2015年02月15日(日) 五十鈴川の上流、流された橋跡(高麗広公民館付近) (車、徒歩)
五ヶ所浦から剣峠を越え、五ヶ所街道をトロトロと走って到着した高麗広公民館。プチクラシックコンサートの開始まで30分以上も余裕があったので、周辺を散策することにした。
遠くまではいけないので、五十鈴川の辺りへと車が通れる道を下ると興味深い脇道を発見。次の写真の右側の小径を進むと
こんな中をさらに河畔へと下った。
途中で何かを連想させる複雑な表情を持つ石と出会った。
そして下りきると五十鈴川。ここは宇治橋の上流だ。清らかに流れている。
しかし、視線を下流側へと向けると様子は一転した。
川の中央にはコンクリートの塊があり、
さらにその下流側にも・・・
さらに、あれは橋脚のようだった。
河畔から少し高いところへ戻るとこの場所に橋が掛けられていたことがわかった。つまり、先ほどのコンクリートの塊たちは流された橋の残骸だったのだ。ところで、この橋はどこへ行くためのものだったのだろうか? 今はどのように対岸へ向かうのだろう? さまざまな疑問が湧き上がった。
この付近からは上流側へも下流側への進めなかったので一度五ヶ所街道へ戻ることにした。
方向だけを定めて道なき中を進むと
高麗広公民館の前まで戻ってきた。
今度は上流方向へ進むと左側に踏み跡があったので
河畔へと下った。途中で二重の白線を発見。
さらに下るとここでも流された橋脚を発見。ここは先程の場所よりもかなり上流側だ。
近づいてパチリ。こんな橋がいくつも架けられていたのだろうか?
コンサートが始まる時間が近づいてきたので散策を切り上げると高麗広公民館へと戻った。
その途中で、パチリ、
パチリ。
五ヶ所街道へ戻り・・・
【 20150215 の記録 】
- 五ヶ所神社(南伊勢町五ヶ所浦)
- 早くも実現した「五ヶ所浅間山」歩き
- 剣祖「愛洲移香齊」生誕の地 愛洲の館(南伊勢町五ヶ所浦)
- 久〜〜しぶりに走った五ヶ所街道
- 五十鈴川の上流、流された橋跡(高麗広公民館付近)
紹介
日蓮正宗 http://www.nichirenshoshu.or.jp/
全生庵 http://www.theway.jp/zen/
言霊百神 http://futomani.jp/
この公民館は昔は分校だったのを建て直して、新しくなった当初は地元の小学生や中学生で公民館でキャンプしてました。公民館から少し行くと千本クヌギと名づけたクヌギ林があって常時20~30匹くらいクワガタがとれました。数年前に行ったら伐採されてましたけど。
匿名さん
コメントありがとうございます。
この地域もどんどんと変化しているのですね。
変わらないのは道路から川側の神宮域だけでしょうか?
昔、私が倉田山中学校の生徒だった頃
高麗広から通学していた子がいました。
天候が悪化しそうなときは、その子だけ
早引けして帰宅を許されていました。
先生になんで?と聞くと「あの子は
高麗広からかよとるでな」と言われた
ことを思い出します。
高麗広公民館・・・こんな山奥から
通っていたのですね!!!
たかっちさん
こんばんは、
宇治橋前から高麗広公民館まで7.5kmくらいですから往復すればかなりの距離ですよね。
早引け帰宅するぐらいだから、その頃は歩いて通学していたのでかね?
宇治橋前から、倉田山中学まで数キロあると
思います。その子は、果たしてどのようにして
通学していたのか!?謎です。
16日には天王祭にも参加して来ました。
ブログにもアップしたので、見てね!!?
そうすると往復で20km以上はありますよね。歩くのが速い人でも3時間以上かかりますよね。自転車でしょうか?
まぁ、謎にしておいた方が夢がありますね。想像の世界にまかせておきましょう。
さてブログを拝見しました。私は自分自身の発信で手一杯とご無沙汰してました。
天王祭や河崎の記事もいいですが、かっぱ寿司が気になってしまいました。(笑)
五ヶ所街道を通って高麗広に行ってきました。子供の頃、約50年前、剣峠のことは聞いていましたが、伊勢道路があるため、わざわざこの道で志摩に抜けることはなく、自分が車を運転するようになっても行きたくても行けませんでした。今回、初めて五ヶ所側から伊勢神宮まで軽自動車をレンタカーで願い叶いました。剣峠、高麗広周囲の五十鈴川、野鳥、神宮の森、歴史を感じることができました。ちょっと道は険しく、携帯も圏外になるので谷に落ちたらどうしようと思いましたがその分、車の往来少なく楽しかったです。
伊勢志摩さん
コメントありがとうございます。また、五ヶ所街道の初体験、おめでとうございます。
私は運転に自信がないので対向が難しいこの道は数えるほどしか通ったことがありません。
対向車がなければ神宮の森を感じながらのドライブは楽しいのですが、以前にかっ飛んでくる軽自動車と対向した時は肝を冷やしました。走り慣れていれば対向できる場所がわかり普通に走れるのでしょうね。私など緊張しっぱなしでした。
伊勢志摩さんは無事に通り抜けられたこと何よりです。
伊勢志摩様、キタヰ様
私も高麗広の左脇の所までお水を汲みに行ったことがありました。
何故か懐かしい〜今はもう水汲みには行ってませんが、懐かしい思いでいっぱいです。友達も高麗広の方と一緒になったと聞いてますが、もうその友達とも会ってません。川が氾濫したのなら、高麗広の下の方の民家だったのでどうしたかと心配になりました。
また話を聞かせてください。
高麗広の上流にはダムはありましたでしょうか?
ぺいぱぁどおる さん
懐かしい思い出のコメントをありがとうございます。
私も久しくこの辺りを訪れていないので、再訪してみたいと思わせていただきました。
高麗広の上流にダムはありませんので、放流の心配はないと思います。