2015年08月23日(日) 鳥羽市河内町を訪ねて、河内ダム・棚田跡・山の神・河内神社ほか (車、徒歩)
本日、鳥羽を訪れた理由の一つは河内町の棚田跡を確認するためだった。
以前に歩いた五知道(磯部道)では、朝熊山から五知へと向かう途中にある山伏峠から眺めた風景の中にかすかにではあるが棚田の石垣を確認した。その棚田は第二伊勢道路付近に位置し、いつか訪れたい場所となっていた。
【参考】
- 五知道(磯部岳道)経由で鳥羽へ向かうはずが・・・ 2015年03月22日
- 再チャレンジの五知道(磯部岳道) 2015年03月29日
本日、鳥羽の賀多神社を訪れる予定があったので河内町まですこし足を伸ばした。山伏峠から発見して約半年、温めていた企画を実現する機会となった。
鳥羽市街を抜けて国道167号を走ると近鉄 船津駅の先にある杉ケ瀬橋西交差点で国道を離れた。「丸興山庫蔵寺、彦滝大明神、河内神社」の案内矢印に従って・・・。突き当りを右折するとあとは道なり先へと進んだ。(このルートは何度か車で走り、または歩いたことがある。)
河内神社を過ぎ、丸興山庫蔵寺、彦滝大明神への参道入口も過ぎてさらに先へ進むと前方には第二伊勢道路の河内橋が頭上に迫ってくる。
その時、道路脇に鳥居を発見した。身体が勝手に反応し、車は右側の路肩に停車していた。
鳥居の先には急な階段が続き、
その上には大きな岩の前に小さな祠がまつられていた。どんな神様が・・・? まずはお参り。
階段を下って祠を後にすると道路脇にある田んぼに人影を見つけた。地元の方だろう、祠について訪ねてみよう。
その男性に「高いところからすみません。ちょっと教えてくださ~い!」と声をかけ、先ほどの祠について尋ねるとその方はさまざまなことを教えてくれた。
要約すると
- その祠には山の神さんがまつられていて以前は18歳になると「とうをあげる」といって一人前になった証に鳥居を奉納し多い時には10基以上も立っていた。今は鳥居が傷んだら町の有志が建替えている。
- 高校を卒業してからこの町を離れ、定年後にこちらへ戻り弟と米を作っている。台風の影響を考えて早々に稲刈りを終えた。
- 最近はサルによる被害が大変で、場所によってはシカにもやられる。米作りはなかなか大変だ。
- しばらくするとこの田んぼもダム(建設予定の鳥羽河内ダム)の付替道路になるだろうからいつまで米作りできるか?
- 実は今でもこの川(鳥羽河内川)の上流にはダムがある。
- 先週、ワンボックスカーで訪れた家族がこの近くの川原でバーベキューを楽しんでいたようだが、ゴミはダンボールに詰めて放置してあるし、川には割れたガラスコップが捨てられていた。危険極まりないし、何とも・・・母親らしき人がダンボール箱を抱えていた。サルよりはましだが・・・。
- この時期はマムシが多いので気をつけて! この田んぼでも二度ほど遭遇したが草刈機で真っ二つにした。弟は二回噛まれて大変だった。一回は足を噛まれてとてつもなく腫れ上がった。一ヶ月ほど足を引きずっていた。二回目は指先で、肩まで腫れ上がった。尋常ではなかった。
など・・・、時間も忘れて話し込んで、いや聞き入ってしまった。
マムシの話がやけに印象に残ってしまい、今回の活動は少し控えめになってしまったか? いや、これくらいがちょうどいいんだろう。
その方にお礼を述べてこの場を離れると、車へ戻った。その途中でバーベキュー事件の現場をパチリ。
棚田を求めて車を走らせた。途中で棚田を見かけたが駐車する適当な場所が見つからなかったのでさらに奥へと進むと先ほどの話にでた現在のダム、河内ダムに到着した。
最初はダムだとは思わずに立派な橋だと思い、この上を歩いてみると
途中にこんな小屋状のスペースがあった。
反対側まで行ってから折り返してパチリ。
下流側を望むと最下部から水が流れていた。これでここがダムであることを知ったのだった。
そして、上流側もパチリ。とてもダムとは思えない状況のダムだった。
先ほど見かけた小屋状のスペースにはこのような機械が置かれていた。ゲートを開閉するための装置だろうが、今は動きそうにもない。
スクリューネジが錆びついていた。
ダムの周囲は木々に覆われていて全貌を把握することはできなかったが、
木々の間からのその一部をパチリ。道路の下の部分から溢れた水が流れるようになっていた。
帰宅後に調べたところ、このダムは洪水調節、農地防災用で通常は水が溜まっていないそうだ。(写真の通り)
【参考】
ダムの付近でUターンできたので来た道を戻る途中で、先ほど渡った橋を渡るまでにパチリ。
