2016年07月10日(日) 「古文書の会」のフィールドワーク、ブラッチェise ミニツアー パイロット版 宮後〜河崎1丁目(副題:伊勢山田廃寺編) (徒歩)
本日は第二日曜日なので河邊七種神社(伊勢市河崎)の社務所で「古文書の会」が開催される予定だったが、17日に実施される河崎天王祭の準備で社務所も使用するため古文書の整理作業は中止となった。8月はお休みの予定だったので、次回(9月11日)まで間隔が空き過ぎてしまうため、急遽フィールドワークが実施されることとなった。
前回のフィールドワークは「古文書の会」代表である東出さんのガイドにより河崎環濠痕跡等を巡った。
【参考】
- 河崎環濠痕跡巡りツアー(伊勢市河崎) 2016年06月18日
今回は千枝さん(中京大学 学芸員)が伊勢で展開するためにパイロット版を試行している「ブラッチェise」の ミニツアー が実施されることになった。
過去に実施されたブラッチェise ミニツアー パイロット版はこんな感じ。
【参考】
- ブラッチェiseミニツアー パイロット版(宮川堤〜筋向橋) 2016年06月19日
- ブラッチェiseミニツアー パイロット版 勢田川トレイル〜中流域編〜 1日目 2016年06月25日
- ブラッチェiseミニツアー パイロット版 勢田川トレイル〜中流域編〜 2日目 2016年06月26日
今回は「ブラッチェise ミニツアー パイロット版 宮後〜河崎1丁目(副題:伊勢山田廃寺編)」となり、予定ルートは次の通りだった。
氏社(河邊七種神社) → 川崎惣堀(河崎環濠痕跡) → 朧ノ池 → 無量寺跡等 → 養草寺(越坂寺町) → 辻ノ町 → 鍛冶屋垣外(元桜堂橋付近) → 宮後領川辺 → 墓域 → 中寺町 → 不動院 → 南町庚申 → 榎本三右衛門家等 → 岡村長四郎家等 → 村田仙右衛門家等 → 大西忠兵衛家等 → 魚市場跡 → 氏神
今回もパイロット版なので、正式版に対するネタばらしとならないように概要とトピックスのみを紹介する。
【氏社(河邊七種神社)】
午後1時30分に集合。参加者は20名ほどだった。
河邊七種神社の参道にて挨拶と本日の概説を終えるとまずは
【川崎惣堀(河崎環濠痕跡)】
河邊七種神社の石垣の回りに残された環濠跡の上を道なりに進むと車道へ出た。そして右へ・・・(河崎環濠痕跡については先に紹介したリンク 河崎環濠痕跡巡りツアー(伊勢市河崎) 2016年06月18日を参照)。
藪之世古(左は有緝小学校付近の環濠跡、右は河崎本通り)と直交して進むと廣峰神社旧跡にたどり着く。
【廣峰神社旧跡】
先日訪れた時は草だらけだったが、今は防草シートが敷かれその上には砕石が並べられていた。
整備された敷地の奥、注連縄が張られ小社が置かれている場所のみで地面が露出していた。なおこちらの旧跡では河邊七種神社の遷座祭にて川原大祓が執り行われた。
【参考】 その時の様子はこちら
- 河邊七種神社の御神遷(伊勢市河崎) 2015年11月07日
【伊勢河崎商人館 サイダー濾過塔】
廣峰神社旧跡を後にすると伊勢河崎商人館の裏(?)門に突き当たる。前方に国の登録有形文化財であるサイダー濾過施設(塔)を望むとここで左折。
【河崎から船江へ】
道なりに進むと再び河崎環濠痕跡と直交した。
地名が河崎から船江へと変わると次の十字路を左折。
前方に見える 船江交差点で八間道路を横断した。
【右手に朧ヶ池のある船江上社の社叢を見ながら無量寺跡方向へ】
右手方向、建物越しに朧ヶ池がある船江上社の社叢を見ながら進むとこの丁字路で左折。
昔ながらに湾曲したこの道を道なりに右方向へ・・・
【信行院跡付近】
ここで古地図(越坂町細図 文化五年改正)が登場。前方に見える赤い屋根の家の付近に信行院があったそうだ。
【無量寺跡付近】
さらに道なりに進むと直進が突き当たる手前の左手に小公園があり、
古地図によればここが無量寺跡だった。この付近は越坂寺町とされ、寛文の大火を機に神領から多数の寺院がこの場所へも移されたとのこと。(当時の山田奉行の意向により?)
