進むと左へ直角に折れている。
お参り。
お参りを終えて狭田国生神社を後にする際にパチリ。
コースマップでは武者隠しがある道路へ戻るのだが、今回はその道路と並行しているJR参宮線側の細い道を歩いた。民家の間を過ぎるとこの場所へ出る。左方向でJR田丸駅だ。後はゴールである村山龍平記念館を目指すのみ。そう思ったら少し遠回りしたくなりマップのルートから外れてJR田丸駅方向へ向かった。
田丸駅へ向かっていると右手にある三縁寺に呼び止められた。今まで田丸には何度も足を運んだが三縁寺を訪れたことはなかった。脇の入り口から本堂へ向かい、パチリ。
こちらでお参り。
扁額も立派だが、
こちらの彫刻も立派だ。
脇から入ったので正面を確認しておこうと山門を出て
寺名が書かれた看板をパチリ。味のある書体だ。『三』の傾き具合がなんとも言えない。
山門をくぐり、再び本堂へ戻ってくると変化があった。
お寺も本日は終了とのことだったので、三縁寺を後にして田丸駅へ向かうと
「熊野街道出立の街」のモニュメントが私を迎えてくれ、進むべき方向を示してくれていた。向かうはこの方向だ。
駅舎に向かって右方向へ進むと
こちらの交差点の中央には
「熊野街道、伊勢街道」の道標が建っている。懐かしい。
昨年、熊野古道伊勢路を踏破した初日に通過した場所、ここから熊野速玉大社(新宮)までは160km以上あるわけだからやっぱり伊勢路は長い。
【参考】
今年は熊野古道世界遺産登録10周年だ。中辺路や大峯奥駈道も歩いてみたい。そんなことを思いながら田丸城址の堀へ到着。お堀沿いに右方向へ進めば本日のめぐりは終了となる。
もう寄り道する場所はない。これくらいか、パチリ、
パチリ。
そして大手門橋を渡ると
SANCO玉城町役場前 バスのりばの前に
村山龍平記念館がある。本日のゴール。
記念館で資料を頂いていたら、男性から「記念館の二階には刀剣が展示されている。無料で見られる場所は三重県では他にはないから是非見て・・・」と声を掛けられた。促されるままに二階へ上がると真剣に刀剣を見学した。異なる金属の合わせ具合や仕上がり具合を比較しながら見てみると面白いものだ。
また、田丸城の 旧三の丸御殿奥書院が記念館の裏、SLの隣に復元されているので、そちらも見学(外観だけ)しようとしたら入り口の工事中で庭の中へは入れなかった。記念館で頂いた資料とともにパチリ。
以上でお伊勢さん125社まいり 鴨めぐりは終了し、帰途についた。
【 20140322 の記録 】
- お伊勢さん125社まいり 鴨めぐり その1
- お伊勢さん125社まいり 鴨めぐり その2