2016年09月10日(土) 組立式能舞台が解体された賀多神社(鳥羽市)を目指しての寄り道ウォーク (徒歩)
一週間前の伊勢新聞で賀多神社(鳥羽市鳥羽)の境内に設置されていた組立式能舞台が解体されることを知った。
すでに一週間が経過していたのですでに解体されていることは覚悟していたが、とにかく現地を訪れたいと思っていた。また最近、長い距離を歩いていないのでとりあえず歩いて鳥羽へ向かうことにした。
さらに、訪れたことがなかった一宇田町の平尾神社にお参りすることも目的のひとつだった。そんな寄り道ウォークでは別の社に訪れたり、さまざまな発見もあった。
自宅を出ると近くの河原神社(豊受大神宮 摂社)にお参りしてから国道へ出た。
しばらくは国道23号に沿って進むと勢田川橋で勢田川を渡った。
国道42号との高架には歩道が無いため、一度国道42号へ下ってからさらに坂道を上ってこちらは国道23号 の参宮線跨線橋、ここから眺めたのがJR参宮線 快速みえ。帰りにはと鳥羽駅からJRを利用したので列車からこの跨線橋を眺めた。
黒瀬町交差点で左折すると鹿海町へ・・・
鹿海町の古い町並みを抜けるとその先で加努弥神社(皇大神宮 末社)にお参り。
続いては鏡宮神社(皇大神宮 末社)、朝熊神社(皇大神宮 摂社)ほかにお参りしようと堀割橋で五十鈴川を渡ったのだが、
右岸の堤防付近に立つこの案内板「桜木森社」に惹き寄せられた。この後、桜木森社を探してこの周辺を歩きまわった。(その様子は別の記録で紹介)
「桜木森社」案内板付近から堀割橋を後にしてこの道の先で
伊勢二見鳥羽ラインをくぐると
その出口付近、左側にはこの道標が立っている。ここは近畿自然歩道だ。
この道標の朝熊駅方向へ進むと
一宇田側に到着すると、次の写真の上方向(一宇田川の上流側)へ向かった。
そして、この橋は「流田橋」で変哲もない普通の橋だが、後で鳥羽駅で手にした「ぱるく伊勢志摩 秋の号8」を見て驚いた。6ページに掲載されていた阪本博文さんによる記事「里の祭りを訪ねる 伝統と習俗の楽園を訪ねて シリーズ3 伊勢市朝熊町の神送り神事」では神事の最終目的地がこの流田橋(一宇田川)だった。
【参考】
一宇田川を県道37号まで遡ると左手には高台に墓地が広がっている。
今まで気になっていた歩道橋を渡るためにこちらの墓地への坂道を進むと
天保と刻されたお地蔵さん(三界萬霊)が迎えてくれた。彼等に別れを告げると
念願の歩道橋を渡った。
歩道橋を渡った先には多数のお地蔵さんが迎えてくれた。
さらに先へ進むとこちらは一宇田児童公園付近。
ここで今回の寄り道ウォークの目的のひとつであった平尾神社にお参り。(その様子は別の記事で紹介)
お参りを終えると来た道とは別のルートで県道37号へ戻った。
県道37号を右方向(鳥羽方向)へ進むと新朝熊橋で朝熊川を渡った。
信号機のある交差点の先で、相生神社にお参り。(以前にお参りしたことがあるので、こちらでは簡単に紹介)
境内には様々な神社のほか観音堂や薬師堂、聖天堂もある。
【参考】
- 相生神社(伊勢市朝熊町) 2013年06月22日
相生神社を後にするとこの後は黙々と鳥羽を目指すことになった。ここは県道37号鳥羽松阪線で、一般に「朝熊道」と呼ばれる。車で走れば快適なルートだが、歩いているとそんな車に恐怖さえ覚える。一度接触されそうになった。ああ、危ない。
まずは伊勢市と鳥羽市の境界を目指して・・・
この付近では畑で作業する人々の姿を見かけた。まだ人の気配があった。
さらに・・・
この分岐の先、左側には
小祠がまつられている。その脇から流れ出る水の勢いはかなりのものだった。
ここは旧道だろうか?
ここまで上りで大変そうだったサイクリストが軽快に坂を下った。この先にはさらに上りが待っているヨ。
ここにも旧道の跡?
ここで二瀬橋、
さらに井戸橋、ここでもサイクリストが通りずぎていった。
井戸橋を渡ってから
振り返ってパチリ。
右側のお地蔵さん他を過ぎると
近鉄鳥羽線の線路がこんな近くに見える場所に到着。ここで電車とすれ違えば迫力があるだろう。鉄ちゃんではないので電車を待つことなくやり過ごした。
ちなみにこの場所付近には、この電柱が立っていた。
続いて、鳴ヶ谷川に架かる鳴ヶ口(なるこくち)橋を渡った。なぜかこの親柱付近にはカニの残骸が多数残されていた。誰が食べたんだ?
