2016年05月14日(土) 伊勢志摩サミット開催記念事業 御潜神事 再現(鳥羽市国崎町 老の浜) (車、徒歩)
御潜神事(みかづきしんじ)が斎行(再興)されると聞いたのでその祭場(会場)となる鳥羽市国崎町の老の浜を訪れた。
御潜神事とは
(伊勢)神宮に供進するための熨斗アワビとして調製される鰒を採取する儀式で旧暦の6月1日に執り行われ、国崎を含む当時の答志村、神島村、菅島村、石鏡村、相差村、安乗村の七ヶ村の海女が参加した。明治4年に御贄献進制度が廃止されるとこの神事も途絶えてしまった。しかし、平成15年に一時復活され、その後も何度か再現されている。
とのこと。
この神事を知ったのは、鎧崎にある前の浜(神宮御料鰒調製所の隣)で斎行された二船祭を拝観するために調べた国崎町町内会のホームページを見た時だった。
【参考】
- 熨斗あわび祭り-三重県鳥羽市国崎町町内会
- 二船祭、勤労感謝祭ほか(海士潜女神社) 2011年11月23日
その後、御潜神事を拝観する機会があったのだが、その時は熊野古道伊勢路に魅せられていて・・・
【参考】
- 国崎の海女 大畑いちえ さん 2013年06月08日
- 熊野古道伊勢路#4(出発点であるJR尾鷲駅へ) 2013年06月29日
そして、今回やっと御潜神事を拝観することができると思ったが、5月14日(伊勢)神宮では風日祈祭および神御衣祭の重要な祭典が斎行される。悩みに悩んだ結果、積年の思いを果たそうと国崎へ向かったのだった。
文字通り「神事」だと思って祭場となる老の浜へたどり着いたのだが、祭場に張られたテントに受付があることを知り、声を掛けるとこのようなモノが手渡された。
そして、パンフレットを確認するとそこには、
伊勢志摩サミット開催記念事業 御潜神事 再現
海女による鮑(あわび)採り・鮑稚貝放流
日時 平成28年5月14日(土) 午前10時〜
場所 鳥羽市国崎町 老の浜主催 御潜神事再現イベント実行委員会
ここで私が面食らったのは、「再現」だけでなく「イベント」の文字を見たからで、今回は伊勢志摩サミット開催記念事業と銘打たれていることもある外務省による海外プレスツアーも実施されていた。そのため、普段はなかなか会うことがない海外のプレスの方々がかなり活躍していた。
「神事」のつもりで訪れた私だったが、途中でイベントであると割り切って「御潜神事 再現」を楽しむことにした。海外のプレスは神道の神事、特に祓詞や降神の儀、祝詞奏上、昇神の儀についてどのような印象を受けたのだろうか? 私は低頭していたためその反応をうかがい知ることはできなかった。
私の勘違いから始まった御潜神事(再現イベント)の拝観、開始から終了まで順を追って紹介する。
【海女の集合】
神島、答志、和具浦、菅島、石鏡、国崎、相差、安乗、志摩市から84名の海女が参加した。
司会の世古安秀さんにより開催が宣されると
御潜神事 再現イベントが開始された。
海外プレスは最初から積極的に動き回っていた。
海女の他にも参列者。
まずは鳥羽市観光協会の会長である吉川勝也さんにより本イベントについての説明があり、逐次英語に訳されていた。参列者等の紹介も終えると
ついに神事へと移行した。
ここからは老の浜が神聖な場になった(はず)。
祭典は次の式次第に従って進められた。祭儀は私が先ほどお参りした海士潜女神社の宮司により斎行された。
【参考】
【修祓】
式次第の最初、まずは修祓、
祓詞が奏されると
神饌をはじめ
海女、参列者、拝観者(見学者)が大麻により祓われた。
修祓を終えると
【降神の儀】
祭場に神様をお迎えする儀式、お迎えしたのは海士潜女神社の御祭神である潜女神(かづきめのかみ)だろうか?
【献饌】
続いて献饌、予め準備されていた(神酒が入れられた)瓶子の蓋が開けられた。
【祝詞奏上】
低頭して聞いていたら、祝詞には倭姫命、天照大御神・・・が登場し御潜神事の謂れが語られていた。
【清祓】
祝詞奏上を終えると清祓、二人の海女が代表で前に出ると
神職からそれぞれに五色の切麻と塩湯が手渡された。
神職とふたりの海女は水辺に近づくと左、中央、右と三ヶ所で祓い清めた。
一部のカメラマンはゴム長や長靴で・・・
【玉串奉奠】
宮司に続き、
海女、参列者のそれぞれの代表が玉串を奉奠した。
【撤饌】
玉串奉奠を終えると瓶子の蓋が閉じられて、撤饌。
【昇神の儀】
神様がお帰りになると祭典は終了となった。
この後は御潜神事の見どころである総勢84名の海女によるアワビ採り。今回は二回の海女作業があり、最初がアワビ採りで二回目はアワビの稚貝放流だった。
【一回目の海女作業 アワビ採り】
幟の下に座っていた海女が
ひとりふたりと海辺へ進んだ。
全ての海女が水際に集まると
太鼓が鳴らされた。アワビ採り開始の合図だ。
海女たちは波に揉まれながらも沖を目指して・・・
海女の数は多いのだが、海が広いので数の多さを感じられない。
数名がひとかたまりとなり、アワビが採られた。
見学者はこんな感じ。
海女が海のなかで頑張っている間、
私は浜辺をウロウロとしてみた。
祭場の片隅には焚き火が準備され、十分に温かい状態になっていた。
子どもは何を感じた?
