近鉄てくてくまっぷ鳥羽三山・赤崎神社コース(日和山省略ルート)

2015年08月23日(日) 近鉄てくてくまっぷ鳥羽三山・赤崎神社コース(日和山省略ルート) (車、徒歩)

多くの目的を持って訪れた鳥羽、それぞれの目的地をつなぐため「近鉄てくてくまっぷ鳥羽三山・赤崎神社コース」を参考に巡ってみた。なお、写真の見出しにある『三重-7 数字』は、てくてくまっぷに表示されている距離を示している。

 

【参考】  次のリンクにて てくてくまっぷPDF版がダウンロードできます。

 

このコースどりでは鳥羽の三山をめぐることになっているが、日和山には何度も登ったことがあるので今回は省略して(日和山省略ルート)とした。

 

【参考】

 

そのため今回は鳥羽ニ山(城山と樋の山)となった。樋の山に登るのはなぜか初めて。

 

鳥羽市 市民の森公園を出発すると安楽島橋で加茂川を渡った。そのため、今回はマップの三重-7 4752がスタート地点となった。

安楽島橋(加茂川)

安楽島橋(加茂川)

 

最初に訪れたのは、お伊勢さん125社のひとつである赤崎神社(豊受大神宮末社)。こちらではゆかた祭りの日に御神杉を授与していただいている。国道167号に面した参道入口を入ると

赤崎神社(豊受大神宮末社)

赤崎神社(豊受大神宮末社)

 

慣れた参道を進み石階の下にある手水舎で心身を清めてからお参り。最初が赤崎神社とは幸先がいい。

赤崎神社(豊受大神宮末社)

赤崎神社(豊受大神宮末社)

 

お参りを終えて石階を下ると途中で次の立札に引き止められた。

赤崎神社御遷座記念植樹 平成十二年六月吉日

赤崎神社御遷座記念植樹 平成十二年六月吉日

 

これは前回の式年遷宮の際に御遷座を記念した植樹の記し。平成十二年に遷座されたとなると単純に20を足すと平成三十ニ年。以前に見かけた時は摂社、末社の御造営や大修繕について考えも及ばなかったが、この時期にこの内容を見てしまうと次回の御遷座が気になってしまう。いつだろう?

赤崎神社御遷座記念植樹 平成十二年六月吉日

赤崎神社御遷座記念植樹 平成十二年六月吉日

 

思い入れの強い赤崎神社を後にすると

赤崎神社(豊受大神宮末社)国道167号および近鉄志摩線を望む

赤崎神社(豊受大神宮末社)国道167号および近鉄志摩線を望む

 

マップに従って3637(5499)付近にある(鳥羽大庄屋)かどやを目指した。その前に近鉄志摩線 踏切道中之郷第8号にて伊勢志摩ライナーの通過待ち。

近鉄志摩線 踏切道中之郷第8号

近鉄志摩線 踏切道中之郷第8号

近鉄志摩線 踏切道中之郷第8号

近鉄志摩線 踏切道中之郷第8号

 

踏切を後にして進むと途中にある掲示板にて「賀多神社 式年遷宮」のポスターを発見。今回は式年遷宮に向けた準備が進む賀多神社へのお参りとお木曳行事の詳細な予定を調査することも目的としていた。

「賀多神社 式年遷宮」のポスター(赤崎神社〜鳥羽大庄屋かどや)

「賀多神社 式年遷宮」のポスター(赤崎神社〜鳥羽大庄屋かどや)

 

さらには、東川材木店付近には「鳥羽なかまち 駐車場」の案内掲示。

「鳥羽なかまち 駐車場」の案内掲示

「鳥羽なかまち 駐車場」の案内掲示

 

その後道なりに進むと松井酒店の前で道はクランクとなり、鳥羽大庄屋かどやの前に出る。いつもなら、かどやを背にしてクランクの先へと進むのだが、

鳥羽大庄屋かどや 三重-7 3637(5499)

鳥羽大庄屋かどや 三重-7 3637(5499)

 

今回はかどやを右に見ながら真っ直ぐ進んだ。

鳥羽大庄屋かどや付近

鳥羽大庄屋かどや付近

 

突き当りを左へ折れると細い道を・・・

三重-7 5526付近から進行方向を望む

三重-7 5526付近から進行方向を望む

 

途中の交差点で左に視線を振ると変形長屋のような出口硝子店の建物が望める。なんとも雰囲気のある建物だ。

出口硝子店付近

出口硝子店付近

 

