2016年05月01日(日) 神御衣奉織始祭(神服織機殿神社) (車、徒歩)
皇大神宮(内宮)およびその第一別宮である荒祭宮では5月14日および10月14日の年二回、神御衣(かんみそ、または、おんぞ)と称する和妙(にぎたえ、絹)および荒妙(あらた え、麻)などを奉る神御衣祭が斎行される。自給自足を旨とする神宮では和妙や荒妙も自前で作っていて、これらの奉織作業はお伊勢さん125社に数えられる神服織機殿神社および神麻続機殿神社にある八尋殿にて地元の織子により奉仕される。(和妙は神服織機殿神社、荒妙は神麻続機殿神社にて)
5月1日および10月1日、両社にて神御衣奉織始祭が斎行され、神御衣祭の前日13日に斎行される神御衣奉織鎮謝祭に間に合うよう和妙・荒妙が奉織されるが、ほぼ一週間ほどで織り上げられるそうだ。
神御衣祭の詳細については神宮のホームページを御覧いただくこととし、ここでは5月1日、神服織機殿神社にて斎行された神御衣奉織始祭の様子を紹介する。
【参考】
神服織機殿神社の参道入口に建つ鳥居の下にいつも車止めが置かれているが、奉織期間にはそれらが取り外される。
今日もこんな感じで車止めは外されていた。
こちらので祭典は午前8時開始の予定だったので、7時30分過ぎに到着し、参道を進むとすでに多数のプレスおよびカメラマン、アマチュアカメラマンが待機していた。顔見知りの方も多い。挨拶を交わすと
まずはお参り。神服織機殿神社の前と
八尋殿の前はすでに祭典の準備が整えられていた。
私が参拝を終えてしばらくすると榊が斎庭の鳥居や神社の瑞垣御門、
さらには八尋殿の柱や玉垣御門に立てられた。
各御門の御幌が上げられると
祭典の準備を終えた。
午前8時15分になると手水を受けた神職および織子が
斎館の前に整列した。まずここでは「奉織工を任命する」旨の書状が手渡される。
任命式を終えると近くにある祓所へ移動する。
祓所では祓詞の後、まずは大麻と御塩により
辛櫃に納められた神饌ほかが、
続いては祝部および織子が祓い清められた。 大麻、
御塩にて。
修祓を終えると大きい辛櫃を先頭に
鳥居をくぐると斎庭へ運び込まれた。
大きい辛櫃は社殿の前に仮設されている幄舎の右側に、他方の辛櫃は瑞垣御門の手前左側へと運ばれた。
奉仕者が神服織機殿神社の前に着座すると
献饌。神饌が辛櫃から取り出されると
織子が見守るなか案の上に並べられた。
献饌を終えると祝詞奏上。(私も低頭していた。)
続いて八度拝・・・
祝部、織子も拝礼すると神社の前での神事は終了となった。
続いては祭場が八尋殿へと移される。
織子が大きい辛櫃を担ぎ上げると
八尋殿へ
運び入れた。
辛櫃はこの場で待機となり、
八尋殿を開扉するために
御鑰と御匙が禰宜に手渡された。
そして開扉。
八尋殿の御扉が開かれると
その前に置かれていた辛櫃は
八尋殿の中へと運び上げられた。
八尋殿のなかでどのような神事が執り行われたのかは知る由もない。
その後閉扉となると
八尋殿での神事も終了となり
退下となった。
斎館前に整列し、挨拶を終えると神服織機殿神社での神御衣奉織始祭は終了となった。
祭典終了後に祭典を拝観していた女の子が織子に近寄っていった。未来の織子さん候補か?
参道を戻り鳥居をくぐり返そうとした時、サイズの小さい自転車を見かけた。先ほどの少女のものだろう。
続いて神御衣奉織始祭が斎行される神麻続機殿神社へ向かうため神服織機殿神社を背にして歩いていたら
こちらのおばあちゃんとすれ違った。以前、お会いした方のようだったが、お互いあまり覚えていない・・・
神麻続機殿神社での神御衣奉織始祭の拝観を終えると再び神服織機殿神社に立ち寄ってから帰途についた。
【 20160501 の記録 】
- 神御衣奉織始祭(神服織機殿神社)
- 神御衣奉織始祭(神麻続機殿神社)
- 神服織機殿神社(皇大神宮所管社)の社叢へ流れ込む水路
- 朽羅神社(皇大神宮 摂社)の仮殿にお供えされていた米と塩