2016年04月30日(土) 春季神楽祭 神宮舞楽(内宮神苑特設舞台) (車、徒歩)
本日はさまざまな寄り道を繰り返してから、やっと内宮へたどり着いた。それは内宮神苑特設舞台で執り行われる春季神楽祭 神宮舞楽を拝観するためだった。(11時開始)
10時45分ごろに神苑特設舞台前に到着すると
舞台の前には多数の人が待機していた。
その後ろ側、参道先では本日の神楽舞台解説が配布されていた。
定刻が近づくと
楽師、舞人、舞女が登場した。
特設舞台の奥へ
楽師が着座すると解説の放送の後、神宮舞楽が開始された。
今回の演目は次の通り。
- 振鉾(えんぶ)
- 打球楽(たぎゅうらく)
- 胡蝶(こちょう)
- 長慶子(長慶子)
【 振鉾(えんぶ) 】
舞楽にあたり初めに奏されます。
振鉾は古代中国の故事に由来し、左方と右方の舞人が鉾を振り天地を鎮め安んじて、天下太平を言祝ぐめでたい舞楽です。
鉾で天地を厭(はら)うことから「厭舞(えんぶ)」と称されたものが、鉾を振ることから「振鉾」の字を充てるようになったと思われます。転じて舞台を祓い清める舞楽とされております。
舞人は襲装束(かさねしょうぞく)という出立で、左方は赤の袍(ほう)に金色の鉾、右方は緑の袍に銀色の鉾を執って舞います。※「平成二十八年四月 春季神楽祭 神宮舞楽解説 神宮司廳」より引用
【 打球楽(たぎゅうらく) 】
唐の黄帝の作で、仁明天皇の御代に我が国で改作されたと伝えられています。
舞人が五色に彩色された毬杖(ぎっちょう)を右手に持ち、同じく五色に彩られた木製の球子(きゅうし)(宝珠形)を打つ有り様を舞にしたものです。
舞人の装束は美しい瓜の繍紋(しゅうもん)がある赤色の袍に、錦縁(にしきべり)の裲襠装束(りょうとうしょうぞく)を著け、巻纓(けんえい)・緌(おいかけ)のついた抹額(まっこう)の冠を被り腰帯を締めて舞います。
一臈(いちろう)が玉掻手(たまがきて)という打つ舞振りをする間に、他の三人は異なる振りを舞う珍しい舞で、古くは競馬・相撲・歌合せなどの会に舞われ、端午節会(たんごのせちえ)には四十人の舞人が舞ったともいわれています。※「平成二十八年四月 春季神楽祭 神宮舞楽解説 神宮司廳」より引用
【 胡蝶(こちょう) 】
平安時代中頃の延喜六年(906)、宇多上皇が童相撲を御覧になる際、藤原忠房が曲を、敦実親王が舞を作られました。左方の舞楽「迦陵頻(かりょうびん)」と共に、童子の舞(童舞)として名高い曲です。
装束は、彩り様々な蝶の刺繍が施された萌黄(もえぎ)色の袍を著け、背には極彩色の大きな蝶の羽を負います。額には山吹の花を挿した天冠(てんかん)を著け、右手には山吹の採花(とりばな)を持ちます。
曲の中程からは蝶が花から花へと飛ぶ様子が現され、春の花園で蝶が舞い遊ぶ情景を思わせる舞楽です。※「平成二十八年四月 春季神楽祭 神宮舞楽解説 神宮司廳」より引用
【 長慶子(長慶子) 】
平安時代中期の雅楽の名手、源博雅の作曲と伝えられます。
よく整った格式の高い曲とされ、舞を伴わないものの舞楽曲に分類される特殊曲です。
舞楽終了の際には、退出を促す退出音声(まかでおんじょう)として奏されており、拍子の早い舞楽吹(ぶがくぶき)で奏すことになっています。※「平成二十八年四月 春季神楽祭 神宮舞楽解説 神宮司廳」より引用
すべてが終了すると楽師、舞人、舞女は退出となった。
【参考】
- 春季神楽祭 神宮舞楽(2013) 2013年04月28日
- 秋季神楽祭 神宮舞楽(2012) 2012年09月22日
- 秋季 神楽祭(2011) 2011年09月23日
- 春季 神楽祭(2011) 2011年04月29日
【 20160430 の記録 】
- 上社では社務所の基礎工事・続(伊勢市辻久留)
- 仮殿遷座を終え修繕が開始された朽羅神社(皇大神宮 摂社)
- 御田祭の早苗、神楽モチとコシヒカリ(猿田彦神社 御神田)
- 内宮前がお似合いな神都バス
- 宇治橋前に立てられたお知らせ看板(サミットに関連した参拝停止)
- 春季神楽祭 神宮舞楽(内宮神苑特設舞台)
- 神宮茶室公開(庭上拝観)
- 史跡旧林崎文庫の公開、饗土橋姫神社ほか
- 『中部国際空港⇔伊勢』高速船から乗り継ぐリムジンバス
- 「こんなとこにあるの?」、猿田彦神社前 バスのりば(三重交通)
- 御遷座に向けて拝殿、本殿の修繕が開始された坂社(伊勢市八日市場町)
- 御遷座に向けて拝殿、本殿の修繕が開始された今社(伊勢市宮町)