橘神社から向山を探しての寄り道(伊勢市黒瀬町)

2015年07月18日(土) 橘神社から向山を探しての寄り道(伊勢市黒瀬町) (徒歩)

御塩道ウォーク にて橘神社(伊勢市黒瀬町)に立ち寄った。橘神社はかつて御塩(堅塩)が人の手により運ばれた際、御塩殿神社にある御塩殿から外宮斎館へ経路の中で唯一休憩、御塩が入った辛櫃を下ろせた場所だと聞く。ただし辛櫃を下ろせる場所は特別な区画だったのだろう。

その当時を想像しながら私も橘神社で休憩しようかとも思ったが、先日のことが思い出され頭から離れなくなった。それは「向山」の件だった。

【参考】

 

新たに設置されていた説明板(橘神社)

新たに設置されていた説明板(橘神社)

 

八幡宮
祭神 応神天皇 黒瀬町の八幡宮は、阿弥陀寺境内の八幡大神をお祭したため名前をいただいたとのこと。御鎮座年代が史実の記載が無く詳しくは解らないが、寛永三年(西暦1626年)の手水石が現存することから、江戸時代の初期には、向山の地に鎮座していたものと思われる。

勝廣稲荷神社
祭神 倉稲魂神(うめのみたましん) 五穀豊穣・商売繁盛の神として信仰されている。ご鎮座年代は不明である、向山の頂上近く現(伊勢学園高校の敷地に)鎮座していたが、諸般の事情により、平成六年橘神社境内の池を埋立移転された。

天王社
疫病等から守ってくれる神だと言われている、ご鎮座年代は不明である。向山の裾に鎮座していたが、諸般の事情により平成二十七年橘神社境内に移転した。

【参考】 新たに設置されていた橘神社の説明板(伊勢市黒瀬町)  2015年07月14日

この説明板には「橘神社の隣に新たにまつられるようになった天王社、さらに八幡宮、勝廣稲荷神社は向山の麓および山頂に鎮座していた」と記されている。

 

三社ともに向山に関係している。こうなると向山はどこなのか知りたくなる。単純に向かいにある山のことを「向山」と言っているのか、それとも呼称が「向山」なのか、この説明板を書いた方に聞くのが手っ取り早い方法なのだろうが、私は足と時間で解決させるタイプなのでまずは橘神社の向かいに見える小山へと寄り道することにした。そのため、休憩どころではなくなったのだった。

 

橘神社を背にしてこの道を進むと

橘神社から南方向へ(伊勢市黒瀬町)

橘神社から南方向へ(伊勢市黒瀬町)

 

道幅は途中で極端に狭くなる。

橘神社から南方向へ(伊勢市黒瀬町)

橘神社から南方向へ(伊勢市黒瀬町)

 

道なりに進むとJR参宮線の

JR参宮線 伊勢市 五十鈴ケ丘間 西川架道橋

JR参宮線 伊勢市 五十鈴ケ丘間 西川架道橋

 

伊勢市 五十鈴ケ丘間 西川架道橋にたどり着いた。線路の向こう側に小山がある。

JR参宮線 伊勢市 五十鈴ケ丘間 西川架道橋

JR参宮線 伊勢市 五十鈴ケ丘間 西川架道橋

 

架道橋をくぐるとすぐ左手に鳥居が建っていた。さらに鳥居の左側には

黒瀬八幡宮(伊勢市黒瀬町)

黒瀬八幡宮(伊勢市黒瀬町)

 

まだ新しい昭和50年3月建立の社号標があり、なんとその表には「黒瀬八幡宮」と刻されていた。黒瀬の八幡宮?、橘神社におまつりされている八幡宮と同じ?

