2016年03月26日(土) お伊勢さん125社 瀧原宮・瀧原竝宮、瀧原宮所管社(モノクローム) (車、徒歩)
「宮川流域案内人とともに 倭姫命の伝説の山 滝原浅間山登山」に参加するために大紀町滝原を訪れた。少し早めに自宅を出発すると、最近始めた「お伊勢さん125社をモノクロ写真で撮影する」企画のため、滝原浅間山登山の前に瀧原宮へ向かった。
瀧原宮は皇大神宮の別宮で遙宮とも称され、元伊勢とも考えられている。そのためだろうか、参道の風景は内宮(皇大神宮)を彷彿とさせる雰囲気がある。私にとっては内宮よりも瀧原宮の方が惹かれる場所だ。さらに皇大神宮の摂社である園相神社も同様な雰囲気を有する。
集合場所である道の駅奥伊勢木つつ木館前に広がる瀧原宮駐車場に車を駐めると駐車場付近に立ち鳥居をくぐった。
参道を歩き、突き当りを右折すると
ほどなく、瀧原宮の参道入口へ到着する。
鳥居を背にして道路の向かい側にはこのようなアニメのイラストパネル。これは昨年に設置され、瀧原宮の起源(倭姫伝説)を紹介している。
瀧原宮の起源(倭姫伝説)
1(左上)
2千年ほど昔、第11代垂仁天皇の第4皇女・倭姫命が天照大神のつかいの者として、ご鎮座する地を求めて大和から伊勢方面を旅していました。2(左下)
旅の途中、倭姫命が流れの速い宮川を渡れず困っていたところ近くに住んでいた真奈胡神がお出迎えをして、川を渡してあげました。
倭姫命はそのお礼に真奈胡神をあがめる御瀬社を贈りました。それが今の三瀬川にある皇大神宮摂社・多岐原神社です。3(右上)
倭姫命は真奈胡神の案内で三瀬坂峠を越えて祝詞山の頂上に立ちました。この美しい土地の名前は何ですか?ここは大河の瀧原の国でございます。4(右下)
倭姫命はこの美しい土地を天照大神の鎮座する地に選びました。
これが瀧原宮の起源です。
今度はイラストパネルを背にして参道へ向かうと
鳥居の手前左手には神宮衛士が詰める瀧原宮衛士派出所がある。
鳥居をくぐり参道を進むと火除橋があり、その先で
参道を外れ、右方向へ階段を下ると
その先には頓登川が流れ、御手洗場となっている。
清らかな流れで心身を清める。
御手洗場を後にすると反対側の階段を上り
先の参道へ戻る。合流した地点の右手には修祓所がある。修祓所を右手に見ながら進むと
朝日が正面から差し込んできた。
眩しさで振り返ると女性が足早に・・・
参道をさらに進むと手前には古殿地が広がり、その奥に新しい社殿が望める。
お白石持行事や式年遷宮を思い出しながらさらに参道を進んだ。
【参考】
こちらの立札に示されている順で参拝すると
まずは、
【瀧原宮(皇大神宮 別宮)】
続いて
【瀧原竝宮(皇大神宮別宮)】
瀧原竝宮にお参りを終えると
その左手、古殿地の片隅には御船倉が置かれている。
瀧原竝宮を後にするとその次は、瀧原宮の右手、少し高い場所に鎮座する
【若宮神社(瀧原宮所管社)】
長由介神社の前から階段を進むと
こちらが若宮神社。
若宮神社の手前で左に視線を振るとこんな風景を見ることができる。
階段を下ると最後には川島神社を同座する長由介神社。
【長由介神社(瀧原宮所管社)、川島神社(同)を同座】
お参りを終えるとしばらく長由介神社の前で佇んでから御船倉付近まで戻るとパチリ、
パチリ、
最後にパチリ。
参道を戻る途中で光の強さに誘われた
自らシルエットを撮ってしまった。
宿衛屋と忌火屋殿の間を通り過ぎてから振り返ると
宿衛屋はこちら。こちらでお守り等を授与していただける。御朱印等も・・
そろそろ集合時間が近づいて来たので走らない程度の早足で・・・
参道入口の鳥居をくぐり返し、一揖。
集合場所である道の駅 奥伊勢木つつ木館の前へ戻った。
【 20160326 の記録 】
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- お伊勢さん125社 多岐原神社(モノクローム)