2016年02月27日(土) 湯田神社(皇大神宮摂社)を目指しての神社めぐり(お伊勢さん125社ほか) (徒歩)
本日は今年に入ってから初めてじっくりと神社を巡ることになった。目的地はお伊勢さん125社のひとつであり皇大神宮の摂社である湯田神社。湯田神社への往復の途中でその他のお伊勢さん125社やその他の神社ほかを巡ることにした。
結果的に巡った主要はポイントは次の通り。 (赤文字はお伊勢さん125社)
御薗神社 → 下長屋公民館 → 上長屋神社 → 高向遺跡 → 加牟良神社跡顕彰碑(神村神社々地趾) → 高向大社 → 宇須乃野神社、縣神社 → 清野井庭神社 → 草奈伎神社、大間国生神社 → 宮川橋(宮川) → 八柱神社 → 小俣神社 → 宮川駅 → 離宮院公園 → 官舎神社 → 湯田神社 → 千引神社 → 度会橋(宮川) → 志等美神社、大河内神社および打懸神社 → かさもりいなり → 今社、清川稲荷大明神 → 大豊和紙工業株式会社 → 王中島公民館付近
このルートに沿い、まずは自宅近くの御薗神社にお参り。地元の神社だが今年初。
ゆっくりとお参りを済ませると下長屋公民館の方へと進むと
この交差点付近に建つ下長屋公民館へ立ち寄った。
公民館の手前左側には鳥居が建ち、その先の祠には秋葉神社がまつられている。
続いては先ほどの交差点へ戻ると庚申堂の脇から路地を進んだ。
その後、田んぼ道へ出ると珍しいモノを発見。地下世界からの潜望鏡、それとも地下世界との連絡手段・・・?
さらに先へと進むと左手には玉石が積まれた畑の先に社叢が望めた。丸い玉石を探しつつその社叢へと向かった。さすがに積まれている玉石には球形の石は使われていない。(当然だ)
奥へと進むと右手にはこのような小公園があり、その先には上長屋神社の参道入口がある。
その入口へ進むと参道の途中に合流する。
拝殿にてお参り。
境内はこんなに綺麗に掃き清められていた。常夜燈の先へと参道を進むと清掃されている女性と出会った。鳥居の左手にある小社についてその女性に尋ねたところ「私は清掃しているだけですので・・・」とのことだった。詳細を知らずに(いや、知ろうともせずに)お伊勢さん125社を巡っている私のようだ。
上長屋神社を後にすると
こんな道路を歩き、宮川の右岸堤防道路脇で国道23号をくぐった。
その先にあるのは宮川 I.C.西交差点。
交差点へたどり着くと左方向にはこんな場所があり、
案内板を確認すると遺跡であったことに気づく。ここは「高向遺跡」だ。
先ほどの交差点方向へ戻ると高電圧線の鉄塔の向こうに高向大社の社叢が望める。鉄塔の手前には
加牟良神社跡顕彰碑が建ち、その裏に隠されるように
古めかしい石碑がある。ここには神村神社々地趾と刻されている。
この神社は、「かぶら」 = 「加牟良神社」 = 「神村社」 = 「蕪社」 = 「鏑社」で 現在も執り行われている高向大社の御頭神事で使用される御頭にその名残がある。
【参考】
- 加牟良(神村)神社々地跡(伊勢市御薗町高向) 2015年01月02日
- (高向大社)御頭神事奉祭次第記 曽野 洋 著
- 御頭神事(高向大社)- 御頭衣装着付け他(2015) 2015年02月14日
神村神社々地趾を後にするとおかげバス 高向大社前 バスのりばの前を通り過ぎ
高向神社へ向かった。社務所には幕が張られ、参道の鳥居には国旗が掲げられていた。拝殿へ向かうと宮司さんを見かけたので話を伺うと「翌日に斎行される祈年祭の準備」が進められているとのことだった。
高向神社での詳細については別の記事で紹介する。
高向神社にてお参りを終えると鳥居の向こうに眺めることができるクスノキの巨木を目指して進むとその木の根元にはお伊勢さん125社であり豊受大神宮 摂社である宇須乃野神社。
高向地区特有の札場を過ぎると
こちらが宇須乃野神社の正面。「何か雰囲気が異なる?」、オープンな感じに・・・
よく観ると定の立札の足元にあった木が根元から切られていた。
以前はこんな雰囲気だった。(2015年07月18日)
変化を楽しみながら参道を進むとお参り。
参道を戻る際にこんな絵(?)を見つけた。子ども(たち)が遊んでいたのだろうか。最近は神社に子供の姿を見かけないが、本来子どもたちの格好の遊び場であるはず・・・、微笑ましい。
さらに、こんな変化も発見。先ほど見かけた定の立札を横から眺めたところ
札面が柱から外れかかっていた。誰か気づいているだろうか?
