2017年06月24日(土) 伊雜宮 御田植祭(磯部の御神田[おみた]) 2017 (車、徒歩)
本日は伊雜宮の御田植祭を初体感した。
伊雜宮の御田植祭は「磯部の御神田(おみた)」として国の重要無形民俗文化財に指定され、住吉大社(大阪府)、香取神宮(千葉県)の御田植祭とともに日本三大御田植祭されている。
志摩市観光協会のホームページによると次のスケジュールとなっていた。
【タイムスケジュール】
8:10頃~ 杁(えぶり)・田道人(たちど)役は「七度半」の使いにたつ
9:50頃~ 「式三番」を納める
10:20頃~ 伊雑宮の一ノ鳥居内に整列し、修祓をうける
10:30頃~ 御正殿に参拝
修祓所にて神官は作長に早苗を授ける
10:40頃~ 御料田に参進する
11:00頃~ 御料田に参着する
作長は左、右、中と早苗を奉下する
早乙女、田道人(たちど)らは苗代を三周半して早苗を取る
11:20頃~ 「竹取り神事」
11:30頃~ 「御田植の神事」
小謡一番から九番が済むと中休みとなり
奉仕者は若布(わかめ)の引張肴で酒宴をする
次いでおくわか、さいわかによる「刺鳥差(さいとりさし)の舞」
続いて小謡十番から十八番で御田植が終わる(13:00頃 修了)
15:00頃~ 「踊り込み」
御料田から約2時間かけて伊雑宮一ノ鳥居まで練る
17:00頃~ 役人一同一ノ鳥居内に整列し太鼓、簓(ささら)の三人が
「千秋楽の仕舞」を行い
神事はめでたく終了する
七度半の時刻には訪れることができなかったため期待していなかったのだが、先の記録で紹介したように七度半で訪れたと思われる田道人の姿を目にすることができた。
【七度半】
各所の下見を終えると御料田で待機してから式三番が演じられる上之郷公民館へ向かった。
【式三番】
すでに集まっていた多くの拝観者に取り囲まえるように奉仕者が整列すると
式三番が開始された。
【上之郷公民館〜伊雜宮】
式三番を終えると奉仕者の列は伊雜宮へ向かった。その列は志摩市長を先頭としその両脇には今回の奉仕地区である沓掛区および山田区の区長が並んだ。
ゆっくりとした足取りで屋台の間を抜けると
伊雜宮の鳥居をくぐった。
【修祓】
奉仕者が鳥居内に整列すると
修祓が執り行われた。
【伊雜宮参拝】
修祓を終えた奉仕者は神職に先導されて
伊雜宮の正殿へ向かうと
全員で参拝。
【作長への早苗の授与】
私は修祓所から離れた手水舎付近にいた。祓所では作長に早苗が授けられたようだ。
【御料田への参進】
修祓所を後にした列は御料田への参進となった。
私の目前、早苗を載せた折敷を捧待した作長が通り過ぎた。
その列は鳥居をくぐリ抜けると御料田のある右方向へ進んだ。
奉仕者全員が宮域を後にすると伊雜宮の前にて並び直してから先へ進んだ。
神職と作長が先に黒木鳥居をくぐると
しばらくしてから 田道人、早乙女、さらには簓摺り、笛方、太鼓打らが続いた。
【作長による早苗の奉下】
奉仕者がゴンバウチワの下に整列するとそれと対峙する(御料田の反対側)ように神職と作長が位置し
作長は折敷から三束の早苗を順に手に取ると御料田へ奉下した。
早苗の奉下を終えると奉仕者の列は解かれ苗取り神事に奉仕する田道人と早乙女が準備を始めた。
【苗取り】
菅笠・手甲・襦袢・股引の田道人(たちど)と菅笠・赤いたすき・白装束の早乙女(さおとめ)の男女6人が交互に手を取り合って苗代を三周半回ってから早苗を取りわらで束ねる。
田道人と早乙女、男女6名が交互にしっかりと手をつなぎながら田へ入ると
苗代を 三周半
師匠が竹取り神事に奉仕する青年に指示を出す間も続けられた。
三周半を終えた田道人と早乙女は個々に早苗を手にするとわらで束ねた。
苗取りされた苗代の中心にはくっきりと穴が空いていた。
【竹取り神事】
御料田の縁に立てられたゴンバウチワ(大きな団扇を取り付けた忌竹)が3度仰いでから御料田に倒されると下帯姿の青年が奪い合うように三周する。なお、ゴンバウチワが倒されるまでに青年たちは泥を掛けあったり田んぼにダイブしたりと御料田で暴れ回る。これには田起こしの役目があるそうだ。また、この神事が終わると青年たちはゴンバウチワを掲げて近くを流れる野川へ向かう。その流れですべての泥を洗い落とすと団扇と忌竹を切り分ける。切り分けられた忌竹は縁起物として参加者に配られる。
苗取りが終わると主役の座は下帯姿の青年たちにとって変わられた。田んぼの泥のひと掴み、ひと蹴りから白い衣装が泥に染められ、その程度がエスカレートする。
