2015年02月08日(日) 水屋神社と櫛田川(飯高町赤桶) (車、徒歩)
松阪市飯高町赤桶に鎮座する水屋神社。前回訪れた時には本遷宮に向けて御造営中の本殿を拝観する機会を得た。
【参考】
- 本遷宮の準備が進められる水屋神社(松阪市飯高町赤桶) 2013年11月16日
本遷宮を拝観したいと思っていたがそれは叶わずに時が過ぎた頃、昨年の8月に知人から久保宮司逝去の報を受けた。信念と行動力の方だと伺っていたのでぜひお会いしたいと思っていたのだったがそれも叶わなかった。あれから約半年が経過、さまざまな思いを胸に水屋神社を訪れる機会を得た。
国道166号を走り、道の駅「飯高駅」を過ぎると道路の左側に
大きな赤い桶が現れ、
水屋神社はこの大きな赤い桶の向かい側に鎮座している。
社務所の脇に立てられた説明板を確認すると
水屋神社縁起
創建 千余年前、大和の春日大社の安住所として天児屋根命を奉斎す。その後大化四年(648)奈良の三笠山から素盞鳴尊、龍神姫尊及び櫛稲田姫尊を勧請す。和銅三年(710)興福寺東門院領「閼伽桶の庄」となり慶長五年(1600)関ヶ原合戦以降伊勢領となる。
当社に遺る南北朝時代文中二年(1373)の棟札にも大和州閼伽桶庄宮としるされており三殿並立の朱塗の春日造も明治二十五年現在の神名造に改められた。
閼伽桶の井とお水祭り 清和天皇貞観元年(859)十一月九日、春日大社に水送りし正月暦を刷ったと伝う。諸病平癒、諸願成就、水商売繁盛の霊水なり。現在は七月三十一日祇園宵宮に水みこしが本社に渡御する。
水屋の大楠 神木にして天然記念物、樹齢千年以上、根廻り二十九メートル樹高三十五メートル春日さま、お稲荷さまを祀る。
礫石の伝説 当社裏の香肌峡六百メートル下流に石灰岩の巨岩があり礫石と呼ぶ。左岸の上の古道に歌碑あり、弘化四年(1847)大庄屋、滝野知雄が、「流れてはむかしに帰る川俣川礫岩うつ水の白浪」と刻み、往古和歌山街道を往来する旅人はこの石に礫を投げ、一度で当たれば男児出産するとて旅情を慰めた。伝説は昔お伊勢さまが白馬に乗って珍らし峠にさしかかられ水屋の森から鹿にまたがった春日さまが出迎えた。二神は伊勢と大和の国境を決めるため笹舟を浮かばせ、巨石を投げ笹舟の留まる処を境とした。
これ以降高見山が両国の境になったという。
宮家の御信仰 一品京極宮家仁親王の胡佐の宮誕生報恩の令旨が奉納されている。
本居宣長の歌碑 当社の西方二百メートル赤桶橋たもとに建つ
いにしへにたがおこなひしなごりとて名にはおひけん閼伽桶の里
とある。
また、その隣には「伊勢と大和の国分け伝説と礫(つぶて)石のいわれ」説明板。(これも礫石の伝説の説明)
参道の右側に社号標。
左側の手水舎で心身を清めた。手水石に近づくと龍の口から御水が自動的に注がれる。
鳥居をくぐるとその正面に位置する拝殿へ向かい、
まずはお参り。
本殿はあの時の輝きを保っていた。
【参考】 本遷宮の準備が進められる水屋神社(松阪市飯高町赤桶) 2013年11月16日
お参りを終えると境内に立ち並ぶ巨木を巡った。「夫婦杉」
クスとスギが一体化した「楠椙和合の樹」
さらには、「水屋の大榊」
こちらは表皮が珍しい模様となっている春日大社の鹿にゆかりがある「鹿子(カゴ)」
こちらは樹木ではないが、御垣の外側にある「水屋の波動水 波動水の発祥地」なる立札。蛇口からでるの?
最後は三重県指定天然記念物である「水屋の大楠」
その脇には、「水屋の翁と国わけ伝説」の説明板、
さらには次の立札が建っている。
大楠社
春日大明神(天児屋根命)
稲荷大明神(宇迦之御魂神)
この神祠にはこの里の祖神でございます春日さまがお祀りしてございます。このお社は古く大和の春日大社の行在所として創建されたからでございます。
併せまして京都の伏見稲荷さまが祀られてございます。当神社にはご分霊奉斎の次の文書が残されております。
・・・
大楠社にお参り。
大楠の裏側へ回り込むと
小道が続き、その先には赤い鳥居が建っていた。鳥居の前で振り返るとパチリ。なお、鳥居は櫛田川に面している。
鳥居をくぐるとその先には美しいエメラルドグリーンの川面が望めた。
足元に注意しながら川辺へ下るとパチリ。
こちらは上流側、
そしてこちらが下流側。先に紹介した説明によると六百メートル先には礫石があるはずだ。
この場所から礫石を見ることはできなかったが、次の記録にて確認できる。
【参考】
- 珍布峠(めずらしとうげ)ウォーキング 2012年05月20日
久しぶりの訪れた水屋神社、また訪れよう!
【 20150208 の記録 】
- 水屋神社と櫛田川(飯高町赤桶)
- 大師堂の修復工事を終えた丹生大師 神宮寺(多気町丹生)
- 丹生神社、御扉が開いていた?(多気町丹生)
- 弥生に御遷座を迎える佐那神社(多気町仁田)