古文書の会-201610(河邊七種神社社務所にて)

2016年10月09日(日) 古文書の会-201610(河邊七種神社社務所にて) (車、徒歩)

毎月第二日曜日には河邊七種神社(伊勢市河崎)の社務所にて開催される古文書の会に参加している。

河邊七種神社(伊勢市河崎)

河邊七種神社(伊勢市河崎)

 

本日もお参りを済ませてから社務所へ入った。

河邊七種神社社務所(伊勢市河崎)

河邊七種神社社務所(伊勢市河崎)

 

本会は河邊七種神社の社務所で発見された古文書および古地図をまずは整理することが第一目的である。ただ、くずし字の読むかたも勉強したいとの声が上ったようで来月からは古文書の会の前日第二土曜日にはくずし字を読む会を開始することになった。

古文書の会-201610(河邊七種神社社務所にて)

古文書の会-201610(河邊七種神社社務所にて)

 

この後はいつものように古文書、古地図の調査票を作ると番号入りの付箋とともに中性紙の管理箱へ納めた。今回も作業に集中していたら重要な作業風景を撮影を忘れていた。

なお、講師を務める千枝さんによると今回は素晴らしい発見があったそうだ。歴史や歴史上の人物に疎い私はその発見を(なぜすごいのか)すぐには理解できないでいたが、「杉木普斎が河崎付近に土地を持っていて・・・。」

杉木普斎なら厚生小学校の校庭の片隅に建てられた「茶人 杉木普斎邸跡」の石標を思い出すだけで

茶人 杉木普斎邸跡の石標

茶人 杉木普斎邸跡の石標

 

【参考】 伊勢の世古(せこ)巡り 2011年10月29日

 

歴史上でも著名な茶人だったとは知らなかった。また、杉木普斎には次のような逸話が残されているそうだ。

1669(寛文9)年、当時の鳥羽城主内藤忠重が遷宮警護で伊勢山田を訪れた際、「世に名高き茶人」である普斎に、是非にと一服を所望している。(中略)普斎自身、あまり裕福ではなかったようで、内藤忠重が来訪した際、菓子を用意できず、急遽畳を売って小豆菓子を購入した

【引用】鳥羽城主も一服請う-「世に名高き茶人」杉木普斎|発見!三重の歴史 より

 

このような背景を知っていれば、畳を売ってまで小豆菓子を買った杉木普斎が土地を所有していたこととのギャップに面白さを感じることができることにある。やはり、歴史を知ることはその積み重ねでさらに面白い深みにはまれるようだ。時間を作らなくては・・・

 

【参考】

 

Comments

  1. 江戸時代、寛文年間に
    普斎が土地を持っていたなんて!!
    一体、河崎のどこだったのでしょうかネ?
    江戸初期には河崎で人々の営みが
    すでにあったのでしょうね!!
     

    1. たかっちさん
      > 一体、河崎のどこだったのでしょうかネ?
      その場所としては「河崎浜」と書かれ、裏には簡単な地図が記されていました。
      場所の特定はすべての古文書や古地図の整理が終わってからになると思います。
      しばし、お待ちください。

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