さらに先へと進むと蔵、

建ち並ぶ蔵(三重-7 5758付近)

建ち並ぶ蔵(三重-7 5758付近)

 

その入口への石階がお見事。すべてが石で組まれていた。

建ち並ぶ蔵(三重-7 5758付近)

建ち並ぶ蔵(三重-7 5758付近)

 

さらに突き当りにも蔵、この周囲には

建ち並ぶ蔵(三重-7 5758付近)

建ち並ぶ蔵(三重-7 5758付近)

 

蔵、

建ち並ぶ蔵(三重-7 5758付近)

建ち並ぶ蔵(三重-7 5758付近)

 

蔵と貴重な建物が多く残されていた。

建ち並ぶ蔵(三重-7 5758付近)

建ち並ぶ蔵(三重-7 5758付近)

 

近鉄志摩線 踏切道中之郷第2号の手前を左へ折れて線路沿いを進むと

近鉄志摩線 踏切道中之郷第2号

近鉄志摩線 踏切道中之郷第2号

 

中之郷駅の先へ向かった。

近鉄志摩線 中之郷駅

近鉄志摩線 中之郷駅

 

まっぷではこの先も線路に沿って進むことになっているが通行止めとなっていた。

近鉄志摩線 中之郷駅付近の分岐

近鉄志摩線 中之郷駅付近の分岐

 

その理由は「平成27年度 旧鳥羽小学校法面崩落防止工事(その2)」の工事。

「平成27年度 旧鳥羽小学校法面崩落防止工事(その2)」の工事看板

「平成27年度 旧鳥羽小学校法面崩落防止工事(その2)」の工事看板

 

そのため城山へは、鳥羽城三の丸広場からではなく、中之郷駅付近から急な坂道を登った。坂の上へと進むとその先は旧鳥羽小学校。

旧鳥羽小学校付近

旧鳥羽小学校付近

 

校門の脇から中へ入ると

旧鳥羽小学校

旧鳥羽小学校

 

旧校舎をパチリ。

旧鳥羽小学校

旧鳥羽小学校

 

校舎の入口付近を後にすると校舎脇にあり鳥羽城本丸跡へと続く階段を進んだ。

旧鳥羽小学校から鳥羽城本丸跡へ

旧鳥羽小学校から鳥羽城本丸跡へ

 

さらにこの上には本丸跡へと続く階段があるのだが、「立入禁止」となっていた。法面崩落防止工事のため重機が使用されているためだった。

鳥羽城本丸跡は関係者以外立入禁止

鳥羽城本丸跡は関係者以外立入禁止

 

そのため、本丸跡の石垣を背にして海とは逆方向を遠望。実はこの方向がこれから向かう樋の山方向で、中央に見えている階段を下ることになった。

鳥羽城本丸跡付近から遠望する樋の山、讃岐金刀比羅宮鳥羽分社方向

鳥羽城本丸跡付近から遠望する樋の山、讃岐金刀比羅宮鳥羽分社方向

 

本丸跡を過ぎて城山公園へ向かう途中で鳥羽城三の丸広場へと下った。

鳥羽城三の丸広場

鳥羽城三の丸広場

 

三の丸広場付近から本来歩いてくる方向をパチリ。もちろんここにも工事看板が立てられていた。

鳥羽城三の丸広場付近

鳥羽城三の丸広場付近

 

鳥羽城三の丸広場前をまたまた伊勢志摩ライナーが通り過ぎた。

鳥羽城三の丸広場の前を走る近鉄志摩線

鳥羽城三の丸広場の前を走る近鉄志摩線

 

先ほど下った階段を上り返すと城山児童公園に到着。

城山児童公園

城山児童公園

 

ここからは大山祗神社へと下った。

城山から大山祗神社等への案内板

城山から大山祗神社等への案内板

 

大山祗神社では「獅子と天狗の舞」を思い出しながらお参り。

大山祗神社(鳥羽市)

大山祗神社(鳥羽市)

 

【参考】

 

お参りを終えると先の参道を進んだ。鳥居の先をまっすぐ進むと日和山登山道の入口がある。あれれ、鳥居に近づくと・・・警戒線のテープが張られていた。

大山祗神社の参道鳥居(鳥羽市)

大山祗神社の参道鳥居(鳥羽市)

 

その正面へ出ると「がけ崩れの為 通行禁止 大山祗神社」。反対側には何の警告もなかったのに?