結局、第二伊勢道路河内橋の橋脚付近にある広場まで戻って来た。ここに駐車して歩くことにしたのだった。
先ほど車で走った道を歩くとまた風景が異なる。この石垣は
「第二伊勢道路 開通記念ウォーク」にて河内橋から見下ろした場所だった。
【参考】
- 第二伊勢道路 開通記念ウォーク 2013年09月07日
その石垣にはこの看板が置かれていた。
さらに近くにある掲示板には、「鳥羽河内ダム事業に伴う付替道路計画のための測量のお願い」の掲示が貼られていた。作業期間は平成28年3月まで。
【参考】
さらに上流方向へと進むと
岩盤が削られた壁、
その先左手には鳥羽河内川に橋がかかり、田んぼが広がっていた。現在ではこの辺りが鳥羽河内川の最上流部での田んぼとのこと。
巨石を右手に見ながらさらに進むと
その先には棚田の跡が広がっていた。
さらにその奥にも、まさにこの場所が山伏峠から見下ろした場所だった。
この近くには先ほど車で走った道と川へと下る道の分岐となっていた。
左の道を進むと先ほど車で渡った橋の下へたどり着いた。
この橋の下には巨石があり、巨石の上には木の枝などが残されていた。川の水はこの高さまで嵩を増すのだろう。
先ほどの棚田跡まで戻ってパチリ。
この場所は確かに山伏峠から見下ろした棚田跡だったが、帰宅後に調べたところもっと規模の大きな棚田跡があるようだった。新しいダムができてしまう前に訪れてみなくては!
先ほどの巨岩の上に付けられた坂道を上ったところからパチリ。
棚田跡から車まで戻ってくる途中で、こんな石に呼び止められてしまった。よく見るとどこかで見たような・・・
これは以前に仙宮神社にて見た猿田彦命の体現?
【参考】
- 先週に続き再訪の仙宮神社、猿田彦命の体現(南伊勢町河内) 2014年12月21日
山の神付近まで戻ると続いては河内神社へと向かった。(来た道を戻った。)
その途中で、稲刈り作業をパチリ。
さらに、河内神社付近でも
稲刈り作業をパチリ。
そしてこちらが河内神社。鳥居の右手には説明板が新設されていた。
タイトルは「河内神社に祀られている神々」。
鳥居をくぐり急な階段を上り詰めると
視界がぱっと開ける。
さらに石段を上り、拝殿にてお参り。
久しぶりに河内神社へのお参りを終えると
再訪を心に誓い河内町を後にした。
この後、鳥羽市街へと戻った。
【 20150823 の記録 】
- 御造替された?志等美神社・大河内神社(共に豊受大神宮摂社)と上社の駐車場
- 御新遷に向けた本殿の御造営 #3(松下社)
- 鳥羽市河内町を訪ねて、河内ダム・棚田跡・山の神・河内神社ほか
- 近鉄てくてくまっぷ鳥羽三山・赤崎神社コース(日和山省略ルート)
→ 式年遷宮の準備が進められる賀多神社(鳥羽市鳥羽)
→ 賀多神社の式年遷宮、お木曳工程と順路(鳥羽市)の確認
→ 金刀比羅宮鳥羽分社、樋の山(鳥羽市)
こんにちは。突然のコメント失礼いたします。
画像の集落(地元では”おく”と呼ばれるエリアです)に小学校高学年まで住んでいた者です。
中々Web上で河内の写真を見るなんてことは珍しく、思わずコメントを残させて頂きました。
現在は入れないと聞いておりますが、こちらのページの画像の橋の下の大きな岩を過ぎ、さらに進んだ辺りだったと思いますが、小さなダム状の建造物があったはずです。そのダム状の物の下に、建設した際のお遊びなのか、はたまた本当なのか解りませんが、地元で”おんじんの足跡”と呼ばれる、大きな足跡が残っています。(かれこれ30年近く前の記憶なのでうろ覚えですが…)
また、ダムよりも更に奥に進んだところに棚田の跡もまだ残っているかと思います。(実家の田んぼがありました!)
もしまた河内に行かれる機会がありましたら、良かったら見に行ってみてください。詳細な場所は地元の60歳以上の方でしたらはっきりとわかるはずです。
赤崎祭りや青の峰山、岩倉の神社等、子供のころよく遊んだり行った事のあるエリアの写真を沢山拝見できて、懐かしく、とても嬉しく思いました。
これからもちょくちょくお邪魔させて頂きたいと思います。
takaetchiさん、こんばんは、
コメントありがとうございます。また、コメントの承認が遅れ申し訳なく思っています。
子供の頃のお話を読ませていただき当時の「おく」の様子が思い描けました。
「おんじんの足跡」についてですが先にマムシの話を聞いてしまい橋をくぐった先へは足を踏み入れることができませんでした。これから涼しくなりますのでダムよりの更に奥にある棚田とも合わせて訪れてみたいと思っています。また、ご報告します。ちょくちょくお越しください。
では、また、