2016年03月05日(土) 長野神社(津市美里町北長野) (車、徒歩)
国指定史跡「長野氏城跡(長野城跡、西の城跡、中の城跡、東の城跡)」巡りにて西の城跡へ向かう途中で、長野神社へ足をのばした。長野神社は美里ふるさと資料館下の道標から坂道を上り詰めた付近に鎮座している。つまり北長野の町を見渡せる位置にある。
参道へ進むと「長野神社」の社号標の後ろに手水舎、その奥に鳥居。
まだ新しい雰囲気だった、この鳥居は特別なものだった。それは第六十一回式年御遷宮(ひとつ前の遷宮)を終えた倭姫宮の表参道に建っていた鳥居が下賜されたものだった。
鳥居の右側にはこのような木標も建っていた。
貴重な鳥居をくぐり参道を進むと
左方向には予想通り、町を見渡せた。
社叢の前面からパチリ。
階段下の鳥居へ向かうと
その脇には定の立札。
鳥居の柱は歴史を感じさせてくれる。
鳥居をくぐり、階段を上るとまっすぐに拝殿へ向かい、お参り。
お参りを終えると拝殿の右手にある石階へ向かった。ここで左を見ると
拝殿の壁面に御由緒が掛けられ、
沿革には次ように記されている。
沿革
当社は、明治41年11月、南長野、北長野、平木、桂畑の四区に鎮座の大小35祠の御祭神を神明神社に合祀して「長野神社」と単称したもので、社殿・境内が整備されて今の姿になったのは大正6年のことである。
安濃国造の祖や、当地の地頭であった長野氏十六代のうち、三柱を御祭神としていることは当神社の特色とも言うべく、境内社「英霊顕彰殿」の御祭神百二十八柱とともに、郷土「長野」のかけがいのない守護神である。
長野神社
石階を進むと右方向に踏み跡があり、その先には多数の石祠が並び、その隣には本殿。
右側の石の祠は簡素だが素晴らしい。お気に入りになってしまった。御祭神は?
さらに奥へと進むと長野神社の全容を見ることができた。美しい。
お伊勢さん125社をめぐり始めてから約6年。「神社とは?」「自分の中にいる神様に会いに来る場所」と思うようになった私には素晴らしいひとときとなった。
【 20160305 の記録 】
- 国指定史跡 長野氏城跡ほかの散策(津市美里町桂畑、北長野)
→ 長野神社(津市美里町北長野)
→ 長野氏城跡ほか散策の復習(美里ふるさと資料館) - 松原豊写真展「伊勢・磯部」〜伊勢神宮とは何か〜より(美里ふるさと資料館)