2016年02月06日(土) 伊勢本街道、相可から城下町田丸へ (徒歩)
伊勢本街道は奈良から伊勢への最短ルートと言われているがこのルートを歩くのは大変。何が大変かと言えば交通の便の悪さだ。熊野古道はJR紀勢本線に沿っている(逆か、紀勢本線が熊野古道に沿っている)のでアプローチしやすいのだが・・・。まずは伊勢に最も近い伊勢本街道(相可〜田丸)区間を歩くことにした。
今回も三重県が作成・提供している次の歴史街道ウォーキング・マップを参考に (4)相可-B 〜 (1)城下町田丸 の区間を歩いた。(なお、写真の見出しにある(4)相可-B、(4)相可-A、(3)池上、(2)土羽茶屋、(1)城下町田丸は本マップの頁を示している。)
【参考】
- みえ歴史街道 ウォーキング・マップ 伊勢本街道 (ホームページ)
- みえ歴史街道 ウォーキング・マップ 伊勢本街道 (PDFファイル)
JR紀勢本線 相可駅前を出発すると西方向(奈良)へ歩き、まずは伊勢本街道が通る四疋田を目指した。
多気郵便局前付近で昼食(今回はのり巻きと助六の弁当)を調達すると
相可駅入口交差点を過ぎてさらに西へと向かった。
歴史街道ウォーキング・マップに記されている道路は整備され、さらに先へと延びている。
突き当りとなっているポイントを通り過ぎてしまったと感じたので右折ポイントを探っているといい場所を発見!
オレンジのシートに覆われた四疋田 営農組合 直売所へ右折するとその右脇に細い路地があった。
くねくねと路地を抜けた先に山門があり、
ここは観喜寺、境内には聖観音立像の説明板が建っていた。
歓喜寺から脇の道路へ出るとそこには四疋田西 バスのりばがあった。この道が伊勢本街道だった。
ここから伊勢本街道歩きの開始となった。
しばらくは道なりに雰囲気を楽しみながら進むと
四疋田 バスのりば。
「ここは 四疋田 しひきだ」の案内板の先には大きな常夜燈が建っている。ここは車道から伊勢本街道が左へと別れる場所でもある。
まずは常夜燈を見学。
説明はこちら。
先程も言ったようにここで街道は左へ向かっている。
指の矢印に従って・・・
しかし、あっという間に先ほどの道へ合流した。振り返ってパチリ。
ここは四疋田東 バスのりば付近。テニスコートを過ぎた先には
千鳥橋があり、奥の建物は相可高校だ。
千鳥橋のたもとには椋の大木跡、燈籠、塞の神がある。ウォーキング・マップには椋の大木の写真が掲載されているが今は穴の空いた切り株となっていた。
相可高校の前を過ぎると
街道を思わせる雰囲気の建物が今も所々に残されている。
こちらはまつかさ餅、長新本舗。
その脇には少し広い三叉路、札の辻があり昔はここで盆踊りをしたため「踊り場」とも言われるそうだ。ここには伊勢本街道の道標がある。
歩き始めてすぐだったがまつかさ餅は食べたことがなかったので、お店の中でいただいた。黒あんに歯ごたえのある餅が美味だった。
まつかさ餅でパワーを得て街道へ戻ったが、左手にこんなものを見つけてしまった。「階段と塔?」、街道を離れて近づくとそこは両郡水位流量観測所となっていたが
階段の裏側にはレンガ作りの橋脚が残されていた。ここには旧両郡橋が架かっていたのだろう。
対岸にも橋脚跡を確認することができた。
街道へ戻るとすぐに相可交差点。
左手に今の両郡橋が見えたのでまたまた寄り道でパチリ。
相可交差点まで戻るとその角には「金剛座寺塔頭 相可坊」があり「松阪・紀勢界隈まちかど博物館佐那文庫」になっていた。
