2015年08月15日(土) 麻加江かんこ踊り(慶林寺、度会町麻加江) (車、徒歩)
羯鼓(かっこ)を吊り下げて打ちながら踊るかんこ踊り、先祖供養のために踊られる民俗行事で伊勢市及び周辺でも旧盆の頃に行われる。かんこ踊りは実施時期が集中するため御頭神事と同様に各地すべてを体感するには何年もかかる。またお盆は忙しく地元以外のかんこ踊りを目にすることがなかった。
会場をはしごする手もあるのだろうが、どうしても流れを体感したい私には一日一所が限度となる。今年は鳥居が建て替えられた赤須賀神名社の石取祭も拝観したかったが、
かんこ踊りを優先してしまい、今まで体感したことがないシャグマと呼ばれる白馬の尾の毛で作られた被り物と腰蓑を身につけて踊るかんこ踊りを拝観することにした。今回は伊勢市を離れて度会町麻加江にある慶林寺を訪れた。
午後7時前に到着すると
本堂の前の庭には水が撒かれかんこ踊りの準備が進められていた。
まずは、ここで麻加江かんこ踊りについて、度会町史を引用することで紹介する。
かんこ(羯鼓)踊(麻加江)
(1)町指定無形民俗文化財 (2)昭和54年2月指定
旧盆の八月十五日夜、慶林寺の庭で行われる。踊りは、綾おどりを舞う童女(小六〜中三)約30名と五所おどりなどを舞う男子青年団を中心とする地区民約70名が参加して行われる。
内容は太鼓、ホラ貝、鉦などの賑やかな囃と音頭とり(8名)を先頭にして大名行列を模した行列をつくって入場する。踊りの種類は10種類ほどであるが、現在踊られているのは4種類である。そのうち五所おどり、念仏おどり、シキ綾おどりの三種類は、シャグマの毛を紅い絹糸で束ねた冠をかぶり腰蓑、羯鼓をつけ、装束をつけた男子が夜、遅くまで舞いつづけるのである。綾おどりは、花笠をかぶりタスキを綾どった童女が、綾竹と称する30センチメートルほどの色紙で彩った二本の棒を使い座って踊るものである。
踊りは、盆供養のために行われその起源は天保年間といわれるが確かなことは不明である。大正年間まで田口、坂井、注連指、立花、長原でも行っていたが今では麻加江のみ当時のおもかげを残している。
各集落の踊りは秘伝となっており、練習は人里はなれた谷間でひそかに行われたといわれる。麻加江にも山林中に踊り場があったが今では麻加江公民館で行われている。
盆供養であるため、新盆の数だけ燈籠や提灯が飾られ、寺院本堂の縁先には祭壇が設けられ、誰でも焼香ができるようになっている。また、その遺族は祭壇の奥に控えている。踊りは、次のような順序で行われてきた。
(1) 口上
大名行列の前で、昔は、騎馬に乗った人が述べたが、今は乗らずに行う。
口上の内容は、「東西、東西、一座たこうはござりましょうがなれど不弁舌なれど口上なもって申し上げたてまつる。さてさて、今晩は当字麻加江初盆供養につき若い者あい集まってほんの踊りのまねかたを致すにつき手とり足どりは揃わねど、奥山千匹猿のごとくぞろぞろ、また夕立雨のごとくばたばたぞろぞろばたばた踊りはあい揃わねど最後までごゆっくりと御観覧のほどを、こい願いあーげたてまつり、さよう口上まで」というものである。(2) 大名行列
男子が中心になって昔の大名行列をまねて、近くの民家(細谷氏)から寺院境内まで行列を行うものである。行列の順序は次のとおり。1.小さい提ちん持ち
2.大きい提ちん持ち
3.棒ふり(棒の先に細長い白紙をつけ、「いーんよーお」と節に合わせて天をつく。)
4.挟み箱(奴姿で小石の入った箱をかつぎ、体をそったり、曲げたりしながら進む。)
5.侍
6.騎馬の大名(紙や竹で作った馬に男の人が入り、大名の仮装をした小学生が乗る。)
7.(別当:べっとう、(馬丁)馬の食べ物を籠に入れてヨタヨタと馬の後方を歩く。)
8.駕籠
9.弓持ち
10.薙刀持ち
11.やり持ち(3) かんこ踊り
