2015年11月13日(金) 「神服織機殿神社末社八所」の名称・・・
先週に放送された「伊勢神宮 心のふるさと-未来への提言」の予告では、今週のテーマが「神服織機殿神社末社八所」だった。
【参考】
- 来週は「神服織機殿神社末社八所」、伊勢神宮 心のふるさと-未来への提言-(三重テレビ) 2015年11月07日
神服織機殿神社末社八所の由緒など、詳細に知ることができるのだろうと楽しみにしていたのだが、実際には神宮でさえも詳細を把握していないとのことだった。(御祭神等は明らかでない状態でもお伊勢さん125社として祭りし、御造替が繰り返えされている。)
しかしながら、江戸時代に刊行された伊勢参宮名所図会には神服織機殿神社および周辺の様子が絵として表現されその中には各社の名称が記されている。今回の放送ではこの図会を中心に話が展開されていた。
また、Wikipediaで調べると伊勢参宮名所図会の他に太神宮両御機殿通俗畧記なる資料が紹介されていた。
ここでは、伊勢参宮名所図会および太神宮両御機殿通俗畧記で紹介されている名称を、伊勢参宮名所図会での名称(太神宮両御機殿通俗畧記の名称)として、私が撮影した写真に書き込んだ。
神服織機殿神社の瑞垣のなかは神服織機殿神社(天照大神)を中心として左右(西東)に末社八所のうちの二所として春日、八幡が配置されている。これは中世から近世にかけて流布した伊勢神宮の天照大神および春日神社の春日大明神、石清水八幡宮の八幡大菩薩の三神の託宣(神の意思やお告げ)の影響を受けたものだろうとのこと。
さらに斎庭の西側に配置された神服織機殿神社末社八所のうちの二所は次の通りで、北(右)側の大きめの社は雅産霊である。これは神麻続機殿神社でも配置は異なるものの雅産霊の社殿は大きめである。(詳細は後日別途記事にする予定)
※ 20151114の朝に、伊勢神宮 心のふるさと-未来への提言「神服織機殿神社末社八所」の録画を再度見ていて間違いに気づいたので訂正。
伊勢参宮名所図会および太神宮両御機殿通俗畧記では、笛宮と雅産霊の位置がテレコになっていた。
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そして、斎庭の東側、特に気になっていた北向きの社は石神だった。
結局、由緒は神宮でも不明なのでその先を辿るすべはないのかも知れないが、まずは一歩前進となった。
【参考】