式年遷宮を終えた丹生神社(多気町丹生)

2014年11月03日(月) 式年遷宮を終えた丹生神社(多気町丹生) (徒歩、車)

三重県多気郡多気町丹生に鎮座する丹生神社では先週末に式年遷宮が執り行われることは知っていたのだが訪問することができなかったので、御遷座から一週間後の訪問となった。

【参考】

 

丹生神社は丹生大師(女人高野丹生山「神宮寺成就院」)と隣接していて丹生大師の境内からも鳥居をくぐることができるが、まずは丹生神社参道の鳥居をくぐることにした。

参道の鳥居前にてパチリ。すでに造替されていた鳥居は少し色褪せていたが、鳥居下の垣や

丹生神社(多気町丹生)

丹生神社(多気町丹生)

 

定札は素木が輝いていた。

丹生神社(多気町丹生)

丹生神社(多気町丹生)

 

改めて丹生神社の由来(丹生大師側の鳥居付近にある説明板)によると

「丹生神社の由来」説明板(多気町丹生)

「丹生神社の由来」説明板(多気町丹生)

丹生神社由来
祭神 埴山姫命・水波賣命ほか十六柱
延喜式の神名帳、飯高郡九座に列せられた由緒ある神社で、継体天皇十六年(523)に鎮座したという。聖武天皇が東大寺大仏殿の建立のさい、水銀の産出をこの神に祈ると忽ち水銀が湧出したので、丹生明神と名付けた。又、嵯峨天皇が降雨を祈ったら霖雨があり、晴れを祈ったら、晴れたという故事により丹生大明神は祈雨・祈晴の神ともいう。
中世、伊勢の国司北畠氏が毎年参拝し、造営等の奉仕をした。その後松坂城主吉田大膳より慶長十六年(1611)高三十石を寄進するとの寄付状が交付された。同年伊勢外宮権祢宜檜垣筑後が、当社神主をかね以降檜垣家が神主となった。(現在は異なる)
元和五年(1619)紀州藩主徳川頼惟宣から社領三十石を認められた。以後の藩主は自ら参向して国家安穏 五穀豊穣を願い金銀等を寄進した。安永五年(1776)紀州藩自社奉行の直支配になり境内は御免許地となった。また、延宝五年(1677)より伊勢神宮の遷宮の翌年その古殿材を拝領して造営した時代もあった。
明治四十一年一月二十一日境内社十数社を合祀した。
なお近接する神宮寺とともに水銀に関する遺物が保存され、両者は水銀を通じて深い関係にあることが推察できる。
丹生神社々務所

【参考】

 

なお、鳥居前で視線を左に振れば、説明書きにもあるように水銀を通じて深い関係にある神宮寺(丹生大師)の山門が見える。

丹生神社参道鳥居前から望む丹生大師の山門(多気町丹生)

丹生神社参道鳥居前から望む丹生大師の山門(多気町丹生)

 

 

丹生神社の鳥居をくぐろうとすると

丹生神社(多気町丹生)

丹生神社(多気町丹生)

 

その下には次のように参道の正中に置かれた石の周りには新たな御垣が設けられ、「伝 丹生津比売 弘法大師 対面石」と石の名称が記されていた。

丹生津比売、弘法大師対面石(丹生神社)

伝 丹生津比売 弘法大師 対面石(丹生神社)

 

なお、今までは次のように石の名称は記されていなかった。

丹生神社(多気町丹生) 2011年11月05日時点

丹生神社(多気町丹生) 2011年11月05日時点

丹生神社(多気町丹生) 2011年11月05日時点

丹生神社(多気町丹生) 2011年11月05日時点

 

丹生神社(多気町丹生) 2014年06月08日時点

丹生神社(多気町丹生) 2014年06月08日時点

丹生神社(多気町丹生) 2014年06月08日時点

丹生神社(多気町丹生) 2014年06月08日時点

 

石の名前は「伝 丹生津比売 弘法大師 対面石」とあるが、丹生山神宮寺の大師堂脇に設置されていた説明板にその由緒を想像することができる。

丹生都姫神社の説明板(丹生山神宮寺) 2011年11月05日時点

丹生都姫神社の説明板(丹生山神宮寺) 2011年11月05日時点

 

丹生都姫神社
守護神丹生都比売
丹生一族は九州から瀬戸内紀伊半島から伊勢まで朱を追って移動した彼らの足跡を示すように丹生一族の女神である空海はその丹生都比売に導かれ当地を訪ね懐かしい勤操という名前との出合いに感激し「高野の聖地に伽藍建立の願い持っているがまず当地に神社佛閣を建立し衆生を救わん」と即ち錫杖を留めて神社と伽藍を建立した。丹生都比売は空海の守護神でもあるここに平成六年再建しました。
平成六年九月吉日

丹生山神宮寺

 

前振りが長くなってしまったが、鳥居をくぐり参道を進むと鳥居のすぐ近く右手には

丹生神社(多気町丹生)

丹生神社(多気町丹生)

 

男石が祭られている。

男石(丹生神社)

男石(丹生神社)

 

さらにその先、左側には「平成二十六年式年遷宮奉賛者」が掲示されていた。なかでも氏子奉賛者の筆頭は「金、五千万円」の奉賛であった。

丹生神社(多気町丹生)

丹生神社(多気町丹生)

 

また、その向かいには石段があり、その先を

丹生神社(多気町丹生)

丹生神社(多気町丹生)

 

小川が流れている。こちらは御手洗場となっているのだろうか?

