2014年01月04日(土) 東海道 四日市宿から伊勢街道 鈴鹿宿(近鉄四日市駅~日永の追分) (電車、徒歩)
昨年の5月5日に近鉄桑名駅から近鉄四日市駅まで東海道を歩いたが、あれから半年以上が経過。
【参考】
今年の目標のひとつに「少しづつ細切れででも三重の街道を歩く。」を掲げたので、早速実践するために東海道から伊勢街道へ向かうルートのうち近鉄四日市駅から近鉄白子駅までを歩いた。
四日市から歩き始める場所を失念してしまったので、まずは明確に記憶している諏訪神社まで戻り、そこから歩き始めることにした。今回参考とした資料は「みえ歴史街道 ウォーキングマップ」、ただし記録として残すためにはマップとの対応付けが分かりやすい(距離が明記されているため)近鉄のてくてくまっぷを利用した。
なお、今回の記録は三分割したため、まずは前回の後半部の諏訪公園からと今回新たに歩いた近鉄四日市駅~日永の追分である。ここで参考にしたマップ類は次の通り。
【参考】 みえ歴史街道 ウォーキングマップ
- 東海道 (PDF)
- 伊勢街道 (PDF)
- みえ歴史街道 ウォーキングマップ
【参考】 てくてくまっぷ 東海-2、伊勢-1
なお、この記録の写真見出しにある()内の数値は てくてくまっぷ伊勢-1に記されている距離を示す。
8時頃に近鉄四日市駅に到着。早速、駅を出るとアーケードを抜けてから左方向へ進み
諏訪公園へ向かった。見覚えのある風景だ。
諏訪神社の裏手の鳥居をくぐると
政成稲荷大明神、山津見神社の脇を通り
諏訪神社の正面へ向かった。まずは手水舎にて心身を清めた。手水石には魚屋中の文字が刻されている。
お参りを済ませると
表の参道から境内を出た。
諏訪神社の前には次の説明板が立っている。街道歩きを実感できる。
そして、諏訪神社の前、この通りが東海道。交差点からこちらへ向かい
表参道スワマエのアーケードへと続いている。ここからはまっすぐ進めばいい。
朝早いためほとんどの店のシャッターは閉じられたままだった。寄り道できなくていいか・・。
アーケードを抜けると前方には中央通りが走っている。しかし、この付近には横断歩道もない。さすがにこの道幅を横切る気にはなれない。しかたなく左手にある交差点にある横断歩道を渡った。
交差点を渡るとアーケードに続く通りまで戻った。するとそこには「東海道」の石柱が立っている。ここからが本日の街道(東海道・伊勢街道)歩きのスタートとなった。
右手に「阿せち?」と読める石標のある橋を渡った。
橋の上流側はこんな感じ。ここは阿瀬知川のようだ。
東海道の案内板。
しばらく、道なりに進んだ。
御菓子司 東京堂。(今日歩いて感じたことだが、とにかくこの通りにはお菓子店が多い! この後もどんどん登場する。のんびりと街道を楽しむ方にはもってこいの休憩スポットとなるだろう。)
東漸寺。
さらに進むと
近鉄名古屋線の高架をくぐる。
街道の所々、家の壁や窓に「東海道」の案内札を掲げられている。
ポストを過ぎると
道幅がかなり広くなる。
三叉路に至るとその先は道幅が再び狭まり、古い時代の街道を忍ばせる建物も残っている。
こちらのお宅の前には
木製の祠の中にお地蔵さんが祀られている。
その先には鈴木薬局(旧鈴木製薬所)。
次の交差点を右に折れると近鉄内部線 赤堀駅があるので、寄り道。
ちょうど電車が到着。見慣れない色、形の電車だ。近鉄内部線は一時期、八王子線と共に廃線の危機となっていたが昨年秋に「公有民営方式」としての存続が決定されたそうだ。
赤堀駅から東海道へ戻ると落合橋を渡る。
右手に四日市赤堀郵便局を見ながらさらに進むと
前方に坂道が見える。鹿化橋だ。
その前に、御菓子司 まめ庵。お菓子店だ。
鹿化橋を渡ると
その先を右、堤防ではなく、下って左方向へ。
すると先ほど見えていた社叢が近づき、鳥居が見える。大宮神明社。
