回想! 浅沓師 久田遼三さん

実家での新年会で見つけた(私にとっての)お宝のふたつ目はこの写真、こちらは浅沓師の故『久田遼三』さん。

浅沓師 久田遼三さんの写真

浅沓師 久田遼三さんの写真

ネットでこの名を検索してもヒットしなかったので、仮想の世界にも『久田遼三』の名を残しておこうと思い記事を掲載することにした。

浅沓(あさぐつ)は神宮を始めとする全国各地の神職が祭典の際に履く沓。底板と和紙と漆などとてもシンプルな材料から浅沓師の技と時間がつくり上げる芸術作品と言える実用品だ。最近は価格面からプラスチック製のものも多用されると聞くが、やはり手づくりは修理もできるし長持ちだ、しかも本人の足に合わせて作られるから履き心地はかなり違うだろう。

伊勢伝統工芸保存協会のホームページでも紹介されているように

代々神官の浅沓師として仕えた伊勢市桜木町の久田家(ひさだけ)が担っており、現在は後継の西澤利一氏が伊勢でただ一人の浅沓師としてその伝統を守っています。 (一部を抜粋)

現在は西澤利一さんが浅沓づくりの伝統を受け継いでいるが、西澤さんの師匠であり、久田家最後の浅沓師が久田遼三さんだった。

【参考】

 

さらに、写真に添えられていた新聞記事も紹介しておこう。(全文を引用)

朝日新聞 1983年(昭和58年)10月19日 特集 この人、久田遼三さん

朝日新聞 1983年(昭和58年)10月19日 特集 この人、久田遼三さん

朝日新聞 三重版 1983年(昭和58年)10月19日 水曜日
特集 この人
10年後の御遷宮まで・・・
全国で専業ではただ1人、神職の沓を作る
久田 遼三さん

浅沓
と書いて、あさぐつと読む。神社の祭典などで神主さんらが履く、黒漆塗りのくつ、である。木靴かと思っていたら
「木は底だけ。ほかは和紙の一閑張りです。木型に和紙をカキ渋とわらび粉のりで、十数回も張り合わせて作るんです」
「15の時に父から作り方を教えられて以来、ここに座り放しです」
自宅玄関わきの、浅沓がゴロゴロしている所が、仕事場だ。
「昔は月に20足は作っていたもんですが、今は10足がいいとこ。足に合わんと脱げるので、全部注文製作です」
あと作っているのは京都に1人だけ、とあって注文は文字通り全国から。
沓だけでは脱げて歩きにくいので、脱げないように革靴のヒモに当たる部分に、綿を絹布で包んだ甲当てがつけてある。
「3年前までは女房の仕事でしたが、70で死んだので、今は娘が………」
父娘合作である。
1足、25,000円。もちろん修理も引き受ける。
「近ごろはどこの神社も玉砂利に砕石を使うから、沓の傷みが早いんです」
「長生きし10年後の御遷宮の浅沓も作りたい」
(伊勢市桜木町、78歳)

 

なお、この新聞切り抜きには私の父の手によるメモが添えられていた。

久田遼三 八十三才
昭和六十二年五月二十六日没
(常楽院遼誉真覚浄入居士)

 

10年後の御遷宮までの目標は実現できなかったが、15歳から83歳まで浅沓づくり一筋の長い人生、まさに職人道を全うされたのだろう。遅ればせながら、ご冥福をお祈りする。

 

実は、私は幼少の頃、久田遼三さんにお会いしたことがある。この写真が私にその当時の記憶を蘇らせてくれた。遼三さんは父方の祖母の縁者で、私は幼少の頃に父に連れられて伊勢市桜木町にある自宅兼作業所へ何度かお邪魔したことがあったのだ。浅沓を手にして作業している時は黙々と真摯に浅沓と向き合っていたが、一旦その場を離れ我々を迎えてくださる時は柔和な雰囲気で語り口もソフトだったと・・・。

今になって思えば、『すごい』体験をしていたのだ。

久田遼三さんが祖先から引き継いだ伝統は西澤利一さんに引き継がれ、さらには西澤さんのお弟子さん(以前、お弟子さんがいることを西澤さんから直接伺ったし、あるテレビ番組がお弟子さんの様子を伝えていた。)がこの素晴らしい浅沓の伝統を守り続けてくれることだろう。

 

最後に肩書として、『浅沓師』、『浅沓司』のいづれを使用するかを迷ったが、ここでは過去の新聞記事や伊勢伝統工芸保存協会のホームページで利用されている『浅沓師』を採用した。

 

Comments

  1.  はじめまして、愛知県の中村と申します。
     あなた様が今年の1月5日にアップされました久田遼三の孫の中村と申します。
    懐かしく拝見いたしました。祖父の軌跡をこのようにアップしていただけたことを感謝申し上げます。
     その中で、あなた様はお父様のおばあ様の縁者ということですが、よろしければお名前を教えていただけませんか。
     浅沓がひとりでも多くの皆様に知っていただけることがわたしもうれしいです。

    1. はじめまして、中村さん。遼三さんのお孫さんですか!
      私は、本ブログ最下部にある「神宮巡々とは」にも記していますが、桝屋善則です。
      亡き父、敦に連れられて桜木町にある遼三さんのご自宅には何度とお邪魔しました。子供ながらにも真摯に浅沓づくりに取り組まれる遼三さんのお姿に感動し、優しい語り口、さらに作業場(部屋)に漂う爽やかな匂いなど、今でも五感に思い出されます。
      では、また、

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