踊り手は、白黒の縦縞模様の衣をまとい、腰には、白木綿を巻き、スゲで作られた腰蓑をつけ羯鼓を帯びる。頭には、白地に青の水玉模様の手拭をつけるか、シャグマをかぶる。この踊り手が輪になって踊るのである。輪の中央には、中踊り(一名)がいて太鼓を打つ。中踊りは、踊り全体の指揮者の役割を果たし今年は中学二年生の少年であった。また、中踊りの脇に縁台が置かれ、鉦(一名)、ホラ貝(二名)を鳴らす人が腰を掛けている。この三名は、普段着のままである。中踊りの太鼓の前には、「突風注意、二百十日、祈豊作」と書かれた大うちわが立てられときどきこのうちわが打ちふられていた。音頭とりは、踊りの輪の中に四人ずつ分かれていた。踊りは、初盆の数だけ踊られる。(4) 綾おどり
浴衣姿に花笠をつけた少女たちが、祭壇の前に設けられた台の上に正座し、主として上半身と腕で踊るものである。踊りの筋は、機織りをテーマにした江戸の若者と姫君の恋物語のようである。踊りの後半には、道化た飛び入りがあり、おもしろい所作をする他シャグマを冠った踊り手も入り混じって、最高潮に達する。(5) 精霊おくり
踊りのあと、祭壇の燈籠や提ちんを本堂前の庭で焼却する。今夏(昭和55年)の盆踊りは、大名行列が省略され、念仏踊りが二十人余りの青年によって、綾おどりが九名の女子小中学生によって踊られた。
【引用】 度会町史 P.704〜707 第八編 第四章 町指定文化財のかんこ(羯鼓)踊(麻加江)
(今回、体感した内容は、この度会町史の記述とは異なる部分も多いので比較してみると面白い。)
本堂から境内の入口へと戻ると、新たな造営が進められている観音堂の向かい側にある
カーポートの下には綾おどりで使用される縁台が準備されていた。
また、道路を挟んで慶林寺の向かいにある麻加江公民館の前ではかんこ踊りの衣装の着付けが始まっていた。
白木綿を腰に巻きつける作業は大人ふたりがかり。
いや、三人か?
しっかりと巻くのは大変な作業だ。
ひとり、ふたりと順番に着付けが完成し・・・
大名行列のために慶林寺の境内入口に参加者が整列(度会町史の記述では、近くの民家(細谷氏)から寺院境内までとなっている)。
なお、シャグマを冠った踊り手だけは境内に整列。
(度会町史と同じ内容であったかは記憶にないが)口上が終わると大名行列開始の合図となる花火が打ち上げられた。観音堂の脇から二本が続いて・・・
【大名行列】
大名行列は開始された。(フラッシュは焚かない派なので、ボケボケだが暗さはこんな感じだった。)
順番に境内へ入ると本堂へと向かった。
写真ではなかなか分かりにくいので、動画で少しだけ。体感的にはもう少し明るい。
【動画】 3分03秒( 14.5 MB )
騎馬の大名というよりも馬は列から離れると庭を駆け巡り、子どもと驚かせたり、カメラに目線を送ったり・・・忙しく動き回っていた。
本堂の祭壇にておまいりを終えると行列は本堂前の庭を左回りにゆるり、ゆるりと進んだ。
行列の先頭から、1.小さい提灯、2.大きな提灯、
3.棒ふり、
4.挟み箱、5.侍、
8.駕籠(?)、9.弓持ち、10.薙刀持ち、11.やり持ち と続いていた。なお、9.弓持ち以降は綾おどりを踊る女子が担当していた。
大名行列は本堂前を廻り終えるとかんこ踊りの舞い手のみを残して境内を後にした。
【かんこ踊り】
本堂までの庭では、大名行列に続いてかんこ踊りが始められた。舞い手は輪になって・・・。(度会町史の記述から消去法で考えると最初の踊りは「五所おどり」と考えられるが確認していないのでここでは、単にかんこ踊りと記しておいた。)
【動画】 2分02秒( 9.7 MB )
シャグマを冠り、腰蓑を付けた舞い見るのは初体験だった。独特の雰囲気がある。
輪の中では大うちわが打ち振られていた。
大うちわの担当者が最もたいへん?
