2015年06月14日(日) 赤須賀神明社御木曳き祭の拝観前に、桑名の神社ほか巡り (電車、徒歩)
午後から執り行われた赤須賀神明社(桑名市赤須賀)での御木曳き祭を拝観するために桑名を訪れたが、桑名駅へ到着したのが午前8時40分頃。赤須賀神明社では内宮(皇大神宮)の別宮である瀧原宮より御下賜された旧第一鳥居を御用材として鳥居が建て替えられる。このように(伊勢)神宮より御下賜された御用材を利用して建て替えられた(る)鳥居は三ヶ所に存在する。先日建て替えられた七里の渡し場跡一の鳥居と桑名市安永に鎮座する城南神社の鳥居。七里の渡し場跡の鳥居は内宮宇治橋の西詰の鳥居で、城南神社の鳥居は同じく内宮の第一鳥居が再利用されている。
今朝は、城南神社の鳥居と七里の渡し場跡の一の鳥居のくぐり初めを第一の目的として桑名の神社ほかをめぐった。また、桑名市立中央図書館では「市民協働企画展示 お伊勢さんと桑名~神宮鳥居3基移設記念~」が開催されていたので立ち寄った。
桑名駅の東口を出ると
次のルートで桑名市内を巡り、赤須賀神明社を目指した。
西桑名駅の前を通り過ぎると三岐鉄道北勢線沿線の道路を進み、
この先は三岐鉄道とは離れ、道なりに高架をくぐると・・・
迷うことなくまっすぐ道なりに進むと「桑名コミュニティバス 三ツ矢橋 バスのりば」を過ぎた。
「あれ、この場所は見たことがある。」それはそうだ、以前東海道を歩いた時に歩いた場所だった。矢田立場。
【参考】
- 東海道 七里の渡しから富田(一目連神社~近鉄伊勢朝日駅) 2013年05月05日
この後は、城南神社まで東海道を歩いた。東海道から脇へ入るとこんな雰囲気の建物が・・・。
東海道を先へ進むと御菓子司つたやの店頭に
このような年季の入った箱が並んでいた。
桑名コミュニティバス 了順寺前 バスのりばを過ぎ、
日立金属桑名工場付近を通過。
掲示板には「神館神社 夏越祭 茅の輪くぐりの案内」が掲示されていた。もうすぐ夏越だ!
六月三十日午後四時
夏越祭
茅の輪くぐりを執り行います
神館神社
そして、この門柱(?)を過ぎると城南神社。
城南神社については別の記事で紹介する。
【参考】
城南神社にてお参りを終えると国道1号へと向かい安永二交差点を左折した。
しばらくは国道1号に沿って進むと
右手にこの社号標が建っていた。「八重垣神社」
鳥居をくぐり参道を進むと常夜燈の手前に白い立札があり祭典の日程が紹介されていた。
八重垣神社の祭典
一月一日 元旦祭
二月中旬 祈念祭
六月三十日 大祓
七月最終日曜日 大門祭
十月十三日・十四日 秋季例大祭
十一月二十三日 新嘗祭
十二月三十一日 大祓
また、その向かい側には諸由緒等が記されていた。風雨に晒されて読みにくくなった文字を・・・(□は判読できなかった部分)
八重垣神社 御由緒
御祭神 須佐之男命
天照大神の御弟神
八重垣神社は牛頭天王(ごずてんのう)を氏神として祀ってきたが、鎌倉時代に伊勢大神宮の神宮寺□□□が度会郡より移転しこの地に壮大な寺院を□営したもので当神社は大福田寺の鎮守となり同寺と盛衰を共にした
徳川初期寛文年間290年前大福田寺は東方へと移築し当神社のみがそのまま残り現在に至っている
また夏に行われる大門祭は約千百年前の清和天皇859-876の御世より続いていると言われ悪疫の流行や風水害を防ぎ方策を祈るところの俗称イモチ又は虫送りの行事で松明数千を点□鉦太鼓を打ち鳴し浜辺の方へ行列を組んで繰り出し古来疫病神送りの夏祭りとして今日に至っている例祭
十月十三日 試楽
十月十四日 本楽
夏祭
七月最終日曜日
桑名市無形文化財
(結果的に本日巡った神社は天照大御神を御祭神とする神社が多かったが、こちらは須佐之男命。)
なお、大門祭と湯立釜については別の説明板があった。
大門祭
