2015年12月19日(土) お伊勢さん125社まいり、内宮めぐりと宮川めぐりの一部+α (徒歩)
今年も残すところ10日余りとなった。先週はお伊勢さん125社まいり 内宮めぐりを実施したので、今週は外宮めぐりを中心に宮川めぐりの一部などへと範囲を広げて多くの摂社、末社をお参りすることにした。
今回の月次祭では外宮および内宮での奉幣の儀は平日に斎行されたため奉拝することができなかった。豊受大神宮の別宮である月夜見宮のパンフレットを確認すると「12月19日午前10時奉幣」と記されていた(今回訪れて分かったのだが、神宮の月次祭は午前8時半から9時くらいに開始され、10時からは月夜見宮奉賛会による月次祭が斎行される)ので、これに合わせて30分前に到着するように家を出発した。
伊勢市駅方向から歩いて伊勢銀座新道商店街の入口付近に架かる歩道橋を渡ると
月夜見宮の東側から正面へと回りこんだ。
月夜見宮へ到着するとトラックの上には油単が掛けられた辛櫃が載せられていた。
その詳細については別の記録で紹介する。
祭典が開始される前の月夜見宮にお参りしてから
その右手奥に鎮座する高河原神社(豊受大神宮摂社)にもお参りした。
すると祓所には千切が残されていた。(後で分かったことだが、今日は月次祭 大間巡回の日でいつもより1時間ほど早く、8時頃こちら高河原神社から開始されたとのことだった。その名残が千切)
月夜見宮の境内にまつられているお稲荷さんをもお参りしてから月夜見宮を後にすると近くの須原大社を訪れた。こちらの鳥居をくぐってお参りを終えると社務所脇にある裏の鳥居から境内を出た。
その後、伊勢高柳商店街へ向かうとアーケードを・・・
アーケードが終了する付近には今社があり、その境内には清川稲荷大明神と天満宮も鎮座している。
ただし清川稲荷大明神および天満宮は御遷座に向けて修繕されているためその中心に建つ今社が仮殿となっていた。仮殿でもある今社にお参りするとひとり女性が熱心に清掃されていた。
その女性と挨拶を交わし、清川稲荷大明神の御遷座について尋ねると「今夜です。」との返答。私は必然を感じていた。これは拝観しなくては!、その女性に開始時刻を尋ねると社務所に滞在していた宮司に取り次いでくれた。改めて宮司に遷座祭の斎行時刻を尋ねると「7時からです。」とのこと、「できれば拝観させて下さい。」とお願いした。清川稲荷大明神および天満宮の遷座祭については別の記事で紹介する。
今社を後にすると豊受大神宮摂社である清野井庭神社へ向かった。(今社の蕃塀脇に建つ社号表には「清野井庭神社旧地」と刻されている。)
清之井公園の隣にある社叢、
その中へ入ると
お参りしてから祓所を確認した。月次祭の大間巡回はすでに終えているはずだがその名残はなかった。
清野井庭神社の社叢を出ると目と鼻の先にある草奈伎神社、大間国生神社(共に豊受大神宮摂社)へと向かった。
社叢の入口から中を覗くと目の前には石積みの蕃塀、その左側には小ぶりな手水石が置かれている。
手水石を眺めると少し遅めの紅葉。暖冬なのだろう。
まずは皇大神宮第一摂社である草奈伎神社にお参りしてから
大間国生神社にお参りした。
大間国生神社はすでに月次祭 大間巡回を終えていたが、草奈伎神社は内宮(皇大神宮)や外宮(豊受大神宮)と同様に由貴大御饌の儀と奉幣の儀が斎行されるとのこと、同夜から翌朝にかけて執り行われた。(草奈伎神社等をお守りされている方から電話で連絡をいただき、草奈伎神社での月次祭を奉拝する機会を得たのでその内容については別の記事で紹介する。)
草奈伎神社、大間国生神社を後にするとJR参宮線 山田上口駅へ立ち寄った(トイレを貸していただいた)。
続いては辻久留に鎮座する上社を訪れると鳥居の前には幟が立っていた。
鳥居をくぐり手水舎にて心身を清めると上社の参道の右手にある石垣の間を先へ進んだ。
その先には上社の境内地に隣接してお伊勢さん125社がまつられている。