丹生神社(多気町丹生)

丹生神社(多気町丹生)

 

参道の左右に立ち並ぶ幟を確認しながら

丹生神社(多気町丹生)

丹生神社(多気町丹生)

 

先へ進むと

丹生神社(多気町丹生)

丹生神社(多気町丹生)

 

右手には社務所があり、

丹生神社の社務所(多気町丹生)

丹生神社の社務所(多気町丹生)

 

その隣には蔵がある。掲示板は以前とは別の場所へと移されていた。

丹生神社の社務所(多気町丹生)

丹生神社の社務所(多気町丹生)

 

そして、以前に掲示板があった場所には多額を奉賛された方の名を刻んだ記念碑が建てられていた。

丹生神社(多気町丹生)

丹生神社(多気町丹生)

 

社務所を背にするとその正面に丹生神社が鎮座している。石の橋を渡り

丹生神社(多気町丹生)

丹生神社(多気町丹生)

 

鳥居をくぐろうとすると

丹生神社(多気町丹生)

丹生神社(多気町丹生)

 

右手には小粒な白石が敷き詰められていた。

丹生神社(多気町丹生)

丹生神社(多気町丹生)

 

まだ葉が生き生きとし、紙垂も新しい榊を見ながら鳥居をくぐった。

丹生神社(多気町丹生)

丹生神社(多気町丹生)

 

前回の記録(先述のリンク)でも紹介したように完全な造替ではなく、洗いと修繕を中心とした遷宮であったようだ。まずは賽銭箱の前でお参りした。

丹生神社(多気町丹生)

丹生神社(多気町丹生)

 

賽銭箱やその左右の常夜燈は造替されており、銅板が輝いていた。

丹生神社(多気町丹生)

丹生神社(多気町丹生)

 

また、本殿の御垣は造替されていたが、御扉は洗いの処理が施されている様子だった。

丹生神社(多気町丹生)

丹生神社(多気町丹生)

 

それでも金物は輝いていた。

丹生神社(多気町丹生)

丹生神社(多気町丹生)

 

本殿の右側からもパチリ。

丹生神社(多気町丹生)

丹生神社(多気町丹生)

 

こちらは御神木である梛(ナギ)の木。ナギは葉脈が縦に走っているので横方向に千切ろうとしても容易には千切れない。その切れない強さで縁結びにご利益があるとも言われている。

丹生神社の御神木 梛の木の説明板(多気町丹生)

丹生神社の御神木 梛の木の説明板(多気町丹生)

 

真新しい垣で囲われているのが御神木の梛の木で、

丹生神社の御神木 梛の木(多気町丹生)

丹生神社の御神木 梛の木(多気町丹生)

 

朝陽に透かされると

丹生神社の御神木 梛の木(多気町丹生)

丹生神社の御神木 梛の木(多気町丹生)

 

なんとなく、葉脈が縦に走っているのが分かる。

丹生神社の御神木 梛の木(多気町丹生)

丹生神社の御神木 梛の木(多気町丹生)

 

さらには、山の神、

山の神(丹生神社)

山の神(丹生神社)

 

女神も祭られている。

女神(丹生神社)

女神(丹生神社)

女神(丹生神社)

女神(丹生神社)

 

少し離れた場所には仮遷座の仮殿としても利用されていた丹生中神社がある。

丹生中神社(多気町丹生)

丹生中神社(多気町丹生)

 

「丹生中神社由来」の説明板(多気町丹生)

「丹生中神社由来」の説明板(多気町丹生)

丹生中神社由来
祭神 金山彦命・金山比女命ほか十七柱
延喜式の神名帳、飯高郡九座のうちにあげられている。
往古この地の山々より多くの汞(すいぎん)を掘り出し、伊勢の両宮へ貢いだ事は外宮旧事記等にも記載されており、この神社には金山槌・金山桶等の神宝がある。
なお、明治四十一年二月十八日から四月十八日にかけて、村内の八幡神社・八柱神社・金比羅神社・塩垣神社等三十余社を合祀し、現在に至っている。
丹生神社々務所

 

お参り。

丹生中神社(多気町丹生)

丹生中神社(多気町丹生)

 

その後、丹生大師(丹生山神宮寺)側の鳥居をくぐり、丹生神社を後にした。振り返ってパチリ。

丹生神社(多気町丹生)

丹生神社(多気町丹生)

 

【 20141103 の記録 】

 

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