公園から南方向へ進むと右手に養草寺の裏門へ通じていた小道を見つけたが今は墓地のブロック塀となっていた。
広い道路へ出ると右方向へ。
【宮後町墓地】
養草寺に隣接する宮後町墓地へ入ると著名な墓所を数カ所めぐりお参りした。
【御師 蔵田家の墓石】
こちらは旧御師 蔵田家の墓所で、本家は途絶えてしまい山田(伊勢)に末裔は不在だが、分家が米沢にあり系図も残されているそうだ。米沢の蔵田家より山田の墓所を探すよう依頼を受けた千枝さんが数年をかけて見つけたのがこちらだったそうだ。(詳細については次回のブラッチェiseに参加して確認してください。興味深い話が聞けます。)
【桜堂天満宮、家守稲荷大明神】
宮後町墓地を後にすると養草寺に隣接するお堂にて・・・。
この天満宮の名前がなぜ「桜堂」であるのかが明らかになった。それは、以前別の場所にあった(後述)養草寺の庭には立派な桜の木があり、「桜堂」は養草寺の別称であった。
次はお稲荷さんの名前「家守」の謂れを知りたくなった。
【養草寺(越坂寺町)】
現在の養草寺は寛文の大火後に越坂寺町へ移設させられた寺院のなかで唯一現存するお寺。
養草寺付近の交差点で横断歩道を渡るとチャンスセンター付近が正覺寺跡。
【辻ノ町】
横断歩道を渡り終えてから伊勢市駅方向へさらに進むとこの十字路が「辻ノ町」。
この番地付近だ。
【鍛冶屋垣外へ】
伊勢うどん まめやを過ぎてこの路地、宮林金庫店と理容店小倉の間へ
進むと
【鍛冶屋垣外】
すぐに右へ曲がった。
【鍛冶屋垣外(元桜堂橋付近)】
この路地も鍛冶屋垣外(カジヤガイト)で、寛文の大火以前の古地図によればこの周辺にカジヤガイトが多数存在していた。なぜカジヤガイトと呼ばれるのか、多数の鍛冶屋がひしめきあっていたから、それとも忌鍛冶内人が住んでいたから?
そして、この通りの先は線路であり、その下には清川の流れが有る。寛文の大火以前にはこの付近に養草寺が建ち、その庭には立派な桜の木がそびえていた。そのために養草寺は桜堂とも別称され、この先に架かっていた橋は桜堂橋と・・・。
そう言えば、近くにあるJRの踏切の名前は「桜新道踏切」だ。
おお、少しネタばらしを過ぎたようだ。この後は軽く流そう。
【鍛冶屋垣外から川辺公園へ】
途中で左折、さらに左折すると民家の間をすり抜けるようにして
【宮後領川辺】
たどり着いたのは川辺公園だった。以前のツアーで何度も訪れた。
強い日差しを浴びながらの巡りだったので、しばし木陰で休憩しながら
千枝さんによる説明、「伊勢新名所歌合に登場する河辺里は河崎だと言われるが実はこの場所では・・・」。
【墓域】
川辺公園を後にすると伊勢市駅方向へ・・・、途中に墓地がある。この場所はこの地の盛衰を物語っているのか・・。
【伊勢市駅北口】
伊勢市駅の北口へ向かうとその前の道路を
右方向へ進むと
【國学者足代弘訓翁墳墓地】
こちらが國学者足代弘訓翁墳墓地だ。何度もこの前を歩いていたが通過点だったのだろう、気付かなかった。
来た道を引き返すと
【清川(伊勢市駅北口付近)】
駐輪場に惹き止められた。それは自転車ではなく、その下の部分、
自転車が置かれた鋼板の下を流れる清川にだった。この流れが勢田川へと通じている。いつか宮川から勢田川まで清川の流れを追いかけよう。(また、豊川も)
今回のツアーとは関係の無い思いを抱きながら佇んでいたら