桑名市指定無形民俗文化財
八重垣神社大門祭 昭和33年10月1日指定
大門祭は、大福の氏神である八重垣神社の例祭として毎年、七月最終日曜日に行われています。八重垣神社は、以前この場所にあった大福田寺(現在は、市内東方に所在する。)の鎮守であったと言われており、寺の大門がこの地にあったことが名称の由来となっています。
神社の祭神は素戔嗚尊(牛頭天王)であり、悪疫の流行や農産物の害虫を防除し豊作を祈る、虫送り(いもち)の行事として行われてきました。『久波奈名所図会』には、数多くの松明を灯して行列する様子が描かれていますが、現在では都市化により松明はなくなり。鉦や太鼓を打ち鳴らして町内を巡行しています。湯立釜
桑名市指定有形民俗文化財
湯立釜 昭和40年11月24日指定
湯立て神事に使用された釜で、鉄製の鋳物です。湯立て神事とは、沸かしたお湯を浴びることで、無病息災を祈るもので、現在では行われていませんが、神事に使用していた釜であり、神社の宝物として大切に守られてきました。
釜は一対で、表に桐文一つと、裏に三巴文二つを配されています。それぞれの内側には、鍵・宝珠・桝の図が一つずつ鋳出されています。高さ・外径・口径のバランスが良く、文字は陽鋳で力強く、脚部と取手付け根が獣形となっています。製作者は広瀬与左衛門政次で。桑名鋳物師の始祖と言われる彦三郎から五代目にあたります。
寸法 総高 45.3㎝
外径 53cm
口径 41㎝
さらに鳥居をくぐると
八重垣神社にお参り。
その左隣りには立ち列ぶ鳥居の先に赤龍社がまつられていた。
その祠の右側には「おみくじ」と書かれた箱があり、その上方には「第一番大吉・・・・第十二番吉」まで12種類の結果が掲示されていた。ところが、そのおみくじの箱を開けてみると中には鎖で繋がれた(?)鉄製の円柱と角柱・・・。おみくじとは何なんだろう?
「おみくじ」の疑問を残しつつ、八重垣神社を後にすると国道1号を横断した。
振り返ってパチリ。
八重垣神社の鳥居を右手方向に見る。すると前方には別の鳥居があり、その脇には神館神社の社号標が建っていた。先ほど掲示板で見た「夏越祭 茅の輪くぐり」の神社だった。鳥居をくぐり参道を進むと
珍しい形状の常夜燈(?)、灯篭(?)、こちらが神館神社だった。
鳥居をくぐると神門の手前にある説明板を確認した。
神館神社
古代に神宮鎮座の地を探して倭姫命はや大和・伊勢を巡幸した時、ここに休憩所として館を建てられ、神宮が伊勢に定まった後、神領の神明社として館後に神館神社が創建されたといわれ、神館神明宮・神館明神とも称される。
神宝として、永享七年(1435)の銘がある獅子頭(県指定文化財)桑名の焼きものの草分け的存在である信行作で貞享四年(1687)の銘のある鉄釉菊花文御神酒壺(市指定文化財)と宝永元年(1704)銘の狛犬、桑名の刀工村正の作で天正二十二年(1553)の銘のある剣と太刀(市指定文化財)など、貴重な文化財が納められている。
平成九年 桑名市教育委員会
こちらも天照大御神ゆかりの地だった。神門をくぐると
右手にある手水舎にて心身を清めてからお参り。
拝殿の前面右側には次の由緒等が記された木板が掲げられていた。
神館神社
祭神 天照皇大神
豊受姫命
配祀 倭姫命
合祀 天目一箇命
大山祇命
火産霊命由緒概要
当神社ハ垂仁天皇ノ皇女倭姫命天照皇大神ノ神霊ヲ奉戴シテ大和ヲ発シ伊賀近江美濃尾張三河遠江ヲ経テ垂仁天皇十四年秋九月朔日伊勢の国ニ入リ給ヒテ同二十六年度會郡五十鈴ノ河上ニ御遷幸ノ途次一時奉斎セラレタル處ノ□蹟ニシテ後此ノ地ハ神宮ノ神領トナリ神戸ヲ置カル而シテ文治元年九月神宮ヨリ政廰ヲ設ケ近郷ノ神領ヲ所管セシム之ヲ神庤(カムタチ)或ハ神館(カムタチ)ト云ヒ毎年御神酒四石八斗副米九斗祭料並造酒米一石稲束東小机二十面ヲ神宮へ納メシムルモノナリシヲ以テ後ノ神館ニ天照皇大神豊受姫命ヲ奉斎シアリシカ正中年間之ヲ廃止セラレタルニヨリ奉斎ナリシ大神ヲ祭神トシテ名ヲ神館神社ト称シテ一般ノ神社トナシ