「がけ崩れの為 通行禁止 大山祗神社」の警告板

「がけ崩れの為 通行禁止 大山祗神社」の警告板

 

鳥居をくぐると真っ直ぐには進まずに右方向に架かる大黒橋で妙慶川を渡った。

大黒橋(妙慶川)

大黒橋(妙慶川)

 

その近くには鳥羽城唐人門跡があるのでパチリ。

鳥羽城唐人門跡

鳥羽城唐人門跡

 

説明書きはこちら。

鳥羽城唐人門跡の説明板

鳥羽城唐人門跡の説明板

 

また、この近くに油圧ピストン式のゲートがあったのでパチリ。型式は「マイターゲート」と記されていた。

鳥羽城唐人門跡付近のマイターゲート

鳥羽城唐人門跡付近のマイターゲート

 

鳥羽城唐人門跡をに続いては先ほど紹介した大山祗神社の鳥居の先にある「日和山登山道」登り口まで移動した。今日は日和山には登らないので(なお、まっぷでのルートはここからは登らないが・・・)この案内板を右に見ながら先へと進んだ。

「日和山登山道」の案内板

「日和山登山道」の案内板

 

「こんぴらさん」の道標に従うと

「←1400m こんぴらさん」の道標

「←1400m こんぴらさん」の道標

 

左手には鳥羽みなとまち文学館の案内板。これには惑わされずにさらに先へ進むと

鳥羽みなとまち文学館 岩田準一と乱歩・夢二館への案内板、壁画

鳥羽みなとまち文学館 岩田準一と乱歩・夢二館への案内板、壁画

 

【参考】 惑わされた方はこちら、

 

右手には賀多神社の参道入口。

賀多神社参道入口付近(鳥羽市鳥羽)

賀多神社参道入口付近(鳥羽市鳥羽)

 

10月17日に御遷座を迎える賀多神社の様子は別の記事で紹介し、

【参考】

 

参拝を終えると先を急いだ。来た道をさらに奥へと進むと電柱に付けられた扇野の宿 扇芳閣の案内板の矢印に従い、

扇野の宿 扇芳閣の案内板

扇野の宿 扇芳閣の案内板

 

次の丁字路を左へ。そこにはこんな案内板が立っている。今まで何度も見たことはあるが金刀比羅宮鳥羽分社へは未だ足を運んだことがなかった。

常安寺、讃岐金刀比羅宮鳥羽分社ほかの案内板

常安寺、讃岐金刀比羅宮鳥羽分社ほかの案内板

 

まずは、この間近にある常安寺を訪れた。

常安寺(鳥羽市)

常安寺(鳥羽市)

 

道路脇には立派な説明板がある。

常安寺(鳥羽市)

常安寺(鳥羽市)

 

山門をくぐり立派な境内の奥へと進むと本堂にお参り。

常安寺(鳥羽市)

常安寺(鳥羽市)

 

平成5年に終えた本堂屋根修復の際に外された旧鬼瓦、鐘楼と比較してもその大きさがわかる。鬼瓦の大きさは高さが2.4mで巾が3m。

常安寺(鳥羽市)

常安寺(鳥羽市)

 

常安寺を後にするとお寺の前の道(坂)を進んだ。

常安寺付近〜金刀比羅宮鳥羽分社

常安寺付近〜金刀比羅宮鳥羽分社

 

しばらく進むと坂の左手には一の滝地蔵尊霊場。多数の地蔵がまつられていた。

一の滝地蔵尊霊場(常安寺付近〜扇野の宿 扇芳閣)

一の滝地蔵尊霊場(常安寺付近〜扇野の宿 扇芳閣)

 

この先で道路は左へ大きく曲がり

常安寺付近〜扇野の宿 扇芳閣

常安寺付近〜扇野の宿 扇芳閣

 

扇野の宿 扇芳閣の前を過ぎた。振り返ってパチリ。

扇野の宿 扇芳閣

扇野の宿 扇芳閣

 

坂道はまだまだ続く。

扇野の宿 扇芳閣〜金刀比羅宮鳥羽分社

扇野の宿 扇芳閣〜金刀比羅宮鳥羽分社

 

こんな分岐があるが左へ進むと私有地へと迷いこんでしまう。右方向へ道なりに進むと

分岐(扇野の宿 扇芳閣〜金刀比羅宮鳥羽分社)

分岐(扇野の宿 扇芳閣〜金刀比羅宮鳥羽分社)

 