手前には打懸神社(豊受大神宮末社)、
さらに奥へ進むとそこには同じ瑞垣のなかに志等美神社および大河内神社(共に豊受大神宮摂社)が並んでいる。
お伊勢さん125社にてお参りを終えると上社の参道を進んだ。こちらが上社の拝殿。
大祓に向け、「大祓い人形受」箱が設置されていた。
両宮遥拝所等にてお参りを済ませると上社を後にした。
伊勢市立伊勢図書館へたどり着くと調べものを終えてから
その前に鎮座する坂社の看板に惹き寄せられた。
御神遷については以前に紹介したが、新たな看板は
一月八日 祭典 午前十時 初えびす大祭(伊勢上座蛭子社)
また、近くに建つ掲示板には次のポスター。
鳥居をくぐり階段の先右手には「しめ飾り置場」が設置されていた。
この立札の向かいにある手水舎にて心身を清めると坂社にお参り。拝殿には古札を納める箱が準備されていた。
初えびす大祭が執り行われる伊勢上座蛭子社へ向かうため社務所脇を通り過ぎようとするとその角には「人形置場」が設置されていた。こちらでも大祓のため・・。
伊勢上座蛭子社にお参りしてから伊勢上座蛭子社の前面に建つ鳥居を後にした。振り返ってパチリ。
急ぎ足でたどり着いたのは外宮の北御門参道口。
振り返ると神宮司廳の名前が入ったトラックが駐車場へ入って行った。
火除橋を渡り、御厩の手前で右手方向へ進むと途中でこの分岐に出会う。ただし、右方向にはしめ縄が張られているので参入できない。神馬はこちらを抜けて外宮神馬休養所へ向かう。
【参考】
- 外宮神馬休養所 2014年11月23日
この参道を直進すると突き当りには大きなクスノキが立ち、その前にはしめ縄が張られている。上御井神社(豊受大神宮所管社)への遙拝はこちらから。
上御井神社への遙拝を終えて振り返るとこちらが大津神社(豊受大神宮末社)、お参り。
見上げてパチリ。
先ほど歩いてきた参道を戻ると左手には度会国御神社(豊受大神宮摂社)。
こちらの祓所にも千切が残されていた。
祭典が執り行われた証だ。
北御門参道へ戻ると鳥居をくぐり御酒殿(豊受大神宮所管社)を
遙拝。
北御門参道をさらに進むと大庭の先で表参道と合流する。右方向へ。
御正宮にお参りしてから板垣南御門の前に建つ蕃塀の裏側へ回った。
そこには炭のような跡。これは月次祭の由貴夕大御饌の儀、由貴朝大御饌の儀にて使用された松明の跡だろう。(数日前のことだが・・・)
板垣には臨時の出口が準備されるなど、年末年始に向け多数の変化を見かけたが、それらについては別の記録で紹介する。
例の丸い石が戻っていないか?と古殿地を眺めながら・・・
参道を戻ると久しぶりに別宮への参道を進んだ。
多賀宮への石階の手前にて右手方向に土宮を遠望。
多賀宮へ進むと・・・
石階を登りつめた場所に建つ番舎前を右へ折れた。
その先には参拝者の列。列ぶのが苦手は私は石段の下で参拝してから
本殿をパチリ。
先ほど登った石階を下る途中で風宮を望んだ。
多賀宮からの石階を下り切るとその先で左方向へと続く細い参道へ入った。この先には下御井神社(豊受大神宮所管社)。
お参りを終えてからパチリ。谷筋に鎮座している。
井戸の上に小さな社殿。
参道を戻りながら土宮をパチリ。
土宮でのお参りを終えてから私が好きな風宮へ。風宮の前に立つサカキは内宮遙拝所であると衛士さんに聞いた。
風宮の古殿地をさまざまな角度から眺め、
ハート形の石を確認してから表参道へ戻ると第二鳥居をくぐった。
さらに第一鳥居をくぐった先がこちら。神宮御料酒である白鷹の樽が並んでいた。
表参道の火除橋を渡ると
祭典看板を確認。
天長祭 十二月二十三日 午前七時
こちらで外宮を後にすると内宮方向へ歩き始めた。
岡本一丁目交差点付近にある宮崎お花畑の間を抜けると
旧豊宮崎文庫の表門方向へ・・・。
表門を過ぎると
右手に「定」の立札を確認することができる。こちらが度会国玉比賣神社(豊受大神宮摂社)他への参道入口だ。