一回目の海女作業は終了となり、アワビを採った海女が続々と浜へ上がってきた。
海女がそれぞれに編み袋からアワビを取り出すと
準備されていた桶に納めた。
大物も集まってきた。
そして、その一部が切り分けられた。
海女たちは次の海女作業のためにしばし休憩。
切り分けられたアワビは
海外プレスの口へと運ばれていった。さすがに伊勢志摩サミット開催記念事業のイベントだ。
海女の腰には重そうな多数のおもりが巻かれている。ここにも
ここにも・・・
多くの海女が集まって休憩している一方、先ほど見かけた焚き火の近くにひとりの海女。
彼女に話を聞いたら「みんなはウェットを着ているが私は着ていないので海水が冷たくて寒い!」とのことだった。なんとも憂いを感じてしまう雰囲気だが、
二回目の海女作業が始まるアナウンスを聞いたら駆け出して行った。
【二回目の海女作業 稚貝放流】
準備された稚貝が入った網袋を手にすると
浜の端へ向かって歩き出した。
こんなに沢山の海女が参加している。
再びの合図に従って、海へ入った。
予想以上に波は強そうだ。カチド(徒人:陸から歩いて海に入り、海岸の近くで作業する)ではなく、フナド(船人:文字通り船を利用して沖へ出て作業する)の海女にとってはこのような状況は体験しないことなんだろうか?
次から次へと海へ入る海女の中に
どこかで見た体勢、それは焚き火の彼女だった。
ひとりだけウェットスーツを着ずに
冷たい海の中へ入ると沖を目指していった。
しばらくアチラコチラで海面から足(フィン)を出す光景が続いた。
二回目の時間となり
稚貝の放流を終えた海女たちは続々と浜へ上がってきた。
全ての海女が戻ると
【再現イベント終了】
再現イベントの終了が告げられた。(お疲れ様でした!)
ひと仕事、いやふた仕事を終えた海女たちは
速やかに帰途に・・・
私が余韻を楽しんでいたら
【海外プレスによる囲み取材】
まだ、海辺の近くに人溜まりがあった。近づくとその中心には
ふたりの海女がいて、海外プレスから取材を受けていた。
遠巻きに聞いていたら、波の音が大きくてなかなか聞き取れなかったのだが「夫は勤めているので船が出せず、私はカチド(徒人:陸から歩いて海に入り、海岸の近くで作業する)・・・」。カチドはうまく訳されたのだろうか? 集団の近くでは、表紙に「潜」の文字が手書きされたファイルを手にした外務省の職員(?)らしき人が時間を気にしながら立っていた。
取材が続けられるなか、トラックの荷台で運ばれる海女、
あんなところで撮影会に協力する海女、さまざまな姿を目にした。
インタビューの内容がうまく聞き取れなかったので私もこの場を後にすることにした。
波打ち際で波と戯れながら歩いていると「波が引くときに美しさ」を知ることができた。引き際の美学に通じるのだろう。
祭場(会場)は徐々に片付けが進められ、幟が5本になっていた。
さらに私が老の浜を後にする頃には
1本減って、4本に。そして、「海女さんお疲れ様!」
海女小屋の前を通ったら同じ型のバイクが停っていた。海女さんのモノだろう。
神事と思って拝観した御潜神事、たとえ再現イベントでも素晴らしい神事だった。
次回は、鎧崎の「前の浜」で御潜神事と熨斗アワビの調製を拝見したいものだ。
【 20160514 AM の記録 】
- 風日祈祭(外宮)
- 目立たぬ場所にある外宮の駐輪場
- 御潜神事を拝観するために鳥羽市国崎町へ
- 神宮御料鰒調製所と鎧崎(鳥羽市国崎町)
- 海士潜女神社(あまかづきめ、あまくぐりめ)(鳥羽市国崎町)
- 海士潜女神社から老の浜へ(鳥羽市国崎町)
- 伊勢志摩サミット開催記念事業 御潜神事 再現(鳥羽市国崎町 老の浜)