手水舎の後ろ側には
平成二十五年神館神社式年遷宮記念行事寄進者掲示板。二年前に式年遷宮が執り行なわれていた。
拝殿の右方向へと参道が続いていたので奥へと進むと門の手前を左へと続く小径があった。
その小径の先は本殿の裏側だった。本殿は立派な石垣の上に建っていた。
拝殿の前へと戻ってくると境内の隅へと向かった。
こちら、右側は?だが、左側の祠は
鏡ケ池社。
鏡ケ池社
この社は神館神社の御祭神天照皇大神がこの池におとどまりの折水を求められて作られた池でその形が鏡の形に似ていたことよりつけられました
御祭神は竜神様で俗に「白竜さん」と言い家内安全商売繁昌の神様として崇敬されています
文字通り、池は鏡のように風景を映し込んでいた。
それは鏡ケ池社をも・・・。
また、当社は周囲を堀で囲われていた。
堀に沿って左回りで神社の裏側へ進むとその先には若宮公園がある。
公園内を横切って奥の出入口から国道1号方向へ進むと左手に別の鳥居が望めた。こちらは立坂神社の参道に建つ鳥居だった。
複数の地名版を確認しながら参道を進むと
こちらが立坂神社。
立派な神門があり
そこには「八幡宮」の扁額が掲げられていた。
こちらも立派な手水舎。
これは提灯を吊るすためのもの? 参道を進むと
立坂神社にお参り。
境内には八天宮、菅原神社、
さらには別の神社も・・・、さらにはお稲荷さんもまつられていたようだ。(帰宅後に気づいた。)
立坂神社を後にして国道1号側へ進むと大きな鳥居。
国道側から振り返ってパチリ。社号標にはコンクリートで埋められた縣社の文字が見える。
国道1号を市役所方向へ進むと
SANCO 国道市役所バスのりば、八風バス 市役所前 バスのりばの先、
中央町交差点を右折して、桑名市立中央図書館に立ち寄った。
「市民協働企画展示 お伊勢さんと桑名~神宮鳥居3基移設記念~」が開催されていたが撮影できなかったので、気になる点だけをメモに残した。
図書館を後にすると先日拝観した七里の渡し場 伊勢国一の鳥居お木曳の出発点だった桑名市民会館前に到着。
【参考】
- 伊勢神宮の奉曳車での お木曳(桑名七里の渡し場 伊勢国一の鳥居建て替え) 2015年05月31日
今回は別のルートで七里の渡し場跡を目指そうと、路地を入ると鳥居を発見。
鳥居の先には小さな祠があり、手前の建物には「新築町集会所、桑名宗社参集殿」の看板が掛かっていた。
その後、民家の間を抜けると寺町通り入口を通過、
石取会館。
桑名宗社(春日神社)の青銅鳥居。
七里の渡し場跡はもう目の前だ。
途中、この紫陽花に魅了されてしまった。
七里の渡し場跡一の鳥居については別の記事で紹介する。
【参考】
一の鳥居を後にすると九華公園を抜けて赤須賀神明社へ向かった。
九華公園を歩いていると
鳥居を発見。
さらに変わった常夜燈。
こちらには鎭國守國神社が鎮座していた。
手水を受けてから
お参り。
鎭國守國神社を後にすると大砲が置かれている辰巳櫓跡から
進む方向を遠望。
最終的にこの橋を渡ると突き当りを左へ向かった。その先には赤須賀神明社。
【 20150614 の記録 】
- 赤須賀神明社御木曳き祭の拝観前に、桑名の神社ほか巡り
→ 皇大神宮第一鳥居が御下賜された城南神社(桑名市安永)
→ 桑名七里の渡し場跡 伊勢国一の鳥居、くぐり初め(桑名市船馬町) - 瀧原宮第一鳥居が御下賜された赤須賀神明社の御木曳き祭(桑名市赤須賀)
- 赤須賀神明社御木曳き祭後の石取祭車渡祭(桑名市赤須賀)
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