水道施設だろうか、小さな建物を過ぎ、

扇野の宿 扇芳閣〜金刀比羅宮鳥羽分社

扇野の宿 扇芳閣〜金刀比羅宮鳥羽分社

 

こんな雰囲気を・・・

扇野の宿 扇芳閣〜金刀比羅宮鳥羽分社

扇野の宿 扇芳閣〜金刀比羅宮鳥羽分社

 

その先で「めだかの学校」の看板が目に入った。その下に「あし湯」の文字も見えたので後で立ち寄ることとし、先へ進んだ。

めだかの学校付近(扇野の宿 扇芳閣〜金刀比羅宮鳥羽分社)

めだかの学校付近(扇野の宿 扇芳閣〜金刀比羅宮鳥羽分社)

 

続いては「明治天皇来鳥記念歌碑」の案内板。

明治天皇来鳥記念歌碑付近(扇野の宿 扇芳閣〜金刀比羅宮鳥羽分社)

明治天皇来鳥記念歌碑付近(扇野の宿 扇芳閣〜金刀比羅宮鳥羽分社)

 

さらには扇野の鐘 展望台。

扇野の鐘付近(扇野の宿 扇芳閣〜金刀比羅宮鳥羽分社)

扇野の鐘付近(扇野の宿 扇芳閣〜金刀比羅宮鳥羽分社)

 

すべてを過ごして先へ進むとヘアピンカーブの先に

扇野の宿 扇芳閣〜金刀比羅宮鳥羽分社

扇野の宿 扇芳閣〜金刀比羅宮鳥羽分社

 

伊勢志摩地域観光案内図が描かれた案内板が立っていた。その右手に金刀比羅宮鳥羽分社がまつられている。

金刀比羅宮鳥羽分社付近

金刀比羅宮鳥羽分社付近

 

金刀比羅宮鳥羽分社へのお参りと樋の山への登頂(これほど大袈裟ではないが)については別の記事にて紹介する。

 

【参考】

 

お参りの後、来た道を戻った。

通り過ごした扇野の鐘 展望台に立ち寄ると意味もなく鐘を鳴らしてから

扇野の鐘 展望台

扇野の鐘 展望台

 

鳥羽湾の眺望を楽しんだ。そして、遅めのお昼となった。今日はおにぎりを持参しなかったので、途中で買った助六弁当、2種類の味付けの助六と太巻き、赤飯のおにぎりがそれぞれ二個ずつで計八個。十分に満たされた。ベンチに座って昼食をとるのも珍しい。

扇野の鐘 展望台からの眺望

扇野の鐘 展望台からの眺望

 

さらに珍しい行動は続いた。それは「めだかの学校 あし湯」へ立ち寄ったこと。

めだかの学校、あし湯(扇芳閣)

めだかの学校、あし湯(扇芳閣)

 

坂道を上る途中で通り過ぎた扇野の宿 扇芳閣が運営しているめだかの学校、その一画には

めだかの学校(扇芳閣)

めだかの学校(扇芳閣)

 

休憩スペースやあし湯が準備されていた。

めだかの学校、あし湯(扇芳閣)

めだかの学校、あし湯(扇芳閣)

 

無料の貸出タオルがあり、

めだかの学校、あし湯(扇芳閣)

めだかの学校、あし湯(扇芳閣)

 

あし湯も無料だった。ウォーキングの途中で休憩しない私が柄にもなくまったりとしてしまった。

めだかの学校、あし湯(扇芳閣)

めだかの学校、あし湯(扇芳閣)

 

あし湯でゆっくりし過ぎたためか、少し足どりが重い? しばらく下りなので勢いに任せて進むと先ほどの分岐を右へ進んだ。ヘアピンカーブから外へと・・・

分岐 三重-7 1680(2820)付近

分岐 三重-7 1680(2820)付近

 

その先では斜面に建ち並ぶ民家の先に海が見え、

三重-7 2880付近

三重-7 2880付近

 

歩き始めた頃に立ち寄った旧鳥羽小学校の校舎も全体が望めた。校舎に注目していて鳥羽城本丸跡を確認するのを忘れていた。

三重-7 2880付近から遠望する旧鳥羽小学校の校舎

三重-7 2880付近から遠望する旧鳥羽小学校の校舎

 

まっぷに従ってこの細い階段を下へ下へと駆け下りた。

三重-7 2880〜3125

三重-7 2880〜3125

 

するとここは本丸跡の石垣を背にして遠望した階段だった。これでつながった。

三重-7 2880〜3125

三重-7 2880〜3125

 