ここは
吉野橋(朝熊川)。
右上方向を伊勢志摩ライナーが通過。どれだけの電車を見るのだろう。
稲刈りを終えていた弥七新田を右に見ながらさらに進むと
涼し気な流れが続いた。
こんなところまで田んぼだったのだろうか。道路脇にも石垣があり、
さらにその奥にも石垣が続いていた。
弥七新田を後にして
川から激しい音が聞こえると
その先には伊勢フライトパークへの入口があった。
案内板によると伊勢フライトパークは近鉄の高架をくぐった先へと・・・。
伊勢フライトパークへの入口を通り過ぎてから道路が線路より高い位置になると
伊勢市と鳥羽市の境界が近づいてきた。伊勢市の地名板をくぐると
その先には鳥羽市の地名板。
市の境界を越えると後は只管の下りとなる。その先には鳥羽方向へと走る近鉄観光特急しまかぜの姿が見えた。
通り過ぎる前にパチリ。
さらに坂道を下るとここでは第二伊勢道路(国道167号)をくぐった。見上げると思い出す。それは
【参考】
- 第二伊勢道路 開通記念ウォーク 2013年09月07日
県道37号をさらに鳥羽方向へ進み
法面が整備された場所を過ぎると
こちらの分岐に到着。直進すれば国道42号と合流するが、裏道を通るためにここは右方向へ進んだ。
道なりに進み近鉄鳥羽線の手前を左折すると
近鉄の敷地に沿って坂道をくだった。
その先には玉泉寺があり、高台に墓石を見つけたので
上ってみるとそこには多数の無縫塔が立ち並び、二世、三世・・・・と刻されていた。歴代の住職の墓石だろうか?
道路へ戻ると
本堂の鬼瓦を眺めてから
正面へ向かい、山門をくぐると
お参りした。
お参りを終えると山門の先にはこれから向う堅神神社の社叢が望める。
山門を出ると土塀の上にある瓦で少しずれているモノをパチリ。右隅には瓦師の刻印らしきものが確認できた。「○」の中に「 ^ 」と「一」と見える。
玉泉寺を後にして堅神神社へ近づくと左手に次の道標が建っている。「左 朝熊道、右 いせ参宮二見ヶ浦道」
その近くにはかもめバス 池の浦駅 バスのりばがあり、階段の先は近鉄池の浦駅だ。
また、このバスのりばの向かいには堅神神社の鳥居がある。
お参りしてから気になった石をパチリ。なにかの口に見えると・・・
【参考】
- 堅神神社(鳥羽市堅神町) 2013年09月07日
堅神神社を後にすると先ほどの道標とは別方向へ向かい近鉄鳥羽線の高架をくぐった。ここからは道なりに・・・
坂道を上り切る辺りにかもめバス 鳥羽小学校 バスのりば。
その目と鼻の先、西の辻橋で紙漉川を渡ると
右手方向には道標が建っている。
この道標の文字は読めなかったが
「みえの歴史街道 鳥羽道」によると
嘉永3年(1850)のもので、西ノ辻橋付近にある。「左あさま可たけ 内宮へかけぬ希」と刻まれてる。
とある。
【参考】
その後は住宅街を通り抜けた。
かもめバスのりばと簡易郵便局を過ぎると
その先で時間通行規制のあるY字路に到着する。ここは道なり右方向へ進むと
その先には高架は見える。「え、こんなところに!」
この高架は鳥羽側からの伊勢志摩スカイラインだ。
その下にはこの地名版はある。
高架を抜けると左手に墓石はある。
先ほど紹介した「みえの歴史街道 鳥羽道」によると、この場所は
峠御門(番所)跡、三基の碑がある。右の碑には、「元和九亥年(1623)七月廿二日 海月良雲」と刻まれている。中央の碑は文字なし。左の碑には「寛永五年戊辰(1628)五月十七日西岸浄本」と刻まれている。
とある。
この先は傾斜のある坂道を一気に下ると少しなだらかとなる
道路は平坦に・・・
そして、
賀多神社へたどり着いた。本日の主目的である賀多神社の組立式能舞台の解体状況については別の記事で紹介する。
賀多神社の周辺は、妙姓寺やら菩提寺の常安寺
江戸川乱歩記念館やら本町通りやらがあり
鳥羽市の旧市街地といった趣で
癒されます
たかっち
たかっち さん
こんばんは!
そうですね、賀多神社周辺は猥雑な雰囲気もありその趣に癒やされます。私も好きな場所です。ところが今回はとんぼ返りとなったため急ぎ足で通り過ぎてしまいました。