2014年10月26日(日) 第62回神宮式年遷宮 お白石持行事、 瀧原宮奉献 (徒歩)
第62回神宮式年遷宮、内宮(皇大神宮)の別宮で遙宮(とおのみや)とも称されている瀧原宮の遷御に向けて執り行われるお白石持行事に同行するため、1号車の出発場所である三瀬川スクールバス待避所付近に到着。
すでに集合時刻の8時となっていたので多数の奉献者が集まっていた。まずは奉曳車を見学しようと先へ進むと女性がいきなり豆しぼりの手ぬぐいを手渡してくれた。そこには朱の文字で「奉献団」と染られていた。私は写真撮影のために同行するだけのつもりだったので、「伊勢から来たのですが・・・?」と申し出るとその女性は何の躊躇いもなく「大丈夫です。どうぞ!」と一言。これで私も奉献団の一員に加えていただけた。何と言う包容力だろう! 写真撮影のために奉曳、奉献を追っかけるだけのつもりだったが、昼食の弁当をご馳走になり、お白石の奉献までさせていただけたのだった。(感謝、感謝)
奉曳車が置かれている最後尾へと向かうと
奉曳車の前にはテントが設営されていて、その下には出発式の式次第が掲げられていた。
第六十二回神宮式年遷宮
瀧原宮お白石持行事出発式式次第
一、修祓式
一、玉串奉奠
一、団長挨拶
一、来賓挨拶
一、祝電披露
一、御神酒
準備が整うと式次第に従って出発式が開始された。
まずは、修祓式。
大幣による祓いと
御塩による清め。
お白石を積んだ奉曳車、神遷、奉献者・・。
続いて、玉串奉奠。
団長挨拶に続き、
副知事の挨拶で「エンヤー」、「エンヤー」、ほか。
その後、祝電が披露されると出発式は終了となり、奉献者は綱を手に取った。
綱元から綱先まで移動して
先頭にてパチリ。綱先では「大一」の幟と高張提灯、さらに「奉献団」の幟が先導した。
奉献者が綱を手にすると、奉曳車に乗った音頭とりによる木遣り唄が始まった。
奉曳ルートは次の通り
【参考】 瀧原宮 お白石持行事 1号車の奉曳ルート
木遣り唄が終わると拍子木の合図で「エンヤー、エンヤー・・・」、奉曳車が動き出した。
今回新調された奉曳車がゆっくりと曳かれて・・・
しばらく曳いたところで休憩。まずは慣らし運転。
休憩を終えて動き始めると先ほどとは少し様子が異なり、綱が左右に揺れ始めた。しかし、まだまだ遠慮気味である。伊勢の神領民による練りを見慣れている私にとっては少し歯がゆかったが、実はこの後、徐々に盛り上がってくるのだった。これはウォーミングアップのさらにアップのようなものだった。
左右に揺れ動きながら前へ進む綱に曳かれて奉曳車は・・・
熊野古道伊勢路 三瀬坂峠の三瀬川登り口付近を過ぎると
練りにも力が入ってきた。大人も童心に返る?
かなり、動き回ったので一休み。
三瀬川を訪れるといつも眺める風景、宮川の向かいにある大台町長ヶ(ながけ)方向をパチリ。
休憩を終えると奉曳が再開された。木遣り唄の後、「エンヤー、エンヤー・・・」
練りにも力が入った。
こちらのおばあちゃんは、ハンドマイクを手にしてパワフルに「エンヤー、エンヤー!」
こちらでは楽しみながら次世代へと継承されていた。遊びながら覚える!
重いよ!
奉曳車が出発してどれくらい曳かれただろうか、三瀬川の集落の入口までたどり着くとそこにはトレーラーが待機していた。(なぜ、こんな所に?)
