2014年10月26日(日) 遷御に向けて雨儀廊が準備された瀧原宮 (徒歩)
瀧原宮 お白石持ち行事の奉曳は里集会所付近で昼食休憩となったので、その時間を利用して先に瀧原宮をお参りした。
瀧原宮に到着すると参道の鳥居が造替されていた。また、その手前にはこれから奉献するお白石が準備されていた。
鳥居をくぐり参道を進むと常夜燈も造替されていた。この常夜燈の屋根には銅板が張られている。
こちらの常夜燈も同様だ。(ある場所から常夜燈の屋根が素木となる。それは、どこだろう。)
さらに進むと前回訪れた際は工事中であった橋が開通していた。
【参考】
手水は参道脇にある手水石にて済ませると先を急いだ。
すると前方には遷御に向けて雨儀廊が準備されていた。
参道から幄舎までの距離が長く、鳥居が雨儀廊を突き抜けているのが特徴的だ。
この風景はなかなか見られない。
雨儀廊に覆われた参道、
その左手には瀧原竝宮へと伸びる雨儀廊。
さらに進むと神嘗祭に奉納された懸税の先で
こちらは瀧原宮の雨儀廊。どんな天候でも大丈夫、立派な雨儀廊が準備されていた。
雨儀廊が準備された現在の御敷地のなかで輝き際立っていたのは、若宮神社の左側にあり最近造替された御船倉だった。
御船倉は、御船代(御神体を納めるための器)を納めるため、または倭姫命が使用された小舟を納めるための建物と言われているが真相は?
また、お白石奉献の後で参道にて知り合いの神職でお会いしたので、御船倉が場所を遷さない理由を伺ったところ「宮ではなく倉なので・・・」とのことだった。確かに遷御の対象にはならないか。
瀧原宮、瀧原竝宮、若宮神社、長由介神社(川島神社を同座)の順で参拝を終えると参道を戻った。すぐ右手、瀧原竝宮の左側を望むとそこにも工事用のシートが掛けられていた。この場所には
この場所には次のような御倉が建っていたので、こちらも造替されるのだろう。
参道を戻ると
修繕されている宿衛屋、
その向かいに建つ忌火屋殿、蕃塀の間を抜けて
新しくなった鳥居へと戻った。
鳥居をくぐり返すとそろそろ奉曳が再開される1号車の元へと急いだ。
【 20141026 の記録 】
- 道の駅 奥伊勢おおだい から瀧原宮お白石持行事の出発場所(三瀬川スクールバス待避所)へ
- 第62回神宮式年遷宮 お白石持行事、 瀧原宮奉献
→ 遷御に向けて雨儀廊が準備された瀧原宮 - お白石奉献を終えて、瀧原宮から大台町役場まで