参道へ進むと左手にはこの警告板「入林禁止 火の用心 神宮司庁」。
手水石を過ぎると右手方向、見上げるほどの石階の上には度会国玉比賣神社(豊受大神宮摂社)。
お参りを終えてからパチリ。
参道へ戻り、さらに奥へ進むとこちらの石階が続き、こちらの上には伊我理神社(豊受大神宮末社)が鎮座し、井中神社(同末社)を同座している。
お参り。
参道を戻ると先ほど紹介した手水舎を右手に見ながら境内地を後にした。
水路に沿って続く道路を道なりに進むと
その先には山末神社(豊受大神宮摂社)。
いつもは誰もいないのだが、今日は参道に車が停まっていた。
恐る恐る参道を進むと瑞垣の御門が開かれていた。その中では清掃中だった。
清掃している方が瑞垣から出てこられたので話を伺うと「週イチで清掃している。溝には落ち葉や土砂が積り大変、また、この付近にもイノシシが現れるので・・・」また、「明日に祭典がある」など
明日の祭典は月次祭の○○巡回なのだろう。○○の名前は?だが。
心の中で感謝しながら
山末神社を後にした。
山末神社付近から
貯木場越しに田上大水神社の社叢を遠望。この中を突っ切ることはできないので、フェンスに沿って左方向へと巻いて田上大水神社を目指した。
田上大水神社のすぐ近く、丁度フェンスの角付近では杉の木が数十cmほどの丸太に切られていた。大かがり火用だろうか?
フェンスを離れて
田上大水神社(豊受大神宮摂社)への石階を進むと
その先には田上大水神社、田上大水御前神社(共に豊受大神宮摂社)。同じ瑞垣内にまつられている二社の配置が興味深い。お参りを終えると
瑞垣の周囲をぐるりと巡った。こちらは古墳だそうで「丸山さん」とか「車塚」とも呼ばれているため円墳だと思っていたが前方後円墳とのこと。
田上大水神社を後にすると左方向へ向かい御木本道路へ出た。
勢田川沿いにあるおかげバス 庁舎前 バスのりば前を外宮方向へ、途中で勢田川沿いを歩くと
岡本公園付近で勢田川から離れた。岡本公園には明倫小学校の児童が考えた時計が建っていた。それがこちら。
宇治山田駅方向へ進むと「伊勢うどん ちとせ」の前に参道入口がある
箕曲中松原神社に立ち寄った。こちらは本日巡った須原大社、今社、上社、坂社(藤社)と本日は巡っていない茜社、世木神社とで山田産土八社と呼ばれ、御頭神事が執り行われる。
【参考】
- 御頭神事(箕曲中松原神社) 2013年01月13日
そして、箕曲中松原神社の御頭神事の際に使用される水鏡御拝所がこちら。
箕曲中松原神社に隣接した伊勢豊受稲荷神社にもお参り。
反対側の鳥居を抜けると過ぎ近くに近鉄宇治山田駅がある。
宇治山田駅から裏道を通って河崎本通りを進むと和具屋の先で
河邊七種神社への参道を進んだ。
手水を受けると
手水舎の柱にはこの看板。
こちらが準備された「しめ縄置場」。
河邊七種神社および
吉家稲荷神社にお参りした。
河邊七種神社を後にすると
少しだけ八間道路を歩き、途中でこちらへ。目の前には船江上社の鳥居。
船江上社の境内地に隣接して鎮座する河原淵神社(豊受大神宮摂社)へ向かうと
お参り。
船江上社にもお参りしてから自宅付近へと戻ってきた。こちらが河原神社(豊受大神宮摂社)の社叢。
社叢へ入ると傾きかけた太陽が「定」の立札の影をこんな所まで伸ばしていた。
お参り。こちらの遷御はいつになるのだろう?
河原神社を後にすると
自宅へと向かった。
夕食後には清川稲荷大明神他の遷座祭を拝観するために今社を、さらに夜半には月次祭 由貴大御饌を奉拝するために草奈伎神社を訪れた。
【 20151219の記録 +α 】
- お伊勢さん125社まいり、内宮めぐりと宮川めぐりの一部+α
→ 月夜見宮奉賛会による月次祭(月夜見宮)
→ 修繕を終えた清川稲荷大明神および八幡宮(今社、伊勢市宮町)
→ 千木の重なり方の確認
→ 年末年始の準備、臨時出口が設置された御正宮の板垣ほか(外宮)
→ 初めて見かけたラッピング「おかげバス」(伊勢市制10周年記念事業)