綱先がトレーラーを過ぎると奉献者は綱を離れ前方へと進んだ。
この先、船木地区までは民家が無いため奉曳車はトレーラーで運ばれるとのこと。奉献者はバスか、徒歩での移動となった。
しばらくすると待機していたトレーラがバックして来た。
奉曳車は段取り良くトレーラーに載せられると
この場を後にした。
私は船木地区まで歩こうかとも思ったが、奉曳車に追いつけない不安があったためバスのお世話になった。
バスにて先行して待機しているとトレーラーにて奉曳車が運ばれてきた。
奉曳車がトレーラーで運ばれる姿には初めてお目にかかる。なお、内宮でのお白石持行事にて特別神領民のための奉曳車が宇治橋前からおはらい町通りの入口までペイローダーと呼ばれる重機で運ばれていた。
【参考】
奉曳車が船木地区へ到着した後も歩いてこちらへ向かった奉献者が続々と到着した。
奉曳車がトレーラーから降ろされると
「さぁ、始めるか!」
私が綱先へ移動すると
木遣り唄の後、拍子木が打たれて奉曳が再開された。
心待ちにするおばあちゃんたちも・・・
その前を「エンヤー、エンヤー」
練りにも力が・・・・
左右に、左右に・・・
そして、ついには
道路から畑に・・・
練りながらも奉曳車は前へと運ばれた。
船木の休憩ポイントが近づくと
綱を片手で握ったままで、もう一方の手を延ばしてお茶を求める人の姿も見られた。
人曳きを終えるとしばし休憩に。
各所に準備された飲み物やお菓子が気持よく疲れた奉献者を癒していた。
曳き手が離れた綱を綱先からたどると
途中で子供用の細い綱が太い綱に繋がれていた。
休憩が終了すると木遣り唄、
ここで唄われた木遣り唄は、こちら
↑ ここをクリックすると開始される。
木遣り唄の後「エンヤー、エンヤー・・・」
2本の綱は一体となりウェーブのように伝播する練り練りの状態となり、
曳き始めの頃のぎこちなさはまったく見られなかった。
三瀬川登り口から2500kmポイント通過。
この辺りで何度めかの休憩。
頑張った子どもたちもかなり疲れていた?
ここは明治37年に船木橋が宮川に架けられてからの熊野街道(それまでは上三瀬と三瀬川の間、宮川を三瀬の渡しで渡った。)
昨年、伊勢から新宮まで歩いたことを思い出した。
【参考】
「さぁ、出発!」
木遣り唄、拍子木の後、綱先の子どもたちが曳き始めた。次回の式年遷宮では彼らは一人前になっているのだろう!
もうすぐで国道42号に到着するが
さすがに迂回路がない国道を奉曳することはできないとのこと。ここからも奉曳車は里旧道入口までトレーラーでの移動となった。
トレーラーが停まっているところまで坂道を練りながら下ってきた。
すでに綱から離れた奉献者は待機しているバスへと消えていった。
「おっとっと!」 坂道を勢い良く曳かれたため奉曳車が前傾しそうになった。「おお危ない!」後ろに荷重を掛けながらゆっくり、ゆっくり・・・。
トレーラーの近くにたどり着くと綱が手際よく巻き取られていった。
先ほどはバスを利用してしまったので、里旧道入口までは歩いて向かうことにした。船木大橋南交差点を左折して
国道42号を早足で歩いていると
奉曳車の綱を載せた軽トラックが追い抜いて行った。
さらに、国道が紀勢自動車道と交差する付近にて
お参りしていたら
奉曳車を載せたトレーラーが通り過ぎて行った。
さらにその後を追うように奉献者を乗せたバスが・・・・。
ドライブインあら竹を過ぎた辺りでも追い抜かれた。
「急がないと奉曳車の出発に間に合わない?」、ここからはより早足で・・・。
前方に法被姿の人たちを発見、
熊野古道伊勢路 三瀬坂峠 里登り口を道路の向こう側に見ながら進むと
里旧道(熊野古道)入口では木遣り唄が始まっていた。
木遣り唄、拍子木の後、この狭い旧道へと奉曳車が曳き込まれた。
ここは熊野古道、彼らが熊野への参詣者である錯覚に陥った。
が、音頭とりの声で我に返った。
また、この道の脇にある民家の庭には小さな祠が祭られていた。この場でお参り。
「エンヤー、エンヤー・・・」
子どもたちも元気に「エンヤー、エンヤー・・・・」
拍子木の合図で小休止。
国道42号 里交差点を先に渡って再開を待っていると警察官が信号機を操作した。
すべての信号機が赤になると奉曳の列は
一気に国道を横切ると思ったところ
何と、練り練り状態で時間を掛けて渡ってきた。
国道を渡るとその先左手には里集会所があり、昼食の休憩となった。
集会所だけでなく、坂の下でもお弁当を配付しているとのこと。曳き手が離れた綱に従った。
先導の幟と高張提灯も休憩しているその先でお弁当をいただいた。(ごちそうさまでした。感謝)
早々に昼食を済ませると休憩中に瀧原宮へ向かうと奉献に先駆けてお参りした。
その際に足神付近に設置されたゲートの提灯をパチリ、
さらに、こちらは瀧原宮の御手洗場となっている頓登川に架かる橋の詰めに建てられていた提灯。
瀧原宮でのお参りを終えると里集会所方向へ向かった。お参りに時間が掛かってしまったためすでに奉曳が始まっていた。ここは足神から集会所へ向かう途中。ここでもおばあちゃんたちが待ち遠しそうにしていた。
さらに進むと前方から先導の幟と提灯が現れた。
綱先では元気を取り戻した子どもたちが・・・・
奉曳の列がどんどん近づいて来たので瀧原宮で待つこととし
私は参道を先行した。
途中で振り返ってパチリ。
ここは瀧原宮の前の道路、両側には紙垂を付けたしめ縄が張られていた。
また、瀧原宮前にはお白石を包む白布を配るために女性陣が待機していた。
その近くでは大宮中学校前からやって来る2号車待ちのカメラマンが・・・。(あの石垣は大丈夫なの?)
