2014年12月13日(土) 御遷座を終えた穂原神社(南伊勢町伊勢路) (車、徒歩)
仙宮神社(南伊勢町河内)から磯部町へ向かう途中にまたまたの寄り道。行きに見かけた穂原神社に立ち寄った。
【参考】
道路の反対側に立つ掲示板には次のお知らせが貼られていた。
お知らせ
年末年始のお祭り
・・・ 大祓い・・・年越祭・・・新年祭
御遷座を終えた最初の年越し祭です。
皆様そろって御参拝ください。
このお知らせを読んで、今年御遷座を終えたことを知った。
鳥居をくぐる前に境内の隅に造替された柱等の用材が置かれていることに気づいた。まずは歩道からパチリ。
さらに近づいてパチリ。土中に建て込まれていた柱の数々。御垣の柱だろう。
歴史が感じられる。
奥の柱は丈の半分ほどが土中に埋まっていたようだ。
御遷座に向けての御造営(御造替)の事実をこの目で確認すると正面へ戻り
鳥居をくぐった。
階段を上ると狛犬の間を通り
左手に建つ手水舎で心身を清めた。
そのまま拝殿へ向かうとお参り。
本殿は御造替され素木が美しく輝いていたが、拝殿は現状維持の状態であった。
拝殿を出て振り返るとそこには先ほどくぐった鳥居。
普通ならこのまま階段を下るのだが、何かに呼び止められたような・・・。それは拝殿右方向の紅葉?
その紅葉に近づくと
造替された御垣を確認することができた。
さらに紅葉に近づくと石段にスロープが掛けられていた。「こちらへ、いらっしゃい!」と誘われていると思い、
私の足は先へと進んでいた。石段の上に立つと右下にこんな案内板が落ちていた。なんと「避難道←」とある。ここは避難道、それにしても案内板が折れて倒れてしまっているとは・・・?
神社に関係はないのかもしれないが、私の足は止まらなかった。手すりに沿って坂道を進むと
鳥獣被害対策の網の扉があった。慎重に開閉してからさらに先へ進んだ。
途中で見下ろすと殿舎が小さく見えた。
階段はさらに続いた。
さらに登ると手すりが切れた先は、津波一次避難場所となっていて、小さな収納庫が設置されていた。さらにその奥には多数の大きな岩が陣取っていた。それにしても先週から大岩に縁がある。巨岩に呼ばれているのだろうか?
この付近から見下ろすとこんな感じ。穂原神社の殿舎はかなり小さく。
しばしこの雰囲気のなかで佇んでから避難道を駆け下りた。
続いては拝殿の左側へ移動した。屋根が設置された建物は何だろう? 祠なのだろうか?
その後、境内を散策して
伊雜宮の宿衛屋の隣に立つ巾着楠のようなクスノキをパチリ。
その正面には「子安の御楠 子授安産 成長出世 この御楠は古くから撫でる信仰があります・・」と案内があった。
伊雜宮にある巾着楠はこちら、
さらに、手水舎の近くに立札があったので
パチリ。ここには「夫婦の御神玉・・・」とある。二又に伸びるオガタマノキ。
手水舎から参道を越えて社務所の方へ向かうと石垣には次の穴に板が立て掛けられていた。
悠久の心のふる里 御遷宮
第六回御造営 平成26年10月穂原神社
さらにその下には、
第六回式年遷宮御奉賛受賜ります
平成二十六年十月十八日本殿遷座祭
平成二十六年十月十九日遷座奉祝祭
穂原神社
と記されていた。こちらを後にする頃になり、初めて御遷座の日が知った。約二ヶ月前。
社務所を確認してから
穂原神社を後にすると前の道路をハイカーは通り過ぎていった。
私は車で磯部町へ向かった。
【 20141213 の記録 】
- 式年遷宮を終え雨儀廊が撤去された倭姫宮
- 「禁殺生」石に導かれて仙宮神社へ(南伊勢町河内)
- 河村瑞賢公園と大仙寺(南伊勢町東宮)
- 御遷座を終えた穂原神社(南伊勢町伊勢路)
- 雨儀廊撤去後に初めてのお参り(伊雜宮)
- 旧殿舎が解体された佐美長神社
- かつて神楽殿があった佐美長神社