【中寺町、中寺前公園】
皆さんから遅れてしまったので、急ぎ足で中寺前公園へ向かった。
今回のツアーは公園めぐり、それは寺院跡めぐりのようなものだった。この公園の名前はまさにそのことを物語っていた。「中寺前公園」、ここでは古地図「中寺町寺院細図 文化五年十一月改」にて説明。
木陰での休憩、説明を終えると公園内を横切って
八間道路へ向かった。
【ファミリーマート 伊勢河崎店】
八間道路に面したファミリーマート 伊勢河崎店の脇を進むと
【御屋敷稲荷】
まずは御屋敷稲荷。
【不動院】
続いて不動院を訪れた。今回はサプライズだった。前日に千枝さんが下見で巡っていると不動院を管理している方と出会い、急遽拝観させていただけることになっていたのだった。
お参りさせていただくとともに十分に休憩させていただいた。また、お茶まで・・・(感謝)
(写真撮影はOKとのことだったので紹介)
なお、こちらは瓦師 中西甚兵衛作の銘がある三宝荒神。
その説明が新聞記事として壁に貼られていた。
【結城宗広旧跡】
不動院を後にすると先日のブラッチェiseで途中まで行って引き返した石垣の奥へ向かった。こちらは東出さんがぜひともと案内してくれた場所で、
案内されなければなかなか訪れ機会が無い場所だった。
しかしながら、その場所にたどり着くと
立派な説明板が立てられていた。
そこには「伝 結城宗広(ゆうきむねひろ)旧跡」とあった。
伝 結城宗広(ゆうきむねひろ)旧跡
所在 伊勢市吹上2丁目一本木(いっぽうぎ)南北朝時代、南朝方の武将であった結城宗広(1266〜1339)は、戦に敗北しつつも再び勝利を期して、延元三年(1338)、大湊から奥州へ向けて船出しますが、途中暴風雨に遭い、伊勢に吹き戻されて病死しました。
流布本『太平記』では、宗広は安濃津(あのつ:津市)に漂着し、この地で没したとありますが、宗広夫人の書状(国重要文化財 光明寺所有)から推測すると、吹上で没したと考えられ、吹上から移転した光明寺(岩渕三丁目)には、宗広の供養塔(市有形文化財)が現存します。
当地は地元で宗広の旧跡と伝わる場所で、数基の石造物が確認できます。刻銘や形態から、いずれも宗広より後世のものと認められますが、天文六年(1537)銘の五輪塔は市内でも古いものです。平成28年3月 伊勢市教育委員会
この説明板は最近立てられたモノだが、いったい誰がここを訪れるのだろう。教育委員会はこれからこの場所をアピールするのだろうか? 今回は東出さんの案内があったからあのアプローチに足を踏み入れることができたのだった。(千枝さんもこの場所は知らなかったとのことだった。)
数基の石造物はこちら。
【河崎本通り】
結城宗広旧跡から河崎本通りへたどり着くと北上した。
こちらは庚申堂。(「これぞ環濠」と言える環濠を見たことがない人だけ近くの環濠を見学)
さらに、説明のために立ち止まり、立ち止まり・・・
こちらは東出さんのお店と隣、勢田川へと続く石畳。往時は船から船への荷運びに利用されていたものだろう。
・・・
最後に和具屋さんを見学。
お宝満載だ。
【氏社(河邊七種神社)】
やっと河邊七種神社へ戻ってくると「ブラッチェise」は終了となった。午後4時半頃、約3時間のツアーで、今回も話題満載、発見多数の中身の濃いツアーとなった。皆さん、お疲れ様でした。
フィールドワークは楽しい!