しばらくすると1号車の先頭が現れた。
そして、2号車も・・・。
2号車、
1号車、
両者が近づくと合流した。
綱を曳いてきた奉献者は入り乱れて・・・・
すると各奉曳車の音頭とりによる木遣り唄がエール交換のように披露された。
木遣り唄の様子の一部は次の通り。
【動画】 39秒(6.9 MB )
木遣り唄が終了するとまずは2号車の奉曳車が瀧原宮前へと曳き込まれた。
【動画】 1分01秒(10.4 MB )
何とかこちらに納まった。
続いて、1号車もその隣へと曳き込まれた。
以上で、三瀬川スクールバス待避所(1号車)および大宮中学校前(2号車)から奉曳車にお白石を載せた奉曳が終了し、ここからは奉献となる。
神宮の神職による修祓を受けると
奉献が開始された。
奉献者を配布された白布にふたつのお白石を包むと鳥居をくぐった。
私もお白石を手にすると奉献団の一員として参道を進んだ。何度も訪れたことのある瀧原宮だがこの雰囲気は格別。
修祓に使用された大麻が私を追い越して行った。
参道から御手洗場(頓登川)へと下ると子どもたちから「気持ちいい!」の声が聞こえた。
川の流れで心身を清め参道へ戻ると
奉献の列に列んだ。
私が奉献したお白石。
余りにも輝いて見えたのでパチリ!
この辺りから渋滞となり、少しずつの前進。
雨儀廊を直進すると
新御敷地に造営された瀧原宮、瀧原竝宮の順でお白石を奉献した。
なお、瀧原宮の所管社である若宮神社および長由介神社(川島神社を同座)も新御敷地に新しい社が造営されていた。すると、最近造替された御船倉のみが現在の御敷地に残されることなる。
奉献を終えると瀧原宮、瀧原竝宮、若宮神社、長由介神社(川島神社を同座)の順にお参りしてから参道を戻った。
新しい鳥居をくぐり返すと
餅まき会場へと向かった。
しばらくするとお白石持行事の締めの行事としての餅まきが開始された。
私は途中で会場を後にすると
車を駐めている道の駅 奥伊勢おおだいを目指した。
【 20141026 の記録 】
- 道の駅 奥伊勢おおだい から瀧原宮お白石持行事の出発場所(三瀬川スクールバス待避所)へ
- 第62回神宮式年遷宮 お白石持行事、 瀧原宮奉献
→ 遷御に向けて雨儀廊が準備された瀧原宮 - お白石奉献を終えて、瀧原宮から大台町役場まで
奉献の車は小ぶりですが、新しくいいですね。子どもたちが遊びながら、触れながら覚えていくっていうのは、文化の継承の在り方を考えさせられます。
p_m_aさん、奉曳車は2台とも今回の奉献に際して新調されたそうです。たしかに伊勢で見慣れた奉曳車と較べると小ぶりですが遜色はなくなかなか立派な車でした。また、子どもたちはとても楽しそうでしたヨ。きっと二十年後の式年遷宮に活かされることでしょう。継承を意識せずとも知らず知らずのうちに伝えられている、そんな気がしました。二十年後にその結果を確認したいものですが、私は70歳を過ぎてしまう・・・。