2016年09月25日(日) 自宅から古市街道を通って宇治神社まで (徒歩)
何とか天候が回復しそうな気配があったので、今日は【キタヰの妻】と歩くことにした。この週末にはまだ訪れていない宇治神社にお参りすることと内宮の参集殿にて奉納される伊勢の木遣りを体感することを目的に内宮を目指した。
八間道路を進むと桧尻川を渡り、
こんなバス停をパチリ。船江新道、旧道は何処に?
その後、河崎の交差点を左折すると二見街道へ出た。二見街道でJR参宮線をくぐる際に気になったので
こちらをパチリ。高架とは橋の名はなく、「一与坊」と記されている。
線路をくぐるとその先、右側には寝起松公民館がある。
寝起松の名を見ると神社を思い出した。御塩道から少し外れた場所にまつられている。
【参考】 御塩道ウォーク2016 2016年07月18日
さらに先へ進むと二見街道は御幸道路にたどり着く。ここが
[二見街道入口]交差点。ここを左折して道なりに進めば内宮へたどり着くのだが、今日はここを直進することにした。
墓地を右手に見ながら道なりに坂道を進むと、登りつめた付近では左方向に再現された掘立柱建物が望める。
ここは隠岡遺跡公園、草刈り作業中だった。
【参考】
- 隠岡(かくれがおか)遺跡の藤棚 (伊勢市倭町) 2013年04月20日
階段を駆け上がり公園の反対側へ進むとこんなパノラマが開けている。ここから望むと社叢が多いことに築く。あそこは・・・、ここは・・・
隠岡遺跡公園を後にして先へ進むと左方向からの上り坂に突き当たる。その丁字路で左方向を望むと・・・
車道から分かれる小道(参道)の入口付近には次の石標が立つ。「倭姫命御陵」
小道を進み行き過ぎてから振り返ると
ここが宇治山田陵墓参考地(倭姫命御陵)。
石階を進むと違和感を感じた。この場所にあった立札が?
宇治山田陵墓参考地(倭姫命御陵伝承地)
【参考】 宇治山田陵墓参考地(倭姫命御陵) (伊勢市倭町) 2013年04月20日
と思ったら、立札は根元から折れコンクリート柵の隅に立て掛けられていた。
倭姫命御陵前の坂道に戻ると坂を上る方向へ・・・、坂を上り切ると古市街道に合流する。合流した地点の右側は間の山(尾部坂)だ。
間の山(尾部坂)を背にして古市街道を進むとテニスコート前のバス停にたどり着く。この「バスのりば」の英語?、ローマ字?表記が面白い。「Tennis Court-mae」
さらに進むと備前屋跡の石標。
左手にこんな懐かしい、いや懐かしいよりも前の看板だ。牛乳石鹸は大丈夫だが、米の母は?
そして古市のバス停。
その近くには古市芝居跡の石標。
JP 伊勢古市郵便局の近くには油屋騒動の主人公である遊女お紺と孫福斉の比翼塚がまつられている大林寺があるのだが、今日は立ち寄らずに通り過ぎた。
近鉄鳥羽線に架かる高架の手前に右側には、その騒動の舞台となった
油屋跡の石標が建っている。
近鉄を越えると左手に長峯神社(伊勢市中之町)。
この先で左へ入れば麻吉だが、今日は立ち寄らずに直進。
【参考】
- 麻吉(旅館)と道標 2011年10月16日
右手にある掲示板には参宮道旧旅館の写真が並べられている。
その向かい側には寂照寺。
山門から望む鳥居に神仏習合を感じることができる。
また、寂照寺の向かいには最近よくTVで太巻きが紹介されているすし吉。
未だ妻入りの建物もちらほらと残される通りを先へ進むと
こちらは伊勢古市参宮街道資料館。今は常設展示のみだったのでこちらも通過。
交差点から振り返ってパチリ。この場所は伊勢自動車の上だ。
なお、この交差点にはこんなスペースが準備されているが、使われたことは有るのだろうか?
BUS STOP 三条前 三重交通の近くには、次の道標が建っている。「月よみの宮さんけい道」
車が対向できない場所もある狭い道を抜けるとBUS STOP 桜木町 三重交通。
この先で一気に坂を下る。ここは牛谷坂で、お白石持行事の時にはお白石を積んだ奉曳車が駆け下りた。
【参考】
- お白石持行事 古市からの内宮奉献(7/28) 2013年07月28日
- お白石持行事 古市からの内宮奉献(8/10) 動画あり 2013年08月10日
牛谷坂を下るとその途中でこの幟を見かけた。それはこれから訪れようとしている宇治神社の御神遷を奉祝するものだ。
牛谷坂の下ると猿田彦神社の境内を通り抜けた。その時、上空からは「バタバタバタ・・・」と大きな音が響いてきた。自衛隊のヘリコプターが飛び去って行った。
宇治浦田町交差点で国道23号に合流すると宇治橋方向へ道なりに進んだ。すると宇治橋前付近でこの看板を見かけることができる。ここが国道23号の終点となる。終点を通り過ぎてさらに進むと
内宮A2駐車場を通り過ぎた。振り返ってパチリ。バスで満車だ。
駐車場を後にして辿り着いたのが宇治神社。本日の目的地のひとつ。
牛谷坂、懐かしいですね。
伊勢高校時代には
毎週、校内マラソンで
あえぎながら走っていました
たかっち
伊勢高は厳しいマラソンで有名でしたから・・・
私はゆるーく山校でした。