全体の雰囲気はこんな感じ。
そして最初の休憩。
お疲れさま!
休憩中も大うちわは大忙し。
休憩を終えるとかんこ踊りが再開された。
【動画】 1分57秒( 9.3 MB )
回転して腰蓑が・・・。
二度目の休憩。
二度目の休憩の後、かんこ踊りが再開されたが
踊りの輪が二重となり、外側は立膝状態となった。
【動画】 22秒( 1.8 MB )
この踊りでは踊り手が自らの場所を移動せずに・・・
三度目の休憩。
【かんこ踊り、念仏おどり】
次に編成が変更された。赤色のタスキ掛けの踊り手(度会町史に記されている「中踊り」と思われる)は輪の中心へ移動すると
太鼓が準備された。シャグマの上部は団扇で整えられていた。
また、本堂の縁には綾おどりを担当する女の子が待機していた。その奥にはその卵である小さな女の子も。
「カンカンカンカンカン」と鉦が鳴らされ、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・もうひと踊り頼みましょう」と掛け声で「中踊り」が太鼓を打ち鳴らし、念仏おどりが開始される。
何度か繰り返すと道化た飛び入りが登場し、本堂の祭壇にてお参りを終えると
踊りの輪に加わった。(この動きは度会町史の記述とは異なる)
道化とともに念仏おどりが繰り返された。
輪の中心、「中踊り」の向かいでは
ホラ貝が吹かれていた。
念仏おどりの動画はこちら、これで全体感を。
【動画】 1分38秒( 7.8 MB )
初盆・・・先祖代々、戦没者・・・に対するすべての踊りを終えると念仏踊りは終了となった。
【綾おどり】
かんこ踊りの踊り手が本堂前を後にすると綾おどりのための縁台が本堂前へと運び込まれた。
一度引き上げた踊り手のなかでシャグマを身につけた踊り手のみが戻ってきた。この姿、視界を確保するためにバチで掻き上げるしぐさ、なかなか「いいね!」。
かんこ踊りと綾おどりの踊り手が対面する配置で準備が完了すると綾おどりが開始された。
(度会町史に記述されているシキ綾おどりと綾おどりが組み合わされて踊られているのか?)
花笠をかぶりタスキ掛けの童女は正座から立膝となると両手に持った綾竹と称する30cmほどの棒を振りながら上半身と腕で踊った。
かんこ踊りと競い合うように・・・
激しい動きで・・・
動画はこちら、
【動画】 1分22秒( 6.5 MB )
綾おどり終了。
【踊り終了後】
綾おどりが終了すると観覧場所からビニール袋と手にした子供が駆けてきた。(おぉ、どうした?)
子供に続いて多数の人々が本堂へと駆け寄った。いったい何が起こっているのか?
しばらく観察していたら、どうもお菓子が配られている様子だった。空き箱を運びだす姿も見られた。
大きな袋を手にする人々が本堂を後にすると雑踏は一段落した。
そして、本堂前には誰もいなくなった。
【精霊おくり】
拝観者が誰もいなくなった慶林寺では、本堂の祭壇に飾られていた燈籠が観音堂の前まで運ばれると火が点けられた。
精霊おくりが開始されるとすでに片付けが開始された。
麻加江公民館の前にはまだ多くの人々の姿があった。
私は観音堂を赤く照らす精霊おくりの
送り火を再度眺めてから慶林寺を後にした。
【参考】 手筒花火とかんこ踊り
- 大念仏行事(手筒花火、かんこ踊り他) – 伊勢市御薗町上條 2013 動画あり 2013年08月14日
- 大念仏行事(手筒花火、かんこ踊り他) – 伊勢市御薗町上條 (2011) 2011年08月14日
- 大念仏行事(手筒花火、かんこ踊り他) – 伊勢市御薗町小林 2011年08月15日
【参考】 赤須賀神明社の鳥居御造替
- 瀧原宮第一鳥居が御下賜された赤須賀神明社の御木曳き祭(桑名市赤須賀) 2015年06月14日