全員が田んぼに入ると彼らの行動は徐々にエスカレートし、他人を投げ飛ばす者、田んぼに向かってダイブする者など大暴れの状態となる。
全身が泥だらけになってもまだまだ続き、
報道席に向けてダイブする者まで現れた。一人が始めれば二人、三人と・・・
人力による田起こしが終わるとしばしの休憩。手桶から柄杓で口に注がれる御神酒は格別だろう。
休憩を終えると竹取り神事の名前通り、ゴンバウチワ(大きな団扇を取り付けた忌竹)を奪い合う。
ゴンバウチワを柱に固定していたワラ紐が切られるとゴンバウチワは前後に揺れた。
三度目だっただろうか、揺れたゴンバウチワは田んぼへと倒れ込んだ。それを受けた青年たちは団扇を破りながら
回転を始めた。
周囲から「今年は元気がある!」との声が聞こえた。
見応えのある竹取り神事が終了すると田んぼの表面が整えられた。
【竹取り神事を終えて】
先ほど奪い合ったゴンバウチワは全員で掲げて近くに流れる野川を目指した。
国道167号と近鉄志摩線を横断し
野川橋を渡ると野川の左岸へ向かった。
青年たちは可動堰の上流側、水は堰き止められた場所へ入ると
自分自身と忌竹の泥を流した。すると川の水が一気に変色した。さらに泥が落とされた忌竹はノコギリで切り刻まれ
要望する者に縁起物として手渡された。
大きな収穫を手にして戻る。
【御田植の神事】
文字通り「御田植祭」の主となる神事で古式ゆかしい雰囲気のなかゆったりと進められる。
御料田へ戻ると御田植の神事はかなり進行していた。
御料田の周囲からパチリ、パチリ。
中休みを挟んで田植えは続けられた。
朝から絶えず花火が打ち上げられていた。その打ち上げ場所がこの田んぼ道の近くだったので田んぼ道が通行禁止となっていたのだろう。
御田植を終えると手の泥が落とされた。足元の泥は野川にて洗い流す。
一度、畦に整列すると
【御田植の神事を終えて】
御料田を後にして野川へ向かった。
野川へたどり着くと
可動堰の下流側の浅い場所へ入ると
泥を洗い落とした。
以上で御田植の神事終了となり、この後は午後3時からの踊り込みを残すだけとなった。
野川を後にした一行は
昼食、休憩をとるために上之郷公民館へ戻って行った。
私は御料田の確認してから上之郷の舊跡を巡った。(その記録は別途)
黒木鳥居の先には先程植えられた早苗が多数、自信ありげだった。
さらにこちらの幟旗には「当番区 山田」「当番区 沓掛」の幟ばたが立てられていた。
御田植の神事でも活躍した田舟は洗われて泥ひとつない状態になっていた。
【踊り込み】
御料田にて御田植祭の奉仕を終えると休憩の後、御料田から伊雜宮へ戻る(退下)。御料田から伊雜宮まで約200mなので「踊り込み」の言葉から一気に駆けるような印象を受けるが、実はこの距離を2時間かけて移動する。何度も休みながら。伊雜宮に近づくにつれ掛け声は大きくなる。早朝からの奉仕で疲れもピークを迎える頃だからこそ気持ちが高ぶる。
踊り込みを終えて鳥居内へ到着すると千秋楽の仕舞が披露され御田植祭は終了となる。
定刻が近づくと黒木鳥居を背にして田舟が用意された。さらにその両側には前方まで紅白のロープが配置された。
奉仕者が揃うと踊り込みが開始された。
二人の朳差しが杁の柄を地面に打ち付けながら・・・
歩みはとてもゆっくりだ。御料田から伊雜宮の鳥居内まで約200mを2時間で移動する。
田道人、早乙女、
簓摺り、笛方、大鼓、小鼓、謡方、太鼓が続いた。
御料田を後にして。
踊り込みの二回目の休憩を前にして片付け始める屋台がちらほら。
二回目の休憩に入ると
御料田の広場に面した道路に設置されていた屋台は屋根を落として解体が進んでいた。
次の休憩を終えると
伊雜宮の前の道路に列び直してから進み始めた。
背後には近鉄志摩線が走り、この列は時間を掛けて進んでいるので、様々な電車が行き交った。
踊り込みも佳境に・・・
そんななか、子どもたちは屋台や周辺からゴミを集めて回っていた。(お疲れ様、ありがとう)
また、杁差しが持つ杁を見ると地面に打ち付けられる柄はかなり潰れていた。
長らくの時間を掛け、踊り込みの列は伊雜宮へとたどり着いた。
【千秋楽の仕舞】
踊り込みが伊雜宮の鳥居内へ到着すると太鼓、簓摺りの3名により
千秋楽の仕舞が披露された。
以上で御田植祭が終了すると 志摩市長等のの挨拶、胴上げと続き
奉仕者全員による締めの挨拶で終了となった。
各神事については後日補足する予定。
また、神宮司庁による伊雜宮のパンフレットには御田植祭について「特殊祭典 御田植式」と記されているがここでは地元で一般的に使用されている御田植祭の用語を採用した。