2014年10月26日(日) 道の駅 奥伊勢おおだい から瀧原お白石持行事の出発場所(三瀬川スクールバス待避所)へ (車、徒歩)
先日調査した瀧原宮のお白石持行事の出発場所である三瀬川スクールバス待避所へ向かうために、7時過ぎに道の駅 奥伊勢おおだいを出発した。集合は8時で出発が8時半の予定。
【参考】
佐原交差点にて国道42号を横断すると国道の左脇へ続く細い道路を下った。
その先には登録有形文化財である船木橋(宮川)が架かっている。
船木橋を歩きながら上流側を望むと三瀬谷ダムへと続く宮川はほとんど水が無い状態で、左側から合流してくる大内山川の流れにより辛うじて潤されていた。
船木橋を渡ると大台町から大紀町となる。(実際には橋のどこかに境界があるのだろう)いつもならこの先を道なりに進むのだが、今日は前方に見えるガードレールへと続く細い坂道を上った。
細い坂道を上ると左へ曲がってから振り返ってパチリ。「祝 船木区」の幟の方向には国道42号の船木大橋南交差点がある。
船木大橋南交差点を背にして歩き始めると
普段は見かけない簡易トイレがお白石持行事のために設置されていた。
先へ進むと「避難所 船木公民館 ←300m」とあり、その先には「祝奉曳」のための飾り・・・。
船木集会所(旧船木公民館)へ近づくとその周囲には、多数のテントが準備されていた。
奉曳の休憩ポイントとなるのだろう。
集会所前に集まっていた方々に挨拶をして先へ進むと
右手には一度だけ訪れたことがある船木神社への参道が伸びていた。案内板もなく、この先に神社があることはなかなか分からないが、私は偶然にもお祭りの日に通りかかったことがあったから知っていた。ちょっと寄り道。
【参考】
- 船木神社 2011年02月20日
参道を進み、紀勢自動車道をくぐると坂道の傾斜が急になり
船木神社が鎮座している。
久しぶりにお参り。
時間が余りないので早々に船木神社を後にすると
紀勢自動車道の下にてパ〜チリ。
前方には、先ほど歩き始めた大台町役場の特徴的な(かまぼこ状の)建物が望める。
先ほどの道路(現在の熊野街道(古道)。熊野古道はもともと三瀬川の多岐原神社付近で三瀬の渡しを渡っていた。一度途絶えた三瀬の渡しも現在はボランティアの方により再興されているが、常時乗船できるわけではないため、船木橋からの迂回ルートが熊野街道とされている。)へ戻った。
【参考】
その熊野古道に戻ると先へ進み、通り過ぎてから振り返って今日のために設置されたゲートをパチリ。
そこには「祝 奉曳 第62回神宮式年遷宮 瀧原宮お白石持行事」と記されていた。
ゲートを背にして更に進むとここにも仮設のトイレと幟。
こちらはかなり色褪せていた。
路傍の苔をも楽しみながら・・・・
しばらく進むと前方には紀勢自動車道が現れる。この辺りから三瀬川だ。
集合時間まで多少は余裕がありそうだったので、紀勢自動車道をくぐると左側方向への坂道を下った。道なりに進むと多岐原神社へ・・。
多岐原神社はお伊勢さん125社のひとつ、皇大神宮の摂社である。倭姫命が御杖代として天照大御神のご鎮座地を求め宮川を遡上した際、急な流れの瀬に困っていた。そこで真奈胡神(まなごのかみ)が倭姫命一行をお渡しした。命はその地に真奈胡神をまつる御瀬社(みせのやしろ)をお定めした。それが多岐原神社であるとのこと。
道なりに進んだ先、多岐原神社への参道をさらに下ると
神社の前には真新しい「熊野古道伊勢路」の幟が立っていた。
余裕があると思っていたのだが、すでに7時50分を過ぎていた。宮川方向へ進むと三瀬の渡し跡に出るのだが今日は寄り道はせずに
お参りを済ませると
急いで参道を戻った。
先ほどとは別のルートで坂道を上るとこの道標で左折し、三瀬川スクールバス待避所ヘ急いだ。
この先は道なり。
道路脇にある掲示場には「瀧原宮お白石持行事」のポスターのみが貼られていた。
私が急ぎ足で歩いているとバスが次々に到着した。すでに時刻は8時、集合時刻ジャストだった。
【 20141026 の記録 】
- 道の駅 奥伊勢おおだい から瀧原宮お白石持行事の出発場所(三瀬川スクールバス待避所)へ
- 第62回神宮式年遷宮 お白石持行事、 瀧原宮奉献
→ 遷御に向けて雨儀廊が準備された瀧原宮 - お白石奉献を終えて、瀧原宮から大台町役場まで