黒瀬八幡宮の社号標

黒瀬八幡宮の社号標

 

解決の糸口が見つかるかと思い鳥居をくぐると階段の参道を進んだ。その先には新しい社殿が目に入った。

黒瀬八幡宮(伊勢市黒瀬町)

黒瀬八幡宮(伊勢市黒瀬町)

 

こちらには諏訪神社、黒瀬八幡宮、春日神社がまつられていて、中央の社殿が八幡宮で

諏訪神社、黒瀬八幡宮、春日神社(伊勢市黒瀬町)

諏訪神社、黒瀬八幡宮、春日神社(伊勢市黒瀬町)

 

右側には春日神社、

春日神社(黒瀬八幡宮)

春日神社(黒瀬八幡宮)

 

左側には諏訪神社と刻された石が置かれていた。

諏訪神社(黒瀬八幡宮)

諏訪神社(黒瀬八幡宮)

 

神社の先にも小径が続いていたのでさらに上ると

黒瀬八幡宮からさらに山を登って(伊勢市黒瀬町)

黒瀬八幡宮からさらに山を登って(伊勢市黒瀬町)

 

そこは行き止まりとなっていた。この場所には見覚えがあった。以前、いせトピア側から散策してこの場所に至ったことがあった。

黒瀬八幡宮からさらに山を登って(伊勢市黒瀬町)

黒瀬八幡宮からさらに山を登って(伊勢市黒瀬町)

 

八幡宮の社殿付近へと戻ると手水所には平成26年1月元旦と記された手ぬぐいが掛けられていた。

黒瀬八幡宮(伊勢市黒瀬町)

黒瀬八幡宮(伊勢市黒瀬町)

 

また、手水石の正面には「月待講中」、

月待講中と刻された手水石(黒瀬八幡宮)

月待講中と刻された手水石(黒瀬八幡宮)

 

さらに側面には「寛延三庚午年」(1750年)と刻されていた。

寛延三庚午年と刻された手水石(黒瀬八幡宮)

寛延三庚午年と刻された手水石(黒瀬八幡宮)

 

先の説明板には、八幡宮が次のように記されている。

八幡宮
祭神 応神天皇 黒瀬町の八幡宮は、阿弥陀寺境内の八幡大神をお祭したため名前をいただいたとのこと。御鎮座年代が史実の記載が無く詳しくは解らないが、寛永三年(西暦1626年)の手水石が現存することから、江戸時代の初期には、向山の地に鎮座していたものと思われる。

ここには寛永三年とあるが、寛延三年を読み誤ったとすると手水社が現存する黒瀬の八幡宮はこの場所と符合する。

 

この説明板が橘神社にあり、橘神社御遷座の際に設置された仮殿にも八幡社(宮?)の名があったためてっきり、八幡宮は橘神社の社域にまつられているとばかり思っていた。

橘神社(伊勢市黒瀬町)

橘神社(伊勢市黒瀬町)

【参考】 昼休みウォーキングコースの神社に初参り 2015年01月02日

 

こちらの社殿も新しくなっているのは、橘神社の御遷座に合わせて造替されたとすると合点がいく。その際の仮殿が橘神社の仮殿を共用したと・・・、実に面白い。

現在の黒瀬八幡宮がこの場所にあるとすると「寛永三年(西暦1626年)の手水石が現存することから、江戸時代の初期には、向山の地に鎮座していたものと思われる。」の記述からこの場所が「向山」であると考えられる。さらに、勝廣稲荷神社は「向山の頂上近く現(伊勢学園高校の敷地に)鎮座していた」との記述から向山は割と広い範囲にあった。今の姿からは想像できない規模だったのだろう。

ところで、天王社は向山のどこに鎮座していたのか、一番知りたかったことだけが謎のままだった。足と時間が解決してくれるか?

黒瀬八幡社の別の階段を下ると

黒瀬八幡宮(伊勢市黒瀬町)

黒瀬八幡宮(伊勢市黒瀬町)

 

西川架道橋をくぐり返し

JR参宮線 伊勢市 五十鈴ケ丘間 西川架道橋付近

JR参宮線 伊勢市 五十鈴ケ丘間 西川架道橋付近

 

休憩地点である橘神社へ戻った。その途中で、天王社に思いを馳せて向山を振り返った。

黒瀬八幡宮がまつられている山の遠望(伊勢市黒瀬町)

黒瀬八幡宮がまつられている山の遠望(伊勢市黒瀬町)

 

有意義な寄り道となった。疲れも吹き飛び、御塩道ウォークを続けた。

 

【 20150718 の記録 】

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です