長谷の車田 御田植祭(多気町長谷)2014 動画あり

2014年05月11日(日) 長谷の車田 御田植祭(多気町長谷)2014 動画あり (車、徒歩)

長谷の車田へ、そして近長谷寺ほか にて 近長谷寺への散策を終えて長谷の車田に戻ってくると御田植祭の準備が進められていた。

長谷の車田 御田植祭は、地域おこしのひとつとして『古里の景観や農業の大切さや稲作文化を後世に伝える』ことを目的として平成10年に創設されたそうだ。

【参考】 長谷の車田 御田植祭の詳細についてはこちら、

 

御田植祭の受付へ向かうと、そこには次の説明板が準備されていた。

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

お田植祭について
お田植祭はお田植神事として田の神の降臨を仰ぎ豊かなみのりを希いその希望の表現は単なる祈りの言葉だけではすまされない農耕儀礼の精華である。
天智天皇五月に産土神と御年神(須佐之命・大山津見命の子)を降臨して頂き田舞を奏するとも書かれてあります。
五月をサツキというのもサは稲作の幸う神・田の神・年の神を祭る語りの頭言葉でサオトナ・サオトコを田植する男・女、サンバイオロシは神を降りて頂き、田植始めをサヲリ・サビラキと呼んでいる。
神を招きその照覧のもと誠意をつくして労作に勤んだ古いならわしが今に受けつがれています。
平成十五年五月
佐那神社 宮司 久保典子

 

車田へ戻るとその中心には御幣が立てられていた。

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

 

こちらでは、神事を斎行された佐那神社の禰宜宮司である山下高史さんが最終チェックの最中だった。

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

案の上には玉苗も。

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

FacebookおよびTwitterでは、「宮司」と記してしまったが、「禰宜」の誤りだった。ここで訂正すると共にお詫び申し上げます。

( 2014年06月08日に佐那神社を訪れ、「さなやしろ五十七号」を手にしたところ、発行日が平成二十六年五月十八日で発行責任者が佐那神社宮司 山下高史と記されていた。

さなやしろ五十七号(佐那神社)

  再三の訂正で申し訳ないです。やはり一次情報しか使っちゃいけないか。反省しきり・・・ )

 

御田植祭が開始されるまでの間に、私のコンデジでも車田全体を撮影できる場所を探して車田を周った。所々でパチリ、パチリ。

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

 

車田の周囲では四方祓のための榊も準備されていた。

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

 

まだ時間があったので、長谷公民館へ下ると、少女達が公民館を出て車田へ向かった。

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

私は折り返して彼女たちの後を追った。 少し不安なのだろう。

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

 

そして、ついに定刻の10時となり、長谷の車田 御田植祭が開始された。式次第はこちら。

一、 修祓
一、 降神の儀
一、 祝詞奏上
一、 四方祓の儀
一、 御田植
一、 玉串奉奠
一、 昇神の儀
一、 直会

 

【修祓、降神の儀、祝詞奏上】

修祓に始まり、降神の儀、祝詞奏上と続いた。

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

 

【四方祓の儀】

続いては田植えの前に車田を祓う四方祓の儀が執り行わえた。

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

 

【御田植】

そして祓い清められた車田への第一歩。車田には苗を植える目安として等間隔で同心円の線が引かれていたが、それらの線を消さないように子どもたちは後半からの参加となった。

まずは、早乙女(?)が田に入ると中心から田植えを始めた。

【動画】 1分34秒(8.2 MB )

 

順次外周へと・・・。 説明はいらない。

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

 

そして子どもたちの登場だ。

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

 

日差しが強く汗ばむほどの陽気に、ヒンヤリとする水田に裸足で踏み込む少女。気持よさよりも不安の方が強かっただろう。

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

 

別の場所からも・・・。田の表面に引かれた線を踏まないように足を運ぶ姿は健気だった。

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

 

多くの子どもたちが車田に入った。

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

 

少女の健気さはこんな感じだった。田の表面に引かれた線を踏まないように最終の注意を払って・・・

【動画】 30秒(2.7 MB )

 

彼らはいい経験をしたことだろう。

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

 

それにしても神事を斎行された佐那神社の禰宜 山下さんは田植えの最初から太鼓を打ち鳴らし、結局は最後まで・・・。

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

 

見ていても楽しい時間はあっという間に過ぎてしまった。御田植えは終了。

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

 

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

最終確認だろう。どんな会話が交わされたのだろうか? 興味深い。

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

 

【玉串奉奠、昇神の儀】

田植えが終了すると

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

昨年に収穫された米で作られたおはぎの振る舞いがあるため、ほとんどの見学者は車田を離れた。記念撮影をする子どもたちもいたが、

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

 

御田植祭としての儀式は順次進められ

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

玉串奉奠の後、

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

降神の儀を終えると御田植祭は終了となった。

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

 

【直会】

御田植祭の後は、お供えされていた御神酒にて直会となった。

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

 

私はしばらく車田に残り、ひとり余韻を楽しんだ。

やはり、中心と周辺、田んぼでの作業に慣れない子どもたちの足の運びには無駄が多いのだろう。私が植えればもっと酷いことになっていただろう。

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

長谷の車田 御田植祭

 

結局、車田にて余韻を楽しみ過ぎたため振る舞いのおはぎは残っていなかった。(残念)

恒例のおにぎり三個を頬張ると「長谷」の地を後にした。

長谷の車田 (多気町長谷)

長谷の車田 (多気町長谷)

 

活躍した太鼓もトラックに載せられて車田を後にするところだった。

長谷の車田 (多気町長谷)

長谷の車田 (多気町長谷)

 

【 20140511 の記録 】

 

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