参道を進むと氏子さんが作業中だった。
境内には正面に大宮神明社、右手には御由緒にある摂社 二柱大神だろうか。また、本殿と摂社の間の奥にも小社が祭られていた。
東海道へ戻ると
こんな売り物件も。
魚傅の前を過ぎてしばらく進むと
この建物の角に
見上げると看板。「ジュニア模型店」だ。
この案内板の右へ曲がると建物の脇にあるのが
水沢道標だ。
その前には説明板がある。
歌で道案内とは古銭収集家だけあるのだろう。ただし、私なら「すぐ、・・・」の方がありがたい。
東海道を先へ進むと
またまた、お菓子店、団扇最中 太平屋老舗。
前方に坂、つぎは天白橋。
その前に興正寺に寄り道。
本堂に向かって左手には鐘楼ほか。
街道へ戻り、天白橋を渡る途中でパチリ。そんなに大きな川ではない。
橋を渡ると下り。
右手に両聖寺。
ここには「つんつくおどり」と呼ばれる四日市市指定無形文化財(芸能)の踊りがあるそうだが、説明文を読んでもなかなかその様子を想像できなかった。見てみないと・・・。
両聖寺の境内はこんな感じ。
両聖寺を後にすると、道幅の広い道路を横断歩道で渡った。
その先、左手に祭られているのは日永神社。
参道を進み
まずはお参り。
拝殿の右手には道標がある。
説明文には「追分道標」とある。
説明文には、
この石柱は昔、日永の追分に神宮遥拝鳥居の傍に立てられていた道標である。
とある。
これらの面には「大神宮 いせおいわけ」、「京」と刻され、
これらの面には「明暦二丙申三月吉日 南無阿弥陀仏 専心」、「山田」と刻されているそうだ。
お参りを終えると境内にあるトイレをお借りした。参道へ戻ろうとするとこの手水石を発見、「明和元申年八月」とある。
街道へ戻るとすぐ目と鼻の先にはこちらの説明板。
四日市市の指定有形文化財(彫刻)に指定されている薬師如来坐像が祀られている薬師堂がこの奥にある。
街道へ戻ると薬師堂の先にはこのような東海道総合案内がある。
続いて、善光山証明院実蓮寺の説明板。
さらには、西唱寺。
隣にの建物には「南日永町クラブ」とある。
交差点を過ぎると注意が必要だ。右手、建物の間の狭い空間に
「史蹟 日永一里塚阯 三重縣」の石碑が立っている。
この先には名残の一本松、往時は松の並木道だったのだろう。箱根駅伝で選手が駆け抜ける大磯の松並木を想像してしまった。
道幅は往時と変わらないそうだ。
名残の一本松を背にして先へ進むと
左手には所々で国道1号が見える。
近鉄泊駅の案内板がある交差点を通り過ぎると
しょうゆ・みそ・たまりの蔵元である伊勢蔵、
海星中・高等学校第2グランドが続く。
グランドの前には蔵があり、そこが
東海道日永郷土資料館となっている。時間があれば立ち寄りたかったが、先のことを考えてしまい今日はパス。
ここで国道1号と合流、この先に見えるのが日永の追分だ。
近づいてパチリ。
横断歩道を渡るとまずは、この「史蹟 日永の追分」の石碑をパチリ。
以前は道路に設置されていた神宮遥拝鳥居は道路の拡張に伴いこの場に立つそうだ、遥拝。
遥拝鳥居の右手には「神宮遙拝御鳥居」の石柱、さらに右手には湧き水の汲み場がある。今日も何人かが入れ替わり立ち替わりでペットボトルに詰め込んでいた。数十本に詰めている人もいた。
そしてこちらが神宮遥拝鳥居の経緯を記した石碑で
その裏側には造営の年次が刻まれている。
さらにこの三角地帯の一角には常夜燈を道標もある。
少し離れたところから追分をパチリ。左側が伊勢神宮へと続く伊勢街道、右がいままでも歩いて来た東海道に別れる。
この後はこの追分で東海道を離れ、伊勢街道へと歩きだした。
【 20140104 の記録 】
- 東海道 四日市宿から伊勢街道 鈴鹿宿(近鉄四日市駅~日永の追分)
- 東海道 四日市宿から伊勢街道 鈴鹿宿(日永の追分〜神戸の見附跡)
- 伊勢街道 鈴鹿宿から河芸コース(神戸の見附跡〜近鉄白子駅)