たくさんの発見を得た宇須乃野神社を後にすると豊受大神宮 末社である清野井庭神社へ向かうため
高向の町並みを通り抜けると近鉄山田線 踏切道小俣第15号を越えて、JR参宮線宮町踏切。
踏切を渡ってその先の十字路を右折すると振り返ってパチリ。十字路の角には菓子工房 和楽さん。
この交差点を背にして先へ進むと左側の路地の先に社叢を望める場所がある。こちらが清野井庭神社の社叢。
清野井庭神社へ向かうと昨年に大間国生神社で初めてお会いした亡き父の知人が清掃されていた。挨拶を交わしてから雑談していたところ摂社・末社の式年遷宮の話題となり「清野井庭神社は来年の3月、草奈伎神社・大間国生神社は今年の11月頃」との情報を得た。清野井庭神社は今年の3月だと思っていたので大きな勘違いだった。11月が待ち遠しい。ところで、これからはどちらが遷宮を迎えるのだろう?
お礼を述べてから清野井庭神社にて
お参り。
神社での清掃は境内を離れると周辺の道路へと及んでいた。(感謝)
続いて訪れたのは、清野井庭神社から歩いて数分の場所にある草奈伎神社、大間国生神社。
入口の社号標では右側に草奈伎神社、左側に大間国生神社の社名が刻されているが、
実際の配置は、左側が草奈伎神社で
右側が大間国生神社。共にお参り。
石の蕃塀を背にすると境内を離れ右手方向へと進んだ。
社叢を遠望してから
JR参宮線 山田上口駅前に通りを横切ると
今まで歩いたことがない路地を進んだ。その先には出口公園があり、さらにその脇を・・・
途中で右へ折れるとこの場所にたどり着いた何度も見かけた道標だ。
ここから宮川橋方向へ進むと
宮川橋を渡った。
橋を渡り終えた頃、列車が走って来たので素早い撮影のトレーニングのためにパチリ。
この鉄橋をくぐり、桜の渡し場跡を確認すると
南部自動車学校の前にある宮古橋で汁谷川を渡った。その先を右へ折れると
途中で左折。こちらの鳥居は八柱神社のもの。
鳥居をくぐるとここにも立派な石の蕃塀がある。
八柱神社でお参りを終えると隣に鎮座する小俣神社へ移動した。
小俣神社は豊受大神宮の摂社。参道を進むと
お参り。
猿頭門の屋根はこんな感じになっていた。動き出しそうだ!
小俣神社からは木立の先に八柱神社の本殿を望むことができる。(逆も真也)
小俣神社を出ると第一部自治区公民館の前を過ぎ、
照国山 浄土寺の先で左折。
程なく、この道標を見つけられるので、離宮院趾の矢印に従った。
道なりに線路に沿って進むとJR参宮線 離宮道踏切に到着。ここを渡れば離宮院公園の入口があるのだが、宮川駅でトイレを借りようとここを渡らずに直進した。(実は、この踏切を渡った先、離宮院公園入口付近にもトイレがあった。そのことは後で思い出した。なんてこった。)
踏切を渡らずに直進するとこのバス停の先に
JR参宮線 宮川駅。
トイレを借りてから跨線橋を渡っていると列車が宮川駅を通過した。「快速みえ 名古屋行き」
先ほど渡った歩道橋を確認してから先ほどの踏切方向へと戻ると
こちらが離宮院公園の入口で
この近くには「官舎神社」の社号標、さらには
「離宮山大漁宮」の社号標も建てられている。
鳥居をくぐると離宮院公園のしだれ梅を楽しんだ。その様子は別の記事で紹介する。
しだれ梅の鑑賞を終えると先ほどの鳥居からまっすぐに続く官舎神社の参道を進んだ。
手水舎を過ぎると車止めがあり、鳥居・・・
交通安全と染め抜かれた幟の中に一本だけこんな幟が立っていた。先ほど見かけた「離宮山大漁宮」の社号標と大いに関係があるのだろう。
参道を抜けると広い境内に出る。右手方向の拝殿へ向かうと
お参り。
そこには、「御船石の由緒」の説明板と授与される御船石が置かれていた。「大漁の神」
別の参道を抜けると「第六十二回神宮式年遷宮、お木曳き・お白石持行事参加記念」と記された鳥居が建っていた。
官舎神社を出ると右方向へ・・・、踏切を渡るとこの風景に惹きつけられた。
ここは現在閉鎖されているユニチカテキスタイル株式会社 宮川工場。先の建物の屋根には鴟尾が置かれている。
ここからはユニチカテキスタイル株式会社 宮川工場の跡地に建てられた住宅街を通り抜けると
五十鈴橋で外城田川を渡った。
美和ロック 伊勢工場へとこの道を進むと
なんともいい雰囲気の場所を通過。
そして、美和ロック 伊勢工場の前にあるY字路で立ち止まると
Y字路の交差部分、3箇所にまつられている山神をパチリ。
Y字路を左方向へ進むと歩いたことがない道、勘を頼りに先へ進むと湯田3交差点から続く細い土道へたどり着いた。この小径を進むと
そこは湯田3交差点。ここで県道37号を横断するとその先へと進んだ。
民家の間を過ぎると左手には田んぼが広がっている。(今は何もない)
十字路を過ぎると右側にある社叢に沿って進み、この場所から湯田神社の参道へ向かう。
こちらは皇大神宮の摂社、定の立札を確認して参道へ入ると振り返ってパチリ。
そして、お参り。
お参りを終えて参道を戻ると多数の小さな足跡に気づいた。私の他にも参拝者(モノ=物)がいたのだった。
童心に帰ると新たに整備された用水路の上を・・・、途中で振り向いて湯田神社の社叢をパチリ。この距離でないと全体を撮すことができない。
続いては、湯田神社の方へと進んだ。
こちらは千引神社の近くにまつられている山神。お互いが肩を寄せ合うように感じた。ほのぼの!
