2017年07月15日(土) 興玉の森(宇治山田神社)から五十鈴川の河川敷(側川原)への小道は旧参宮道 (徒歩)
伊勢古文書同好会でテキストとして使用している宮川夜話草に「俵楠」なる米粒を吐き出す大楠の話が出てくる。たままた読んでいた現代文 奇談枕返し物語にも同様の話があり、この物語は宮川夜話草にも登場する薗田将監が登場する。
薗田将監屋敷跡の近くに「俵楠」なる大楠があるのだろうと中村町を探したが、誰かに尋ねないと見つかりそうになかった。興玉の森の近くでひとりの男性を見つけたので尋ねたが薗田将監も大楠も知らないとのことだった。
今日は時間もないし、見つけることは難しいだろう。そう思いながら五十鈴川に架かる御側橋を後にすると
一般の人は余り通らないであろう小道へ入った。堤防道路から下ってから振り向いてのパチリ。
諦め半分の気持ちながらアワヨクバとの気持ちも半分。民家に挟まれた小道へ下るとひとりの男性が玄関へ入る直前に目があったような。その方は一度玄関へ入ったのだが、再び外へ・・・。私はすかざす近寄ると「スミマセン、薗田将監屋敷跡を探しているのですが・・・?」と尋ねると「今は畑になっていてわからない。」との回答だった。
それなら仕方ないと思い「ありがとうございます。」とお礼を述べて去ろうとしたが私の中でしばし時が止まっていたのか。残念そうにしている私の気持ちを察してくれたのだろう、その男性は「場所なら説明できるから地図をもってくるのでここで待っていて・・・」と。
その男性(中村町文化財保存会の多田貢さん)が戻ってくるとその手には上田神社御神遷の記録冊子が。その冊子の最後尾には次の二種類の地図が閉じ込まれていた。
これらの地図を見ながら薗田将監屋敷跡や大楠(俵楠)があったとされる場所について説明していただいた。
先ほど立っていたこの小道が旧参宮道である(次の写真の黄色い帯の部分)ことや例の奇談にも登場する枕返し、牛鬼の穴について、または五十鈴川の流れの変化、さらには日本人の食文化についてなど、これらの地図からさまざまな話題が展開され、楽しい時を過ごすことができた。(感謝)
どれほどの時間が経過したのかも意識できないほどに長居してしまったようだ。多田さんにお礼を述べると
旧参宮道であることを意識しながらこの小道を
興玉の森の方へ歩いた。
現在は興玉の森に鎮座する宇治山田神社にお参りしてから薗田将監屋敷跡、大楠(俵楠)があったとされる大楠社跡を目指した。