金剛座寺には何度か訪れたことがある。こんなところに塔頭があったとは。
【参考】
- 金剛座寺 2012年05月13日
- 金剛座寺と穴師神社跡およびその周辺 2012年09月08日
街道を進むとこの辺りが広小路か? この先で道は柔らかなクランク状(?)に右左へと・・・
そして左へ折れる角に建つのが鹿水亭。
鹿水亭を過ぎて数十m先にはおんばさん(乳母神)がまつられていた。
おんばさんの脇には櫛田川へと下る小道があり、そこを進むと
浄土寺の石垣の脇には櫛田川を対峙するように地蔵菩薩坐像が据えられていた。
街道へ戻ると浄土寺の山門をくぐり
大日堂を訪れた。
寄り道が多いので先を急ぐと
多気駅から相可駅まで散策した時にくぐった松阪多気バイパス(国道42号)が見えてきた。
バイパスをくぐるとその先は、荒蒔。
民家の間を抜けると右手には荒蒔公民館。
この先で県道421号に突き当たる。
県道421号の歩道へたどり着くとこんなコース案内幕が準備されていた。「豊鉄」
県道421号を左(多気駅方向)へ進むとすぐにこの分岐があり、
「伊勢本街道」の案内板がある。矢印に従い
黒田山踏切を渡ると道なりに・・・
しばらく歩くと右手に多数の祠が並んでいる。
その奥に鳥居が立ち、
ここがショウズンさん(水分神社、水分社)だ。
ショウズンさんを後にして歩いていると右側に続く枯れた用水路が気になった。
左側が大きく開けると見覚えのある・・・
あちらは多気駅から相可駅まで散策した時に通りかかった相生神社の社叢だった。なんとなく鳥居を確認することができる。
ほとんど車も通らない道で一人歩きを楽しんでいるとウメの花に誘われた。
街道へ戻るとその先は佐奈川に架かる池上橋。
池上橋を渡った先に西池上交差点があり、ここにも
「伊勢本街道」の案内板がある。
民家の間を歩いていると一軒の玄関先に立派な看板が残されていた。
こちらが金粒丸の縦看板(薬種商看板)。
近くには説明板があった。
立派な看板を後にすると街道っぽい雰囲気を楽しみながら
左手に土塀が続き、
この部分が崩れていた。
そして、土塀の先にには、近世江戸で大きな富を蓄えた金粒丸(きんりゅうがん)の商家大好庵あったところとのこと。
西池上東口 バスのりばを過ぎると
その先には西池上の常夜燈。
円形の笠石が印象的だ。
常夜燈を後にして右側の水路が途切れた先、
道の両側には対面するように山神がまつられていた。
先を急ぐと
東池上 バスのりば。
この分岐で伊勢本街道は左側、
いや道標には「すぐさんぐう 右とばかさぎの中」と刻されているので伊勢本街道はまっすぐ!
ここには「おいせまいり 伊勢本街道保存会」の札が掛けられていた。伊勢本街道を歩く際には頼りになる目印のようだ。何度か見かけたことがある。
ただし、この分岐ではウォーキング・マップに記されている地蔵を確認するために右側へと続く道を往復した。地蔵は分岐から20〜30m先を右折すると
こちらに。
地蔵を後にして分岐まで戻ると先ほどの道標の背面を見ることができた。「すぐならはせ」
伊勢本街道へ戻ると池上踏切の直前で踏切の警報機がなり始めた。
遮断機の前で待機していると
鳥羽行きの列車が通過して
行った。
この付近ですでに12時を過ぎていた。しばらくこのフェンスが続くとのことなので、ザックから朝に購入した弁当を取り出すと歩きながらの昼食となった。「助六とサラダのり巻き」
ウメの花を愛でながらさらに進むと
株式会社ダイヘン 三重事業所の出入口があった。車は通れないほどの幅なので社宅との行き来のための通路だろうか?
