2014年06月29日(日) 阿射加神社(松阪市小阿坂町) (車、徒歩)
阿射加神社(松阪市大阿坂町)に続き、隣町である松阪市小阿坂町にある同じく阿射加神社を訪れた。
SANCO 阿坂小学校前 バスのりば付近、
その向かい側には「猿田彦大神」と刻された石柱がある。
バスのりばとこの石柱の間を進む、緩やかな上り坂だ。
坂道の先には鳥居が見える。
こちらが小阿坂町の阿射加神社だ。鳥居の右側には
紀州藩が建立したとされる「禁殺生」石がある。
また、鳥居の脇には次の説明板があった。
阿射加神社(アザカジンジャ)の文化財
阿射加神社は、平安時代初期には県内でも数少ない延喜式内大社格に列せられていた古舎で、猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)を祀る。御火試・粥試神事および小阿坂かんこ踊りは、現在、境内で毎年一月十四日に近い土曜日の夜に行われている。また、境内の社叢は松阪市指定天然記念物に指定されている。小阿坂(こあざか)かんこ踊り
県指定無形民俗文化財 昭和四十八年三月三十一日指定以前は豊作の秋に踊られていたものであるが、今は神事が行われる夜、大どんと火に照らされて、着物姿の子どもたちを中心にして豊作祈願や神への感謝を込めて踊りが神社に奉納される。勢子(せこ)入りから始まる踊りには大羯鼓(かっこ)・小羯鼓・貝吹・采(さい)持ちうちわ踊り役があり、赤采持ちが踊りをリードする。
御火試(おひだめし)・粥試神事(かゆだめししんじ)
市指定無形民俗文化財 昭和四十年十二月十四日指定夜七時頃から大どんと火が境内で焚かれ、調舎ではその年の豊作を祈る御火試・粥試神事が行われる。御火試は月数を書いた十二本の樫の割木の先を囲炉裏(いろり)で焼き、月数を記した板の上に置いて、灰の色を観察しながら一年間の天候を占う。粥試は早生(わせ)・中生(なかで)・晩生(おくて)の印を付けた笹竹の管三本を入れた小豆粥を焚き込み、管に入った小豆や米粒の量により稲の作柄の吉凶を占う。
阿射加神社社叢(しゃそう)
市指定天然記念物 昭和六十三年四月二十六日指定神社境内の叢林1.45ヘクタールの指定地にはスダジイ・ヤマモガシ・ミミズバイ・サカミ・タブノキなどの常緑照葉樹が繁茂している。このような叢林は現在では数少なく、伊勢平野丘陵部のかつての植物的自然をうかがい知る貴重な植生である。
二○一四年三月十日 松阪市教育委員会
【参考】
鳥居をくぐり参道を進むと
古そうな常夜燈の間を通る際に、
振り向いてパチリ。そこには明和の文字があった。
また、台石には円形の?があった。これは何だろう?
鳥居をくぐりさらに進むとこんな常夜燈もある。
大阿坂町の阿射加神社と同様に石製の橋が架かっていた。
ここには水の流れはないのだが、・・・。
また、参道の脇には「[七福即生]松阪霊地七福神 寿老神 小阿坂町 阿射加神社」の幟が立てられていた。
石製の橋を渡ると参道の両側にはしめ縄が張られた御神木が屹立している。
御神木の間を抜けると右手に手水舎があり、
その隣には苔むした井戸がある。奥に見えるのは社務所だ。
こちらも空間が広く、どんな神事でもできそうだ。
まずは阿射加神社にお参り。
鳥居をくぐり、石階を登るとその先には立派な神門がある。
こちらでお参り。
このように本殿は大社造の三社で構成されている。
左から順に・・・。
お参りを終えて石階の受けから境内を見下ろしてパチリ。かなりの広さだ。
石階を下り、左方向へ進むと
狛犬の先に鳥居が見える。
鳥居に向かって進むと左手、石垣の上には火袋以外が古そうな常夜燈。
鳥居をくぐるとその先、
正面には
摂社 大若手神社が祭られている。お参り。
また、大若手神社の手前左側にはこの建物があり、
その左側には「村宮三社」の標石があり、
この建物のなかには多数の狛犬が並べられていた。ほんとに個性豊かだ。
社務所と反対側へ向かうと隅に御厩と蔵があり、
御厩には御神馬奉納の由来が書かれていた。(金網が張られていたので読みづらい)
蔵の前を通り過ぎて
脇の参道を進むと
鳥居の先は参道を含めて十字路になっていた。
元の参道へ戻り、最初にくぐった鳥居をくぐり返すと小阿坂町の阿射加神社を後にした。
【 20140629AM の記録 】
- 白米城とも呼ばれる阿坂城跡(桝形山、阿坂山)
- 狛犬に出会えたお寺、浄眼寺(松阪市大阿坂町)
- 阿射加神社(松阪市大阿坂町)
- 阿射加神社(松阪市小阿坂町)