そして、立派な藤棚が設置されている千引神社に立ち寄ると
お参り。本殿の前に設置された案には赤い石が積まれていた。
その理由はこの由緒を確認するとよくわかる。
千引神社にてお参りを終えると近くの祠を横に見ながら県道37号へ向かうと県道を横断してその先で来た道を戻った。
JR参宮線 宮川駅前までたどり着くとおかげバスのバスのりばをパチリ。
さらに戻ると離宮前 バスのりばで来た道とは別れて宮古橋へ向かった。
宮古橋の手前で右へ折れJR参宮線の鉄橋をくぐると
その先は工事中で歩行者も通行止めだった。交通整理員の誘導に従い
右へと別れる汁谷川に沿っての迂回となった。
かなりの遠回りを終えると歩いたことがない道へと進み、おかげバス 高砂寮 バスのりばを通過。高砂寮の敷地には多数の梅の木が花を咲かせていた。
その後、度会橋の西詰付近にあるこの立体交差で県道37号をくぐると
その先にまつられている神社にお参り。鳥居をくぐると
・・・
お参りの際に気づいた新しい御垣は
城田神社遥拝所だった。
以前に訪れた獅子舞を思い出しながら城田神社を遥拝。
【参考】
- 城田神社の御頭神事(伊勢市上地町) 動画あり 2014年02月11日
名前が不明は神社を後にすると度会橋を渡った。
橋の上から宮川の上流側を遠望。
宮川を渡り終えて堤防道路を進もうとすると工事のため立入禁止となっていた。
仕方なく、旭町公民館を経由して
上社へ向かった。お参りしようとするといつもと異なる雰囲気に・・・。その詳細については別の記事で紹介する。
続いて、上社の社地に隣接して鎮座するお伊勢さん125社にお参りした。
向かって左奥から
志等美神社、大河内神社、
右側の打懸神社、お参り。
上社を後にすると
御遷座の日を確認。「今年の10月22日」
その後は歩いたことがない(歩いた記憶がない)道を選びながら進むと「天神橋」。
さらにウロウロしながら進むとかさもりいなり法住院の前にたどり着いた。
かさもりいなりへ向かいお参りすると
その壁面には多数の「寒中御見舞」札が貼り付けられていた。
かさもりいなりの脇にある道を進むとこんな親柱を発見。「山?橋」、しかし橋はどこに?
その後、筋向橋を経由して浦之橋商店街を抜けると
今社にたどり着いた。
鳥居をくぐると
今社にお参り。
さらに、先日御遷座を終えた清川稲荷大明神にもお参り。
エスポアたかやなぎアーケードを後にすると
山田の世古のひとつである大世古へ入った。
その先には大豊和紙工業株式会社がある。
こちらを訪れたのはこの案内ハガキを頂いていたからだった。入口はこの先なので・・・
写真展の詳細については別の記事で紹介。
伊勢和紙ギャラリーにて和紙とモノクロームな写真とのコラボレーションを楽しんでから帰途についた。
須原大社の前を通ると掲示板には「初午祭」が案内されていた。
一之木交差点ではインターロッキングブロックの張替え工事。
その後は黙々と歩き、行きの最初にお参りした御薗神社の近くまでたどり着いた。
その後、王中島公民館前の広場へ向かうと
最近に完成した東屋を確認してから自宅へ戻った。
予想以上に時間が掛かったが、充実した一日となった。
【 20160227 の記録 】
- 湯田神社(皇大神宮摂社)を目指しての神社めぐり(お伊勢さん125社ほか)
→ 高向大社、祈年祭の前日準備(伊勢市御薗町高向)
→ しだれ梅(離宮院公園)
→ 仮遷座を終えていた上社(伊勢市辻久留)
→ 伊勢和紙による三輪薫「仏蘭西・巴里」とフォトワークショップ「風」写真展(伊勢和紙ギャラリー)
→ 蕾を膨らませたミツマタ(大豊和紙工業株式会社)
百五銀行筋向橋支店前の旧筋向橋
をつい先日訪問しました。
その下は宮川の支流が
暗渠となって流れているそうですね。
そのあたりの商店街はなんとも
昭和っぽい雰囲気で大好きです
たかっちさん、コメントありがとうございます。
そうですね。浦之橋商店街は昭和っぽい雰囲気ありますね。でも、寂れた雰囲気はなく伊勢の中でも元気なイメージの商店街です。
それと暗渠を追いかけたいと思っているのですがなかなか実現していません。暗渠に入って探索する訳にもいかないし