2016年03月21日(月) 鳥羽市安楽島町での「ほっつき歩き」 (車、徒歩)
午後からは鳥羽大庄屋かどやにて開催される第28回かどや塾に参加する予定だったので、午前中も鳥羽で過ごすことにした。さて、どちらもめぐろうか?と考えたところ、真っ先に思い浮かんだのは安楽島町 加布良古崎に鎮座する伊射波神社を訪れることだった。その詳細は別の記事として紹介するとした。ここでは、伊射波神社を訪れた前後で鳥羽市安楽島町をほっつき歩いた様子を記録に留める。やっぱりウロウロと歩いてみると様々な発見があり楽しい。安楽島町もいい場所だった。
鳥羽の市民の森公園に隣接する駐車場に車を駐めるとこちらからとりあえず伊射波神社へと向かう「ほっつき歩き」をスタートさせた。
市民の森公園の隣にある鳥羽中央公園を通り抜けようとしたところ相撲場をパチリ。
広いグランドの脇を進むとこの場所にたどり着いた。橋を渡らないと水路を越えられないので、あの先に見える橋を渡り車道へと出た。
この先は道なりに歩き、かもめバス 安楽島小学校 バスのりばを通過。緑色に一新された三重交通のバス停を期待していたが、この付近は鳥羽市営路線バスである「かもめバス」が巡っている。
さらにこの先でも、かもめバス 大潟 バスのりば。
このバスのりばの向かいには、「安楽島海水浴場(市営)、伊射波神社」の案内板があり、矢印に従うと
この三叉路へ出る。ここで視界が開け、その先には安楽島漁港が広がり、
水面は太陽の光に輝いていた。
また、道路を挟んで漁港の反対側(進行方向左側)には入江があり十数隻の漁船が係留されていた。気になっているのは入江の奥にある石橋とその先へと続く水路のことだった。その件については後ほど・・・。
安楽島漁協の前を過ぎるとこんな目立つ案内板がある。「←津波ひなん場所 てんぐ山」、さらにその下には
「←伊射波神社、宮司宅→」の案内板。「てんぐ山」も「宮司宅」も気になる存在であったが、まずは一の宮伊射波神社へ向かうため左への進路を選択した。
緩やかな坂道を越えるとその先には満留山神社の社叢を遠望することができる。
坂道を下り安楽島公民館の前へたどり着くとそこにはかもめバス 安楽島 バスのりばがあり、
バスのりばの看板の隣にはこちらの例祭の一覧が掲示された看板がある。
さらには北側に安楽島舞台がある。
安楽島舞台
文久二年(1862年)の建造で芯棒式回り舞台だったが昭和二十八年の修復工事の際に廃止し現在に至っている。
鬼瓦は恵比寿様が鯛を釣っている立派なものであったが、伊勢湾台風の際、落ちて割れたので裏側のものを正面に回し使用している。
中央の懸魚は舞鶴と日の出の彫刻だが、これは昭和二十八年の修理の時にとりつけられたものという。最初は満留山神社の龍堂としてたてられ、太夫座、出語り の柱には「明治十一年一月六日祭 狂言 恋女房染分手綱 回修○○ヨリ鎌倉三代記八ツ目伝伝」とあり、神祭に奉納芝居がされていたことがわかるが、大半は 天王祭に使われていた。
平成四年に外壁と日本瓦の張り替え、棟木の一部を鉄で補修する修理が行われている。
建造年:文久二年(1862年)棟木墨書有り
形 状:間口七間二尺、奥行き四間四尺
平成八年十一月二十六日
鳥羽市指定(有形民俗文化財)
所有者(安楽島町内会)
鳥羽市教育委員会
ここで、スマホをチェックしていたら、迷っているのかと思い声を掛けてくれた男性は、伊射波神社の前宮司(現在の宮司の父上)と同級生で、若い時には能舞台を回していたなど、さまざまなことを教えていただいた。
この後、伊射波神社へ向かったが、伊射波神社に関しては別の記事で紹介するとして、続いては伊射波神社から戻ってきた時点からの記録となる。
伊射波神社から戻ると市営の安楽島海水浴場へ向かい海を眺めた。
そこでは、おばあちゃんが海藻を採っていた。
かもめバス 安楽島 バスのりばまで戻ると安楽島舞台の脇から満留山神社へ・・・。その時、この看板が目立っていた。以前はこの場所に蔵があったのだが、今は更地となっていた。
【参考】 御遷座を終えた満留山神社(鳥羽市安楽島町) 2014年11月22日
久しぶりに満留山神社への鳥居をくぐると急な石階を登った。