階段を降り切ると用水路の脇から来た道を振り返った。(この掲示板にも賀多神社の式年遷宮ポスターが貼られていた。鳥羽市内にはいたる所で紹介されているが、ネットでは見つからない。)

三重-7 3125付近

三重-7 3125付近

 

先へ進むと突き当りを右へ。階段があり

慈眼山 金胎寺付近

慈眼山 金胎寺付近

 

その途中にはこの案内板があった。

金胎寺への案内板

金胎寺への案内板

 

階段を進むとその先には金胎寺の納経所があり、

慈眼山 金胎寺の納経所

慈眼山 金胎寺の納経所

 

参道は納経所の手前を左へ続いていた。

慈眼山 金胎寺の参道

慈眼山 金胎寺の参道

 

この階段を進むと

慈眼山 金胎寺の参道

慈眼山 金胎寺の参道

 

その先には小さなお堂が建っていた。

慈眼山 金胎寺(鳥羽市)

慈眼山 金胎寺(鳥羽市)

 

境内の左隅には四国八十八ヶ所霊場 順路の案内板があり、階段が上へと続いていた。

慈眼山 金胎寺 四国八十八ヶ所霊場 順路の案内板

慈眼山 金胎寺 四国八十八ヶ所霊場 順路の案内板

 

その先には第一番から第八十八番までが・・・・。

慈眼山 金胎寺 四国八十八ヶ所霊場

慈眼山 金胎寺 四国八十八ヶ所霊場

 

金胎寺を後にすると先ほどの参道をさらに先へ進んで坂道を下った。

金胎寺から三重-7 3385付近へ

金胎寺から三重-7 3385付近へ

 

その先には共同水場らしき井戸があり、その奥には石蔵。それは歩いていてよく目にした蔵だった。

水場と石蔵(三重-7 3385付近)

水場と石蔵(三重-7 3385付近)

 

鳥羽大庄屋かどやまで戻るとその脇から伸びる路地へ入った。

鳥羽大庄屋かどや脇 三重-7 3674(5462)

鳥羽大庄屋かどや脇 三重-7 3674(5462)

 

路地の脇に新たに作られたスペースには西念寺の説明板が建てられていた。

春曜山 西念寺の説明板

春曜山 西念寺の説明板

 

さらに路地を奥へと進むと

説明板から春曜山 西念寺へ

説明板から春曜山 西念寺へ

 

こちらが西念寺、鳥羽城から移築された鳥羽藩の菩提寺とのこと。

春曜山 西念寺(鳥羽市)

春曜山 西念寺(鳥羽市)

 

階段を進むと山門には「鳥羽なかまち」の旗が掛けられ

春曜山 西念寺

春曜山 西念寺

 

境内に置かれた椅子には「二行写経 会場 →」と書かれた紙が貼られていた。

「二行写経 会場 →」の案内(春曜山 西念寺)

「二行写経 会場 →」の案内(春曜山 西念寺)

 

毎朝、般若心経を書いている私としてはこの案内は非常に魅力的だった。「二行とは?」

今日は先を急いでいたので本堂にお参りしてから

春曜山 西念寺

春曜山 西念寺

 

本堂裏の墓地へと上り、鳥羽を遠望し境内を巡ってからこちらを後にした。

春曜山 西念寺からの風景

春曜山 西念寺からの風景

 

西念寺の山門を出ると右方向へと続く路地へ・・・。

西念寺から弘法井戸へと続く路地

西念寺から弘法井戸へと続く路地

 

その先には子どもたちの姿があり、

弘法井戸、洗い場付近(鳥羽市)

弘法井戸、洗い場付近(鳥羽市)

 

そこが弘法井戸、洗い場だった。

弘法井戸、洗い場(鳥羽市)

弘法井戸、洗い場(鳥羽市)

 

弘法井戸を後にすると先ほどの路地の延長方向へさらに進み、坂道へ。

弘法井戸から造成地へ

弘法井戸から造成地へ

 

坂道は右方向へと曲がると左側は京セラ(株)の所有地となっていた。

京セラ(株)の所有地

京セラ(株)の所有地

 

坂を上る途中で振り返ると

振り返って望んだ鳥羽湾

振り返って望んだ鳥羽湾

 

鳥羽湾が望めた。

振り返って望んだ鳥羽湾

振り返って望んだ鳥羽湾

 

