2015年07月18日(土) お伊勢さん125社まいり 神社・大湊めぐり (徒歩)
夏の土用は7月20日、この時期になると御塩浜では塩分濃度の濃い塩水(鹹水)を作る採鹹作業が執り行われる。すると私はなぜか御塩道を歩きたくなる。その出発点は御塩殿神社(皇大神宮所管社)、せっかくなので御塩道を歩く前後でお伊勢さん125社を巡った。
まずは自宅周辺のめぐりとなる神社・大湊めぐり。対象は4ケ所、5社であるが今回は河原淵神社(豊受大神宮摂社)を除く3ヶ所、4社をめぐり大湊を経て神社港へと向かった。
まずは、自宅付近から河原神社(豊受大神宮摂社)の社叢を遠望。左隣りには松屋製菓の工場が建っている。
【河原神社(豊受大神宮摂社)、毛理神社(同末社)】
河原神社(豊受大神宮摂社)、毛理神社(同末社)を同座へ向かうと
お参り。
河原神社を後にすると松屋製菓の敷地の左側に続く農道を大湊方向へと歩いた。この頃になると雨がポツポツ。
広い用水が現れると左方向へ折れた。前方にはひとり用の橋が架かっていた。これはまさに可動式の水路となっていた。
ゲート付近から馬瀬町の家並みへと進み、途中で左方向へ向かうとそこには合鴨農園の看板が立ち、
その近くにはカモが放し飼いされていた。
合鴨農園を後にして、馬瀬公園の角を右方向へ曲がるとこの道を直進、大湊川を第二湊橋で渡ると大湊へと通じる。
その途中でいくつも見かけた移動式のポンプが多数。この付近には農業用水が引かれていない?
さらに進むとセンターラインがある車道へと出た。さらにまっすぐ進むと
道路は左方向へと湾曲しながら緩やかに上り坂となる。
坂を上れば大湊川に架かる第ニ湊橋からの志宝屋神社(豊受大神宮末社)の社叢が望める。
台風11号の影響で川が濁っていた。
【志宝屋神社(豊受大神宮末社)】
第二湊川を渡ると左方向へ・・・
社叢を右に見ながら住宅街の道路を進むとこの十字路でさらに右折。
社叢へと吸い込まれるとパーチリ。
社殿へと向かうと
清掃中だったようで御垣の御扉が開けられた状態になっていた。
神様からのお誘いを受けたので、こちらにてお参り。
社域を後にするとこの場所で多数のアオスジアゲハに見入っていた。アオスジアゲハは次から次へと現れては消えていった。ひらひらと羽を揺らせながら飛ぶことはしても立ち止まることがなかった。
志宝屋神社を後にすると大湊へ渡るもうひとつの橋、湊橋へと向かった。こちらの橋は第二が造られるまで大湊への唯一の架け橋だった。赤い色が印象的。
大湊川はここでも濁っていた。
湊橋を渡り次の丁字路を左へ折れると道なりに歩いた。左手には今は稼働していない造船所や対岸の造船所が望めた。
往時の姿を夢想しながらこの区画を通り抜けるとその先にはこの石碑が建っている。
これは塩田開墾(耕地整理)碑。この付近は塩田が広がり製塩を生業とする人も多かったようだが、明治38年に塩専売制が施行されたため製塩が衰退し、塩田は耕地へと姿を変えざるをえなくなってしまったそうだ。この地域に塩田が広がる風景を見てみたいものだ。
この碑を後にしてさらに進むと砕石や砂利が山と積まれた場所がある。
さらに、神社港へ進むと右手にはこの場所、新馬瀬排水機場がある。入口はフェンスで閉ざされているが
鍵はかかっていないので出入りすることができる。ただし、手動にてこの鍵を上げ下げすることは必要だ。
なぜにこの場所へ出入りできるのか? その答えはこの案内板である。
神社港歴史散策ガイド8
大蔵省境界標と赤レンガ塩倉
昔から明治40年頃までこの辺一帯は製塩の塩田があった。
播磨浜塩田、一色塩田、田尻塩田、下野塩田で年産45トンの塩を採っていた。
明治38年、専売法が施行され、塩田は廃止された。
塩専売所がこの地に建てられ赤レンガの塩倉は保管所となり、敷地の四隅の大蔵省と彫られた境界石標が一本だけ残されている珍しい石標です。
(石標は裏手の清雲院側にあります。)
NPO法人 神社みなとまち再生グループ
その先には赤レンガの塩倉が望める。(ただし、個人宅なので要注意)
【参考】 大蔵省境界標と赤レンガ塩倉の詳細についてはこちら
- 神社港歴史散策(みなとまち館、赤レンガ塩倉) 2010年11月13日
新馬瀬排水機場を後にすると勢田川である神社港である水辺へと出ようとしたが、この防潮扉は常時閉鎖中だった。
さらに進んで開かれていた防潮扉を抜けるとこんな様子だった。台風11号の名残だった。
こちらは木造船みずき。
この後で渡る一色大橋を遠望してから御食神社へと向かった。
【御食神社(豊受大神宮摂社)】
海の駅 神社の建物の脇を抜けて次の十字路を左折するとその先にはこの風景。まっすぐ進み
鳥居をくぐると御食神社の神域へと入る。
こちらは二重の御垣に囲われている珍しい摂社だ。
さらに井戸まである。この辰の井では年の始め初辰の日にこの井戸の水が授与される。
【参考】
- 初辰の辰の井(御食神社) 2012年01月08日
また、神域に池があり、手水石は舟型。地域性を表しているようだ。こちらの神社はお伊勢さん125社であり、この地域の氏神でもある。
ここにも台風11号の影響がでていた。
御食神社を後にすると
御塩浜へ向かうため一色大橋へと向かった。こんなところにも台風11号の名残があった。
【 20150718 の記録 】
- お伊勢さん125社まいり 神社・大湊めぐり
- 神社港から勢田川、五十鈴川を越えて御塩浜までの散策、十貫松・戸部の神・大切戸の月の輪堤
- 採鹹作業が開始されていた御塩浜
- 御塩浜から堅田神社までの散策
- お伊勢さん125社まいり 二見めぐり
- 御塩道ウォーク
→ 橘神社から向山を探しての寄り道(伊勢市黒瀬町) - お伊勢さん125社まいり 外宮・宮川めぐり
→ 移動していたお気に入りの丸い石+α(外宮古殿地)