登りつめた石階の先には今も新しさを保ち続ける鳥居が迎えてくれた。
鳥居の先には
瑞々しい本殿。
拝殿よりお参り。
拝殿を後にすると眩しいほどに光を受けている本殿をパチリ。
社務所の右手へ進むと
眼下には建て込んだ家並みが広がっていた。ここを歩いて見たい。まさに、ほっつき歩きだ。
社務所の脇を奥へと進むとその先は坂道となっている。坂を下り左方向にある細い路地を進むとそこには先ほど訪れた安楽島海水浴場の端部へ出た。
さらに右鳳凰へと進むと砂浜の雰囲気とは一変し、多数のテトラポットが積まれている浜へ出た。
堤防に沿ってさらに進むと、右手には「↑津波ひなん場所 てんぐ山」。てんぐ山に登りたくなった。
まずは浜に出て丸い石を探したが、この浜には磁器やタイルなどの破片が角は落とされた状態で散在していた。
浜を後にすると浜を背にして民家の間を通り抜けた。
するとその先でこんな場所に出た。次の写真の右端をまっすぐ進むと御堂に突き当たった。
御堂の石階下を左へ巻くように手すりが付けられた舗装路が山上へと続いていた。これはおそらくてんぐ山への避難路だろう。そう感じながら
坂道を登りながらまずは御堂をパチリ。
さらに先へ進むと高度を稼いでからパチリ。
頂上にたどり着いたのだが、ここが「てんぐ山」かどうか? 奥の畑でおばあちゃんが草を抜いていたので尋ねたところ、ここが「てんぐ山」だった。
てんぐ山の山頂付近には小さな祠がここにも、
さらに、ここにも。
いい眺めだ!
御堂のところまで下るとその近くには、壁面が露わとなった土蔵が建っていた。この土蔵も次回訪れた時には姿を消してしまうのだろうか?
てんぐ山を後にして、先ほどの広場付近へ戻るとこんな所に、あれは五輪塔?
改めて、てんぐ山を見渡すとこの場から離れ、右方向へ進んだ。
安楽島保育所の脇を通り過ぎると
その先には、先ほどくぐった満留山神社の鳥居が望めた。
つまり、かもめバス 安楽島 バスのりば付近に到着したのだった。ここから来た道を戻るのは面白くなかったので、
てんぐ山の方へ戻るとさらにその先へと進み、安楽島漁港へ出た。
防波堤にこんな絵が描かれていたので紹介すると
絵の右側には以下のように記されていた。
この絵のタイトル「海森 Sea Forest」
ここには豊かな海の森があります。
この森は海の生き物の赤ちゃんたちのゆりかごです。
今このゆりかごは人が捨てるゴミや排水によってどんどんなくなってきています。
この森をみんなが大切に思い、守っていかないと二度と元に戻せません。
私たちが大切にするこの海をいっしょに守ってください。
2010.11.21 安楽島子ども会
壁画を後にして東防波堤をさらに奥へと進むと灯台が近づいてきた。
この灯台は
「安楽島港 東防波堤灯台」
強風にあおられながらも防波堤上を歩くと振り向いてパチリ。
この風景を背にすると
多数の船が係留されている方向へ向かった。
巨大な倒木には驚かされた。
こんな風景も・・・。空の殻だった。
こんな風景を楽しみながらほっつき歩いていると
伊射波神社の宮司宅付近に到着した。電柱にも案内板が掛けられているし、
海側にも、堤防からこんな案内板が立ち上がっていた。迷うことはないだろう。御朱印等が必要な方はこちらを訪れることにある。
この付近では「青峯山」の旗を掲げた船が多数。
さらに進むと堤防の海側に大きな石があり、その上には多数の石仏がまつられていた。
石仏はこの方向を向いている。
漁協近くにはこんな光景も
さらにはこんな光景も・・・
安楽島漁協前を後にすると
行きに気になっていた場所に注目。入江の奥にある
石橋の先へと続く水路。この先はどうなっているのだろう・・・?
まだまだ時間に余裕があったので、その石橋まで行ってみた。
水路に沿ってさらに遡上しようとしたところ、石橋を渡ったすぐそばに行く手を阻むものが置かれていた。そこには「通行止 町内会 猪が道を破壊したので 通れない。」と・・・、(残念)。
結局、石橋の先へ行くことはできなかったので、次回の楽しみにとっておくこととし、出発地点である市民の森公園へ戻ることにした。
鳥羽中央公園を通り抜けると市民の森公園へ・・・。