左側で「ボキ、バキ・・ドザ」と何かが折れて落ちるような音が? その正体は分からないまま先へ進むと

造成地から雑木林へと続く坂道

造成地から雑木林へと続く坂道

 

造成地は途切れ、舗装道路も途切れた。この先は地道へと変わり、様相は一変した。

舗装路から地道へ(三重-7 3949)

舗装路から地道へ(三重-7 3949)

 

100mほど離れただけでいきなりこんな風景となってしまった。

藤之郷から赤崎への山越え

藤之郷から赤崎への山越え

 

この変化に驚いていると前方を通り過ぎる物陰・・・。誰だ、いや何だ。周囲の様子を伺うと数匹のサルが走り去っていった。ぶれぶれ写真となってしまったが、

サルとの遭遇(藤之郷から赤崎への山越え)

サルとの遭遇(藤之郷から赤崎への山越え)

 

トリミングしたらサルの姿を確認できた。お尻と後ろ足、尻尾、さらに頭の一部。見える人には見える。(当たり前か)

サルとの遭遇(藤之郷から赤崎への山越え)

サルとの遭遇(藤之郷から赤崎への山越え)

 

手段だったのでサルを威嚇する声を上げながら先へ進むと新しそうな「←藤之郷 赤崎→」の案内板が立っていた。いまでもこのルートを歩く人がいるのか?

「←藤之郷 赤崎→」の案内板

「←藤之郷 赤崎→」の案内板

 

するとその先には奥谷の地蔵がまつられていた。

奥谷の地蔵(藤之郷から赤崎への山越え)

奥谷の地蔵(藤之郷から赤崎への山越え)

 

誰かがこの地蔵さんをお守りしてくれている。

奥谷の地蔵(藤之郷から赤崎への山越え)

奥谷の地蔵(藤之郷から赤崎への山越え)

しかし、さらに進んだところ倒木はそのままになっていた。(くぐり抜けられたが)

藤之郷から赤崎への山越え

藤之郷から赤崎への山越え

 

倒木の先へ進むとコンクリート製の施設があった。

水道施設跡?(藤之郷から赤崎への山越え)

水道施設跡?(藤之郷から赤崎への山越え)

 

入口の扉が開いていたので恐る恐るなかを覗いてみたが詳細は不明。水道施設跡らしい。

水道施設跡?(藤之郷から赤崎への山越え)

水道施設跡?(藤之郷から赤崎への山越え)

 

謎の施設を過ぎると倒れた竹が放置されている中をくねくねと進んだ。

藤之郷から赤崎への山越え

藤之郷から赤崎への山越え

藤之郷から赤崎への山越え

藤之郷から赤崎への山越え

 

竹林を過ぎると民家の跡が続いた。今は住み手もなく朽ちている家屋が・・・

藤之郷から赤崎への山越え

藤之郷から赤崎への山越え

 

生活感のあるモノも残されていた。

藤之郷から赤崎への山越え

藤之郷から赤崎への山越え

 

さらに下ると生活感があふれる世界へと戻ってきた。前方には行きに渡った加茂川が望めた。坂道を下り

加茂川の遠望(藤之郷から赤崎への山越え)

加茂川の遠望(藤之郷から赤崎への山越え)

 

踏切を渡ると近鉄 志摩赤崎駅に列車が停まっていた。

近鉄志摩線 踏切道中之郷第12号付近から望む近鉄 志摩赤崎駅

近鉄志摩線 踏切道中之郷第12号付近から望む近鉄 志摩赤崎駅

 

まもなく踏切の警報機が鳴り始めたのでこの場で待機。今日はどれだけ近鉄の列車を目にしたのだろう。

近鉄志摩線 踏切道中之郷第12号

近鉄志摩線 踏切道中之郷第12号

 

特急を見送ると国道167号へ出て安楽島橋交差点へ向かった。

国道167号 安楽島橋交差点付近

国道167号 安楽島橋交差点付近

 

この場所、安楽島橋交差点が本日のゴールとなった。ショートカットしたコースだったが、新しい体験が多く非常に楽しかった。

国道167号 安楽島橋交差点

国道167号 安楽島橋交差点

 

行きに渡った安楽島橋を渡り返すと

安楽島橋(加茂川)

安楽島橋(加茂川)

 

鳥羽市の市民の森公園へ向かった。公園に設置されている水飲み場の水がありがたかった。

市民の森公園の水飲み場(鳥羽市)

市民の森公園の水飲み場(鳥羽市)

 

【 20150823 の記録 】

 

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