さらにフェンスに沿って進むとフェンスの内側に(この会社専用の?)変電所が設置されていた。
フェンスが切れる辺りでセンターラインがある道路へと合流した。
それも束の間、この先でこの車道とは別れる。
「伊勢本街道」の案内板に従うと直進している。
この先は道なりに
民家を過ぎると(この辺りに(2)土羽茶屋 14石柱、15純固の碑へ向かう分岐があったのだが見落としてしまった)
再び数軒の脇を過ぎた。
あとは道なりに進むと続いてはセンターラインがある新しい道路と交差した。横断すると
鬱蒼とした雰囲気の中へと・・・ (ここにも「おいせまいり 伊勢本街道保存会」札が掛けられていたので不安なく)
右側に竹林が続く、その場所に
こんな案内板が立てられていた。「伊勢参宮本街道 七度狐の森」
帰宅後に調べたら、出会いたくない狐のことだった。
【参考】
- 七度狐|Wikipedia
- 桂米朝「七度狐」 |YouTube ↓
https://www.youtube.com/watch?v=XVgrler01LU
道がアスファルト舗装から地道へ変わると
右への丁字路がありその前後に「おいせまいり 伊勢本街道保存会」札が掛けられていた。(これらのおかげで迷うことはない。)
さらに進むと
ここが切り通し。
その端に次の説明板があった。
伏拝坂、石灯籠 文政10年(1827)
むかし伊勢参りの旅人がここまできて、お伊勢さんまでの距離を尋ねたところ、『三里山道 五里畷』と聞き、これから先の難儀を思い、参宮するのをあきらめて、東の空を伏し拝んで残念そうに帰ったという伝説の場所である。
峠の上に石灯籠の一部が残り、『両宮遥拝所献燈 ふしお可巳坂 文政十年』の文字がある。
説明板の後ろに踏み跡があったので坂を登るとその先にはこの石柱が建っていた。
石柱とともに街道をパチリ。昔はこの近くを通っていたのだろうか?
切り通しを後にすると先へと進んだ。
すると見たことがある風景が近づいてきた。
それは皇大神宮摂社 棒原神社の社叢。この周囲は何度も散策したことがある。
「おいせまいり 伊勢本街道保存会」札に誘われて突き当りを左へ進むともうこの先は勝って知る場所だった。お伊勢さん125社めぐりで何度も歩いている場所だった。(ただし、いつもとは逆行)
伊勢本街道(初瀬街道)の案内板を過ぎると丁字路を左折、
次を右折するとこの橋、ここで振り返ると
棒原神社の社叢を遠望。
しばし風景と戯れながらのウォーク。
正念僧・人柱供養碑塚を過ぎると
私がとてもお気に入りなお伊勢さん125社のひとつである皇大神宮摂社 坂手国生神社への十字路に到着。左折すると坂手国生神社、まだお参りできないので今日は寄り道せずに直進。
ここにも伊勢本街道(初瀬街道)の説明板がある。
民家の間をさらに進むと左手に
供養地蔵。
下田辺北交差点を過ぎると坂道の下り、
玉城町役場 中央公民館の前にこの道標が建てられている。
公民館の前を過ぎると道は右へと曲がり
次の交差点の角にこの説明板があり、
その近くには「左 はせ道 右 松阪道」の道標がある。『松阪道』も興味深い!
田丸神社の方へと進むと田丸神社への石段の手前に建っているのが廃寺京造院不動堂。
田丸神社の鳥居の手前には常夜燈、
「天満宮」「両宮 常夜燈」と刻されている。
常夜燈の奥、手水舎の右手奥へ進むとこんな所に石柱が傾きながらも立っていた。
ここには「熊野三山大権現 天満宮」と刻されていた。
田丸城址の外堀に架かる玉城橋を渡ると
左手に大門跡の石標が建っていた。
ゴールはすでに目と鼻の先。ここを左折して
このカーブミラーを右折すると
その正面が今回のゴールである
伊勢本街道と熊野街道との分岐である。到着!
この場に立つと熊野古道伊勢路を歩いたことを思い出す。
【参考】
- 「熊野古道伊勢路図絵」を片手に熊野古道伊勢路を歩いた記録のまとめ 2013年05月〜07月
到着してしまったのだけど、道標にある「右 さんぐう・・」の文字を見てしまったら伊勢まで歩こうかと思い立った。まだ午後2時半だったので時間は十分ある。
この案内板では
伊勢までは参宮街道。伊勢本街道も熊野街道も同じ道を通っている。
ここで仕切りなおすと伊勢までの出発となった。やはり、ゴールはスタートだ!
【 20160206 の記録 】
- 多気駅から相可駅への散策
- 伊勢本街道、相可から城下町田丸へ
- 伊勢本街道 田丸から北御門(外宮)へ