2015年02月15日(日) 早くも実現した「五ヶ所浅間山」歩き(南伊勢町五ヶ所浦) (車、徒歩)
先日、国道260号を走っていて赤信号で停車した時に左手に望んだ五ヶ所浅間山、
【参考】
- 五ヶ所浅間山の遠望(南伊勢町五ケ所浦) 2015年01月17日
高麗広公民館を訪れるために遠回りして五ヶ所浦から五ヶ所街道を走ることになったので、五ヶ所浅間山を歩く機会を得た。(予想以上に早く実現できた。)
【参考】
五ヶ所神社を後にすると剣祖「愛洲移香齊」生誕の地の展示館「愛洲の館」へ向かい、その駐車場に車を駐めた。
愛洲の館には五ヶ所浅間山を歩いた後で立ち寄ることとし、まずは五ヶ所浅間山へのアプローチへ。私は伊勢志摩国立公園 横山ビジターセンターが提供している次のウォーキングマップを手にして歩き始めた。
【参考】
ここから五ヶ所浅間山へは城山橋で五ヵ所川を渡ると右折して道なりに進む。
城山橋を渡る際、右方向には目的地である五ヶ所浅間山の山頂が望め、
鳥居も見える。
右折してから道なりに進むと
滝後橋が架かっている。
さらに進むと坂道となり、途中で振り返ってパチリ。
程なく登り口に到着した。
登り口には案内板があり迷うことはない。ただし、この先は私有地なので一般車両は進入できない。
コンクリート舗装された坂道を進み視界が開けると周囲にはみかん畑が広がっている。
折り返してさらに進むと風景は一転し、こんな感じとなった。
黙々と高度を稼ぐと眼下には先ほど車で走ってきた五ヶ所浦の風景が広がっていた。
途中で、軽トラックが私の脇を通り過ぎていった。こちらのみかん園の方だろう。その後、さらに坂道を進むと
こんな照明器具がある場所に出た。ここからも下界を見渡せた。
先ほどのマップに従って舗装路をさらに進もうとしたところ、先ほど軽トラックで通り過ぎた男性が声を掛けてくれた。「この先は獣害対策のため止めてあるので、下の・・・」
私がお礼を言って下側の分岐へ戻ろうとしたところ、「ちょっと待って!」と言って軽トラックへ戻るとこれを手渡してくれた。(甘くて美味しかった。「ごちそうさまでした!」)
その分岐まで戻ると(この分岐があることは知っていたのだが、マップにある「展望が開け、馬山が見える」の言葉に誘われてこの舗装路を先へ進んでしまった。今はどこでも獣害が大変なので、仕方が無いことだ。)
木製の案内板「せんげんさん」に従うと
山道の参道となった。その途中にはこんな案内板があった。
みかん畑の近くまで来るとみかん園に沿っての登りとなった。
その途中にはこんな落とし物。鳥が突いたのだろうか?
その先でこの分岐に到着。ここは左への選択が妥当だろうだが、先ほどの男性が言っていた「止めてある」場所を確認したくて舗装路へ出ると
坂道を下った。この場所から上は地道になっていた。
舗装路を下ると十数mだろうか、金属の格子が立てられ通行できない状態になっていた。「止められていた」 これは越えることもできないので、引き返すしか無い。あの男性に出会って助かった。感謝だ。
この付近からは五ヶ所浦が望めた。(ところで、馬山はどこだったの? すっかり忘れてしまっていた。)
先ほどの分岐には戻らずに、コンクリート舗装路の延長にある山道を進むと
先ほどの分岐からの山道と合流して頂上付近へ到着した。見上げると石階の上には下界から見上げた鳥居だ。
さらに近づくと
鳥居の足元には「文化・・」と刻された手水石が置かれていた。
さらに鳥居をくぐると右手には
山頂標、
その右手には五ヶ所浦浅間山「浅間碑」説明板があった。
五ヶ所浦浅間山「浅間碑」案内
この浅間山は、富士信仰の山です。
富士山の霊山信仰が一般民衆の間に盛んになったのは江戸時代で、富士山を「大日如来」とし、その従者「浅間菩薩」などを祀って、富士登山講のシンボルとしました。
ここの浅間碑は、延宝六年(1678)のもので、当町内では最も古く、その上、富士山が四方から拝まれることから、四面に菩薩像を浮き彫りにし、また、宝永山「宝永四年(1708)の噴火で出来た山」をも祀って、他には見られない特色があります。
平成十二年六月、南勢町指定文化財「工芸第一号」
南勢町教育委員会
浅間碑へ近づくと
四方から拝見、パチリ、・・・
背面付近からパチリ。近くの木には
太い竹が縛りつけられていた。
見上げてパチリ。
また、この近くには説明板にあった「宝永山」が築かれていた。
山頂付近には大きな岩も多く、磐座だったのだろうか?
浅間碑の前へもどると
こんなお供えがあることに気づいた。
山頂から先ほどくぐった鳥居を眺めるとその先には五ヶ所浦。
「みんな見守られている!」
山頂を後にすると下るだけ、上りとは別のルート(先ほどのルートは左に分れたので、真っ直ぐに)を一気に駆け下った。するとこの案内板に出た。
この場所は展望所の名前通り素晴らしい眺望だった。
車を駐めてある愛州の館も望めた。
展望所を後にすると
駆け下りて五ヶ所川の辺りまで戻ってきた。
この後は、愛州の館へ向かった。
【 20150215 の記録 】
- 五ヶ所神社(南伊勢町五ヶ所浦)
- 早くも実現した「五ヶ所浅間山」歩き
- 剣祖「愛洲移香齊」生誕の地 愛洲の館(南伊勢町五ヶ所浦)
- 久〜〜しぶりに走った五ヶ所街道
- 五十鈴川の上流、流された橋跡(高麗広公民館付近)